騎士と竜

ぎんげつ

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02.見合い作戦

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 行き先は謁見の間ではなく、王の執務室だった。

 これまで、王を見たのは遠目に数度だけだ。
 まるで半端に人型を取った竜のような姿……だと思っていたが、これほど近くまで寄ると、遠目に見た印象とは全然違っていた。
 前王譲りの黒髪から伸びる、緩やかな曲線を描く角に、全身を覆う青みがかった淡い金の鱗。顔立ちは人間とほぼ変わらない。“救国の女王”の肖像画とよく似た、どちらかと言えば優男というタイプだろうか。
 なのに、翠玉エメラルドもかくやという深い緑の目の瞳孔は細長く、口元にちらりと覗く白い牙と相まって、王は確かに人間とは異質なのだと示している。背に負った翼も、床に長く伸びた尾もそうだ。威厳とはまた違う、人の本能に訴える……恐れや畏怖のようなものを喚起するのだ。

「マックスか」

 頬杖をついたまま、王がつまらなそうにぽそりと言う。それからマイリスをちらりと見て、「新顔か」と呟いた。

「はい、本日より近衛となりましたエルヴェラムです。エルヴェラム、陛下にご挨拶申し上げろ」
「は。本日より近衛騎士第二隊に配属となりました、マイリス・エルヴェラムです。生命と名誉にかけ、誠心誠意陛下にお仕えいたします」
「ああ、いちいち膝をつくな。面倒だ。立ったままでいい」

 一歩進み、跪礼をしようと片足をついたマイリスに、王は手を振った。団長へと目をやると、小さく首を振る。
 戸惑いつつも、マイリスは立ち上がり、再度深く敬礼をした。

「うん、よろしく頼む」
「はい」

 マイリスは頭を下げたまま一歩下がる。
 その後は、団長が今後のことについてあれこれと王に確認し、あっさり退出となった。

「この後は、城内の配置を覚えてもらうことになる。他の騎士に引き継ぐから、そいつから聞いておけ。警備の細かいシフトもその時説明させよう」
「はい」

 再び官舎へと戻りながら、さらに今後の説明を受ける。

「まあ、一度に覚えきれるものではないが……なるべく早く、覚えるように」
「はい、承知いたしました」

 すぐに別な近衛騎士へと引き渡されると、あとはひたすらに王宮内の地理や構造を覚えることに終始した。



 それからの日々は目まぐるしく過ぎた。
 王国騎士団の時とはまるで勝手が違う。
 常に高貴な身分の貴族や王の目に晒され、今までとは違う種類のプレッシャーを感じながら、ここでのやり方を覚えなくてはならない。一日の勤めが終わると頭も身体も目に見えてくたくただ。
 それでも、ひと月が過ぎる頃にはどうにか慣れて、王からの威圧感のような気配もさほど感じなくはなってきた。

 それにしても、“竜王陛下”と呼ばれるほどのあの出で立ちでは、並の令嬢や姫では妃など務まらないのじゃないか。
 並の姫では、あの王の気配に呑まれて萎縮してしまいそうだ。

「そういえば、陛下は完全な人型に姿を変えたりはなさらないのでしょうか」
「ん? どうしてだ?」

 一日の勤務を終えて報告書を提出しながら、マイリスは騎士団長に尋ねる。

「陛下のお顔立ちで完全な人の姿なら、どんな姫君や令嬢方も放っておかないのではないかと思いまして」
「ああ」

 なるほど、と団長は頷いた。もっともな疑問だろう。

「面倒だし窮屈なのだ……と、陛下は仰っているな」
「窮屈ですか?」
「――だが、宰相閣下の祖父君……先々代の宰相の頃だが、戴冠なされてしばらくは、陛下も常に人型に変身されていたそうだ」
「それでは、どうして今は……」

 常に姿を変えることに疲れたのだろうか。
 マイリスは、けれど、と考える。
 魔術や魔法での変身自体で疲れるという話なんて、聞いたことがない。

「陛下のあの顔立ちを見たろう? 麗しき救国の女王と呼ばれる母君によく似ておられる、整った顔だ。おまけに真面目で女っ気は皆無とあれば、それはそれはモテたらしい。近隣の、下は三歳から上は三十歳までのありとあらゆる独身の姫からの婚姻を打診されたんだと、宰相閣下の爺さんが話していたことがある」

