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<史上最悪の大津波から人々を守れ! 女流講談師が現代に語る偉人伝>
2015年、国連は毎年11月5日を「世界津波の日」に制定し、世界各国に防災意識の必要性を訴えた。
なぜ11月5日なのか。
その由来は、安政元年(1854年)に安政南海地震で和歌山県を襲った大津波である。
その大津波から大勢の民を救ったのは、一人の若き商人であった……。
地域の発展に尽くし、大災害から民を守り、さらには西洋医学の発展、郵便制度の策定など数多くの事業で日本の近代化に貢献し、海外進出の夢をも追い続けた、稀代の天才商人・濱口梧陵(はまぐち ごりょう)。
幕末の偉人たちもその才能と功績を高く評し、今なおその偉業は世界中でも語り継がれているが……。
実際にプロの講談師から講談を習っている座付き作家・紘野流が書いた、実際の講談の台本。
その紘野が敬愛してやまない偉人・濱口梧陵の大いなる偉業を、戦国時代より続く「講釈士 早鞆流」の継承者・女流講談師の早鞆あかりが、経営者やビジネスパーソンを前に熱く語り上げる!
【登場人物】
■話し手:早鞆あかり(はやとも あかり)
現役大学生の女流講談師。福岡県北九州市出身。
戦国時代より続く講談の流派「講釈士 早鞆流」の現在唯一の継承者。
若いながらも50以上の持ちネタを有し、新作講釈にも積極的に取り組む。
全国各地の事業者団体に呼ばれ、早鞆流に伝わる偉人伝を次々に披露する。
最近やYouTubeやTikTokなどにも講談の様子がアップされ、注目されつつある。
文字数 105,641
最終更新日 2026.05.31
登録日 2026.05.31
大阪夏の陣で命を落とす運命だった真田大助は、豊臣秀頼公から授かった宝刀によって窮地を脱し、芸州広島藩の山間の村へと落ち延びた。そこは、江戸幕府の監視下に置かれた土地。武士としての誇りを胸に秘めつつ、大助は村の警護役として生きる道を選ぶ。
一方、村では庄屋や百姓たちが協力し、厳しい自然環境や度重なる災害に立ち向かいながら、地域の発展を目指していた。領民たちと共に村の運営に力を尽くす中で、大助は武士としての鍛錬だけでなく、村人との絆を深めていく。
しかし、次第に自らの宿命と向き合う必要に迫られることとなる。果たして、彼は己の命と村の平和を守り抜き、新たな道を切り拓けるのか──。
*本作は歴史的事実に基づきつつも、フィクションとして再構成した物語です。
*この物語は、過去に執筆した原稿をもとに加筆・修正を加えた再編集版です。
文字数 108,128
最終更新日 2025.05.31
登録日 2019.10.19
蔵屋家は白鳳・飛鳥時代から続く豪族であり、その権勢は備後地域一帯を支配し領土としての荘園を持っていたのである。
小説『くらや物語』の始まりである。
この小説は史実に基づく作品です。
物語は筆者である蔵屋日唱が脚色を加わています。
最近は異世界転生関連の作品が多くなりました。
そんな中、日本の古代史と言える歴史小説も面白いと思い立ち執筆するものです。
幸い、このくらや物語は私のご先祖の話なので、非常に執筆し易い。
この作品は第12回歴史時代小説大賞のエントリー作品です。
どうか、沢山の皆様にお読み頂き、この作品を応援して下さいますようお願い申し上げます。
どうか最後まで、お楽しみ下さい。
令和八年五月二十六日
蔵屋日唱
(自宅書斎にて)
文字数 1,956
最終更新日 2026.05.26
登録日 2026.05.26
|下克上《げこくじょう》は、日本史に於ける下位の者が上位の者を政治的・軍事的に打倒して
身分秩序(上下関係)を侵し、権力を奪取する行為を指す言葉である。
有史以来、確実に下剋上と言える事例も多々存在する。例えば斎藤道三の美濃の国盗りは、典型的な下剋上の例である。しかしこの下克上は、旧・守護|土岐氏《ときし》の家臣たちの反感を招き、後に嫡男・義龍と敵対した際に、殆どの家臣が義龍の側につくという結果を招いた。
戦国時代の下剋上の最大の成功例は、織田信長によるものである。
信長は主君の下尾張守護代・織田信友を討滅し、続いて自ら擁立した尾張守護・斯波義銀を追放し、更には将軍・足利義昭も追放して、事実上その地位を奪っている。だが、信長自身も最後は下剋上で討たれ、そうした信長の姿勢は皮肉にも家臣の豊臣秀吉に継承されたのである。
ただし、下剋上が遍く日本列島全域に存在していた訳ではなく、東北地方は「下剋上のない社会」と言われるように地域偏差が存在したのも事実である。
実際に文禄・慶長の役のため肥前国名護屋城に駐留した陸奥国の戦国大名、南部信直は上方の武士から下剋上についてレクチャーを受けているのだ。
しかし、この風潮は徳川家康の下克上によって終止符を打たれた。
この小説は史実に基づく下克上を美濃国道三、尾張国信長、関白秀吉、そして関ヶ原の覇者家康までの長きにわたる戦国乱世の物語である。
現代もなお、斎藤道三を偲ぶ祭りがある。
『道三まつり』である。
現代に至ると、岐阜のまちづくりの基礎を成した道三の遺徳を偲び、昭和47年(1972年)から岐阜市にて毎年4月上旬に道三まつりが開催されている。
私は道三という人物像に触れ、歴史の重みを感じたのであった。
文字数 30,099
最終更新日 2026.05.04
登録日 2026.05.01
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