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「揉み療治など、神殿の品位に関わる。今日で終わりだ」
異世界に落ちて六年。元理学療法士の槙野康平は、王都の治癒院で「揉み係」と呼ばれてきた。治癒術で傷はふさがっても、膝が曲がらない、階段が怖い、剣が振れない――そんな患者を、もう一度歩かせ、走らせ、現場へ戻す仕事だ。患者が払う仕上げ料は銀貨三枚。マキノの日当は、人足より安い大銅貨八枚。そして手柄は、すべて主任治癒師のものだった。
クビを言い渡された日、膝を治したばかりの若い剣士が言う。「うちの町には、治ったのに戦えない人が三十人いるの」
辺境の町ハーゼル。ギルドの裏長屋には、治癒術で「治った」まま森へ戻れなくなった引退冒険者たちが暮らしていた。王都一の盾と呼ばれ、かばった相手にパーティを追い出された男。弓を引ききれなくなった女弓手。マキノは、三年ぶりに盾を握る男の膝を見て言う。
「十日ください。森大猪の突進を、もう一度受け止められる脚にします」
古傷持ちたちが、全盛期より強くなって森へ帰っていく。一方、王都では、仕上げを失ったA級パーティの膝が、静かに悲鳴を上げ始めていた。
※毎日更新です。
文字数 17,912
最終更新日 2026.10.18
登録日 2026.10.18
「時計のねじなど、従僕に巻かせればいい」
結婚四年目の記念日。夫のラウレンツ・シュタインフェルト伯爵は、約束の七時に二時間遅れて、幼馴染の未亡人ハイデマリーを連れて帰ってきた。そして言った。時計塔の上の君の部屋は、今日から彼女に使わせる。――ただし、今月の天文台への報告書は、いつも通り君が書いて私の名で出しておけ。
伯爵家は百二十年、王都の時計塔を預かる「時守」の家。けれど四年間、毎晩塔に上って振り子に油を差し、八日ごとに錘を巻き上げ、天文台の正午と三秒と違わぬよう時計を合わせてきたのは、時計職人の娘だった妻のティルダだった。
その夜、ティルダは最後の巻き上げを済ませ、時計塔の鍵を夫の机に置いて家を出た。父の残した小さな工房で、街の人の時計を直して暮らすために。
八日後、王都の正午の鐘が、十六分早く鳴った。
時刻のずれた街で、市場は揉め、手形の期限は消え、伯爵家には苦情の手紙が積み上がる。そこへ、壊れた航海時計を抱えた王立天文台長の公爵が、工房の扉を叩く。「この四年、あの塔の時計を合わせていたのは、君だろう」
塔の時計にねじはない。巻くのは錘だ。夫がそれを知るのは、もう少し先のこと。
文字数 9,593
最終更新日 2026.10.18
登録日 2026.10.18
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