 ぽかんと目を丸くするマイリスに、団長はくっくっと笑う。

「もちろん、そういう姫たちの中から、年回りの合う妥当な相手を見繕うつもりだった。陛下も、まあ、これも王の義務なら仕方ないと腹を括ってそのつもりだったようだが……ある日、ふと、茶目っ気を出されてな」
「は? 茶目っ気ですか?」
「そう。婚約者候補を集めた夜会に、変身を解いた姿、つまり今の姿でいきなり現れたのだそうだよ」
「それは……」

 蝶よ花よと大切に育てられた人間の姫君には、なかなかにキツい体験だったのではないか。高貴な姫や深窓の令嬢というのは、鱗のある生き物をあまり好いたりはしないものだ。

「――その夜を境に、姫たちは皆、潮が引くようにいなくなってしまったそうだ。陛下も……宰相閣下の爺さんの言葉を借りれば、それですっかりヘソを曲げてしまった。この姿を受け入れられない伴侶など不要だ、とも言い放つくらいにはな」

 ああ、とマイリスも頷く。偽った姿でいくらモテても、虚しいだけなのだ。

「それ以来、いつでもどこでもあの格好で姿を見せるようになったし、二度と人型にはなってないと聞いている」
「そうでしたか」

 宰相の祖父の頃というなら、王もまだ若かったのだろう。結婚や女に対しても、多くの夢を持っていたかもしれない。
 そんなところにそれでは、王自身もキツかったのではないか。

「まあ、そういうわけだ。
 ところでエルヴェラム。そろそろお前の女友達やらがお前を訪ねたがっているんじゃないか、と宰相閣下が気にしておられるんだが」
「は、それですが……」

 マイリスは、親族や自分の知人の中に、鱗の平気な令嬢ははたして存在しただろうかと考える。
 ……マイリスの妹たちでも、トカゲや蛇はさすがに苦手だ。なら、王都から離れた、辺境育ちの令嬢ではどうだろうか。

「最初は私の親族でもよろしいでしょうか。
 私の叔母が西の国境近くに嫁いでおりまして、たしかその娘がそろそろ社交界に出ようという歳なのですよ。
 少々田舎に過ぎる場所で育ちましたし、陛下のお姿にもあまり動じないのではないかとも思いまして……私の妹たちと共に招待してもよろしいでしょうか」
「それで構わない。俺から宰相に話を通しておこう。日程は……そうだな、来月あたりどうだ」
「問題ないかと。では、さっそく、実家と叔母に手紙を送ります」
「ああ、よろしく頼む」



 それからさらにひと月。
 叔母一家を王都のエルヴェラム家の屋敷に招待し、さらに団長を通じて宰相とあれこれ調整し……慌ただしく日々は過ぎた。
 近衛騎士とはいえ、マイリスはまだ新人だ。
 主な任務が王宮内主要箇所の警備のみだから助かったものの、これが王の側付きの警備だったらさらに忙しかっただろう。

 準備がどうにか整った頃、王宮を訪ねた妹と従妹を迎え、テラスに設えたテーブルでしばしの歓談を始める。手はずどおりなら、宰相の手回しにより、このすぐ横の庭園を王が通りかかるはずだ。
 マイリスは茶を用意してくれた使用人に礼を述べて席に着くと、ちらりと妹に視線をやった。妹は、心得ているとばかりに視線を返す。
 すでに婚約者のいる上の妹にだけは今回の目的を伝えてあるから、王が来さえすれば、後は……後は王次第だろう。

 王宮へ来るなど、これが最初で最後かもしれないとはしゃぐ従妹にお茶とお菓子を勧めて、和やかにおしゃべりを楽しみながら、マイリスは時を待つ。
 従妹でも妹でも、うまくいけばエルヴェラムが王家と縁を結ぶことに変わりはない。こんな躍進のチャンスなど、これを逃せば二度とないだろう。
 どうかうまくいきますようにと、マイリスは祈る。



