「強し」の検索結果

全体で295件見つかりました。
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地方の伝説を勉強しており、気になりましたので、その地域に向かい、地図や地域の古い名称、伝説を調べたものです。 小千(おち)とは、伊予国朝倉(いよのくにあさくら)の小千郡(おちのこおり)……現在の愛媛県今治市朝倉(えひめけんいまばりしあさくら)。 この地域を治める一族は、苗字も小千(おち)、その後越智と名乗るようになります。 この越智の姓は子孫が別れていくうちに、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の神職、大祝(おおほうり)家、伊予松山の河野家、村上水軍の村上家に分派していきます。 本格的にかければと思っています。 ・・・・・・・・・・・・・ 斉明天皇(さいめいてんのう)7年1月6日(西暦661年2月10日)……難波津(なにわづ)から船隊が出港した。 目的は、筑紫(ちくし)。 筑紫の朝倉橘広庭宮(あさくらのたちばなのひろにわのみや)への長旅である。 途中、伊予の大山祇神社に現在国宝の禽獣葡萄鏡(きんじゅうぶどうきょう)を奉納し、伊予の熟田津に降り、石湯行宮(いわゆのかりみや)に滞在して伊予の湯に入ったとの伝承があります。 伊予からはいつ旅だったかの日付はないものの、3月25日現在の博多の近くの磐瀬行宮(いわせのかりみや)に入り、5月9日に朝倉橘広庭宮に入ったとありますが、その後、7月24日に崩御。 当時、斉明天皇……姫天皇(ひめのすめらみこと)は68歳。 老齢の姫天皇は寒い冬、船から海を見つめていた。 自分の命が尽きるのが早いのか、何故、遠い筑紫までこの老婆を連れて行く息子がいるのだろう……と。 しかし、姫天皇が途中立ち寄った伊予にも、朝倉宮と呼ばれた場所があり伝承が残っていた……。 通説ではなく、地方に残る伝説にて、斉明天皇の晩年を書ききろうと思っています。 伝説に残るお話が一粒の夢になりますように……。
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文字数 29,146 最終更新日 2020.01.03 登録日 2017.05.20
 昭和18年、春。  瀬戸内海の小さな島で生まれ育った美春は、はじめてひとりで汽車に乗り、はじめて広島に降り立って、はじめて目にする大都会に圧倒された。 「新しく出来る家政女学校に通うんじゃけど、どこにあるんかね?」  駅前で案内してくれた千秋、路面電車に乗り合わせた夏子も同じ学校に通うらしい。 「勉強しながら働いて、お給金を貰えるなんて、夢のような学校じゃねぇ」  しかし入学式兼入社式で、美春は衝撃の事実を知らされる。 「うち、路面電車ちゅうのに乗るんかね!?」  ここは、広島電鉄家政女学校。  路面電車に乗って、少女たちの青春が走り出す。  楽しいことも、つらいことも、寂しい思いも分かち合い、淡い恋に心が躍る少女の日々は、たったひとつの爆弾が一瞬にして消し飛ばす。  何もかもが消えた広島で、少女は希望の光となった。  残酷描写のある話には※を付けます。
大賞ポイント 1pt
文字数 182,052 最終更新日 2023.06.22 登録日 2023.04.20
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