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怪物のいた村、1997

怪物のいた村、1997 第七話

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 酷薄な笑みを浮かべて僕を見下ろす岩肩の表情は、いままで想像してきたどんな怪物よりも僕に怪物を思わせた。彼は頭の中に描いていたどんな怪物よりも、小柄だったにも関わらず、巨大な化け物よりもずっと恐ろしかった。

「俺が怖い?」
「え、あ」
 と僕の口からは漏れるような音しか出てこなくて、首を横に振るしかできなかった。

「答えろよ……。いっつも、お前はそうだよな。俺の前だと、びくびくして。なぁ初めて話したの、覚えてる? 確か一年の時だよ。友達を作る自由時間でさ、俺が友達になろう、って手を出したら、すごい冷たい目で見てきて、どっかに行ったんだよな。お前みたいなやつが、俺に話し掛けるな、って感じだったよな。覚えてる?」
「お、覚えてない」

 そんなこと、あっただろうか、という以前に一年生の時の自由時間なんて何も覚えていなかった。

「そうだよ。やられたほうはいつまでも覚えてるもんさ。たとえばこの前の水のやつだって俺たちはたぶんすぐに忘れるけど、お前はずっと覚えてるだろう? それと同じだよ」本当にこれは岩肩なのだろうか、と思うほど、その時の彼は大人びて見えた。「あの頃、誰よりも偉そうにしてたのは、お前だったよな。三年くらいまではお前はいつも誰かを攻撃する側だった。俺は身長もでかかったから、標的にはならなかったけど、特に大木なんか――」
「やめてくれ!」

 僕のクラスにはひとり、不登校になっている生徒がいる。

「別にあれはお前だけが原因じゃないさ。でも、さ……。立場が変わった瞬間、いままでのことはなかったことにする。それって、ずるくないか。俺もお前も、大木も、立場が変わった瞬間、前の立場のことを忘れるか、忘れた振りをするんだ。卑怯だよな。俺にも腹が立つが、お前にはもっと腹が立つ。あぁ殺してやりたい、って」

 本当にあれは岩肩自身の言葉だったのだろうか。まるで誰かに操られていて、どこかで聞いた受け売りをそのまま口にしているようだった。

 誰か?
 それは、きっと……。
 なんとか立ち上がろうとする僕に、
 岩肩が飛び掛かってきて、レインコートごと僕の首を掴んだ彼の両手に絞められ、激痛とともに全身が熱くなる。その手に込められた力の強さに、僕は死の恐怖を感じた。怖い怖い怖い。それは水責めなんかとは比べものにならない。その手は明らかに僕を殺すために動いていて、どんどん力は強まっていく。

 嫌だ、死にたくない……。

「い、いわ、岩肩……!」

 嫌だ、嫌だ。……死ぬくらいなら。
 殺して……殺してやる――!

 僕は岩肩の股間めがけて、思いっ切り足を振り上げる。靴の先が掠めた程度でさほど痛みはなかったはずだが、予想外の反撃に彼の手の力が弱まったのに気付いて、僕は岩肩の顔面……目の辺りを思いっきり殴った。顔を手で押さえる岩肩を見ながら、自分の中に残る冷静な部分が、逃げるにはこれでじゅうぶんだ、と告げていたが、そんな冷静さなど、ほとんどわずかしかなく、僕の感情を支配する怒りと憎しみに抗えるようなものではなかった。殺せ殺せ殺せ。

 僕は岩肩の髪を掴むと、洗面所の鏡に向かって、彼の頭部を叩きつけた。
 鈍い音が響き、岩肩だったものが倒れ込む。

 だったもの、とその時点で判断してしまっていいほど、生きている気配がなかった。

 ひとはひとが思うよりも簡単に死ぬ。人間は勝手に自分だけは死なない、と思っているから、自然と他者もしぶとく生きられるものだ、と勘違いしてしまうが、死ぬときなんて、恐ろしく呆気ない。先生のそばで死が隣り合わせになった世界に身を置いた僕には、当たり前のことでしかないが、この時の僕はその事実が信じられなかった。

 殺しちゃった……。

 それが内心の呟きだったか、本当に口から出ていたかさえ分からない。死んだことが分かった瞬間、冷静さが増していき、現実的な恐怖に支配されるようになる。レインコートからは雨雫が垂れ、額からは汗がとめどなく流れ落ちてくる。

 僕はその場から逃げ出した。家を目指して、とにかく走った。その途中、僕は道端を歩くひとりの少年とすれ違った、それは久し振りに見る大木のような気がしたが、その場から逃げることにも精一杯で、顔をじろじろ見る余裕なんてひとつもなく、さらに雨の降る中、レインコートのフードをまぶかに被った状態では、どうもはっきりとしない。

 ただそれが誰にせよ、僕はすれ違いざま、その少年に、

 人殺し、
 と言われた気がして振り返ると、そこにはもう誰もいなかった。多分、幻覚で、幻聴だ。僕が人殺しだって、誰もまだ知るはずがないのだから。

「人殺し」
 と、僕は僕自身に呟いてみた。

 母が来るまで僕は、ただいま、も言わず、汚れたレインコートも脱がずに玄関で突っ立っているままだった。僕の顔を見た母は驚いた表情を浮かべていて、鏡を確認していないから分からないが、想像する限りよっぽどひどい顔をしていたのだろう。

「どうしたの?」
「何もないよ。本当に何も。ただ、転んだだけだよ」

 いつも通りの母への返事だ。だけど僕の声はいつもと違って、震えていた。
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