 ――楽しい時間は瞬く間に過ぎる。なのに、王が一向に現れない。

 何か失敗でもあったのか。宰相はいったいどうしているのか。

 内心でやきもきしながらマイリスはそっと庭園を伺った。きれいに手入れのされた芝生の上を、何かが動いている。
 緑一色の中に、キラキラと陽光を反射した細長いものが……いきなりこちらへと向きを変えて近づいてくる。

 マイリスは、あれはいったい何かと目を眇めた。
 急に黙り込んでしまったマイリスに気づいた妹と従妹が、怪訝そうにその視線の先へと顔を向ける。
 細長くて、キラキラ光って、にょろにょろと身体をくねらせていて……。

「――ひ」

 最初に、妹が息を呑んだ。

「や、へ……へ、び?」

 従妹がカタカタと震えだす。
 ひくひくと喉が痙攣し、今にも叫び出しそうな表情に変わる。

 マイリスがガタンと立ち上がった。
 びくりと飛び上がる妹たちに「大丈夫、私がいるから」とにっこりと微笑み、大股に蛇へ回り込んだ。
 いったいどうするのかと、固唾を飲んで見守る彼女たちの前で、目にも留まらぬ速さで蛇の襟首を鷲掴む。
 噛まれないようにしっかりと首を握り締めたまま、マイリスは困ったような引き攣ったような微笑みを浮かべた。

「驚かせたようですまないね。恐らくは王宮内の温室かどこかから逃げ出したんだろう。急ぎ、返してくるよ。
 フレドリカ、この後を頼んでもいいかい?」
「は、はい、お姉さま。だ、大丈夫ですわ。わたくしたち、こちらでもう少しおしゃべりを楽しんでいますから、早く返して差し上げて」
「では、皆はこのまま歓談を楽しんでいてくれ」

 マイリスは引き攣った笑みのまま一礼した。蛇は苦しげにマイリスの腕に巻き付き、締め付けている。
 やはり引き攣った笑顔の妹や従妹たちも、どうにか淑女らしくおとなしく座ってはいるが、手はカタカタと震えていた。



 マイリスは早足に歩き、適当なテラスから室内へと入り込む。
 この蛇はいったいどこから入り込んだのか。
 金と青と緑の入り混じった鮮やかな鱗は、この辺りでは見かけたことがない。
 もしや本当に王宮の飼い蛇だとしたら、飼育担当にもっとしっかり管理するよう、きつく言い渡す必要があるだろう。毒牙は抜いてあるのだろうが、蛇が危険な生き物だということに、変わりないのだから。

「――くっ」
「……く?」

 使用人を捕まえて、温室の場所を聞いて……と考えたところで蛇が奇妙な鳴き声を上げた。蛇の鳴き声? と、マイリスは立ち止まる。もしかして、この蛇は飼い蛇などではなく、宮廷魔術師か誰かの使い魔だったりするのだろうか。
 どちらにしろ、蛇を野放しになどされては困るのだが。

「く、るしい……離せ……」
「しゃ、喋った!?」

 が、蛇の言葉に思わずパッと手を離してしまった。腕に巻き付いたままケッケッと咳き込む蛇を、マイリスは気味悪そうにじっと見つめる。

「ああもぎゅうぎゅう喉を締められては、さすがの俺も死ぬかと思ったぞ」
「は、蛇が、なんで、喋る……まさか、魔物が、王宮に?」

 驚きに凝視するマイリスを見返して、蛇はシュウッと威嚇するように息を鳴らした。チロチロと舌を出し入れしながらじいっとマイリスを見つめて、「まだわからんか」と呆れたように目を細める。

「は?」
「お前、近衛のくせに、俺の鱗の色も覚えておらんのか」
「――は、鱗?」

 もう一度蛇の身体をしげしげと眺め、どこかで見た色合いだと考えて……マイリスは今度こそ大きく瞠目する。

「まさか、まさか……まさかまさか陛下!?」

 マイリスの顔からざあっと血の気が引いた。
 だらだらと冷や汗を垂らして直立不動の姿勢を取り……それから、慌てて膝をついて、相変わらず腕に巻き付いたままの王に頭を垂れる。

「なっ、なんと……不敬を……っ」

 蛇はもう一度シュウッと息を吐き、それから何か考えるように首を傾げた。

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