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綺麗な世界の住人
しおりを挟むニーナと持ちきれないほどの花を抱えリーストファー様が待つ家に向かった。そこにはジョイスさんと数名の男性が立っていた。
少し物々しい雰囲気の中、私はリーストファー様を探す。リーストファー様は家の周りを見ていた。
「リーストファー様何をしているんですか?」
「いや」
リーストファー様はジョイスさん達が待っている方へ歩き出し、私とニーナはその後を追った。
リックは辺境の医師を連れて馬で駆けてきた。
皆から離れて行くリーストファー様の後を追い、家から少し離れた所でリーストファー様の足が止まった。
「ミシェルとニーナは爺さんの家に向かってほしい」
「リーストファー様、理由を、何があったのか教えてください」
リーストファー様は黙り、少し経ってから話しだした。
「この家の夫婦は二人共もう亡くなっている。家の近くに墓を掘ろうと思う」
「え?」
私は驚き、その場で呆然とする。
「ミシェルは見なくていい。俺が責任を持って二人を葬る。だからニーナと爺さんの家で待っていてほしい」
「私はこの領地の当主の妻です。私も一緒に見届けます。その責任が私にもあります」
「ミシェルならそう言うだろうな。でも今回ばかりは引いてくれないか」
「どうしてです」
「ミシェルが苦しむからだ。苦しむと分かっていてどうしてこの場に残したいと思う」
「私はそんなに弱くはありません。これでも王妃になる予定だったんです。苦しみ辛くなるかもしれませんが、それを受け止める強さは持っているつもりです」
「なら自死をした人を見たことがあるのか?腐敗した死体は?
俺達騎士は何度も見てきた。それでも耐えられないあの臭い、いつまでも鼻に残り続ける独特な臭い、一部骨が見えている死体、虫が飛び交い、苦しそうな顔をして死んでる遺体。
何度も見てきたが、俺でも見慣れる事はない。ミシェルが想像するよりも凄絶なんだ」
実際とは異なるかもしれないけどなんとなく想像はできる。それでもどんな臭いなのかは分からない。それにお祖父様のご遺体はお別れの時に見たけど、とても穏やかな顔をしていた。まだ生きているような、でも人形のような、そして布に包まれ埋葬された。
人形は朽ちることはない。それでも人間はいずれ朽ちる。肉体は骨になる。
知識としては知っていても、実物を見たことはない。墓地を掘り起こすことはしないから。
「分かりました。では私はここで祈ります。神父様のような弔いの言葉は知りません。それにバーチェル国の弔いの言葉も。ですが、安らかにと祈ることはできます。せめて祈りだけ捧げさせてください」
「分かった」
リーストファー様はジョイスさん達の元に歩いて行った。
家の戸を壊しリーストファー様と医師は家の中に入っていった。
「リーストファーは?」
突然聞こえた声に驚きビクッと体を強張らせる。
「ルイス様…、リーストファー様は医師と家の中に」
ルイス様から少し離れた所には数人の騎士達の姿があった。
「お前誰かの死体に直面したことは?」
「子供の頃お祖父様を」
それでも私は棺の中で眠るお祖父様の姿しか知らない。
「良い環境で育ったんだな」
公爵令嬢の私には必ずリックが付いていた。孤児院へ行く時には数人の護衛も付く。何かあれば私は馬車の中か、いち早くその場から離される。
人の血を見たことはある。人が斬られるのを見たこともある。それでも立ち上がり逃げて行く姿を見た。
良い環境、そうね、私は誰かの死体に直面したことは一度もない。私は私の目に見せられずに育ってきた。
殿下の婚約者だった頃も、そういう場に立ち合うことはなかった。
綺麗な世界
人の憎悪も人の陰謀も、媚びも、人は純粋だけではないと知っている。
それでも私は綺麗な世界の住人だった。
貧困や飢え、餓死を知っていても私の目に映されることはなかった。私の目が映したのは資料として描かれた絵。そこに現実味はなかった。
昔エーネ国は一年で何万人という死亡者を出した。戦死でもなく老衰死でもなく病死でもなく、餓死。三年で何十万人亡くなり、十歳の王女が三十歳以上年の離れた他国の王へ十一番目の妃として嫁ぎこの国は救われた。
それからエーネ国は変わり今は餓死で亡くなる人は減った。それでも婚約者の私が直面することはなかった。妃になっていれば直面もしただろう。
家から少し離れた所にいる私はその場で両膝を付き胸の前で両手を合わせた。そして目を瞑り祈る。
ニーナも私の少し後ろで祈る。
祈ることしか出来ない不甲斐なさにほとほと呆れてしまう。
なんと綺麗な世界しか私は知らないのかと。
ここで暮らす領民達は皆必死に命を繋いできた。自分達の力で。
なにが当主の妻よ、なにが貴族よ、あなた達を守りたい、守るのが貴族のつとめ、よくそんな安い言葉を言えたわね。
目を開いてよく見てみなさいよ、フィン親子は餓死する可能性があった。寝たきりのお祖父様にもっと早く医師の診察を受けさせていたら?薬を渡していたら?それに二人を助けたのは私じゃない、労働者達よ?労働者達の食事は私達が用意してるから私達の功績とでも思いたいの?それは労働者達の優しさよ。
ミシェル、あなたは綺麗な世界の綺麗な所で綺麗な理想を口にしていただけ。にこっと微笑んで、さも分かっていますと、結局何も分かっていない。
苦しみも辛さも、悲しみも嘆きも、綺麗な世界の住人のあなたは何も分かっていない。
自分の不甲斐なさを憎みなさい。自分の不甲斐なさを恨みなさい。
今の私ができること。
「安らかに…」
祈ることしかできない…。
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