おかえり

クスッと笑う「こんにちは」と「おかえり」の掛け合い

現在、私は仕事の関係上、主に東京で生活しています。しかし、月に一度か二度のペースで、法務(説法、法事、法要、お葬式などのお寺の仕事)のお手伝いのため東京から自坊(大見山 超勝寺)のある山口県へ帰省します。ただ、自坊が田舎に位置していることもあって、移動だけでほぼ一日が潰れかねないのですが、あまり苦には思っていません。それには理由があります。

自坊に着くと、景色一面に田んぼ、畑、山、広い空が広がっています。そこからは田んぼの手入れをしたり、畑の草取りを一生懸命している近所のおじいちゃんやおばあちゃんたちがいます。私は皆さん一人ひとりに大きな声で「こんにちは」と挨拶をします。その時、必ず帰ってくる返事が「おかえり」です。私はこの「おかえり」という言葉が聞きたくて帰省しているところもあります。

ここで少し不思議に思うことは、なぜ「こんにちは」と挨拶したのに、返事が「こんにちは」ではなく「おかえり」なのかということです。実は、これは私が昔から不思議に思っていたことの一つです。私の通っていた小学校は家から遠く、当時はバス通学でした。そして帰り道、バスを降りるといつも近所の方が畑で仕事をされている姿が目に入り、大きな声で「こんにちは」と挨拶すると、必ず田んぼや畑から「おかえり」と大きな声が返ってきていました。なぜ「こんにちは」という返答ではないのか疑問でしたが、この噛み合わないおかしな会話にクスッと笑いながらも、どことなく迎え入れられたような、自分の居場所に帰ってきたような、そんな居心地のよさを感じることができ、あまり気にしないようにしていました。

きっと田舎で生まれ育った方は、この情景がよく分かるのではないでしょうか。今でもたまに田舎に帰省して近所の方に挨拶すると、こちらは「ただいま」という意味で挨拶してはいなくても、「おかえり」という言葉をかけてもらい、どことなく安心するという経験をしていませんか?

この不思議と何か温かく包まれているような感覚を与えてくれる「おかえり」という言葉は一体何なのでしょうか? また、その言葉を口にする人々はどんな思いを持っているのでしょうか?

「おかえり」と言う言葉の本来の意味とは

私は高校卒業後、勉学のために地元を離れ、アメリカ留学を経由して地元に戻ってきて、はじめてこの「おかえり」には、とても奥深い意味と温かな気持ちが込められているということに気がつくようになりました。

アメリカでの生活を終え、帰国して一時的に地元に帰ったとき、たまたま畑の中で仕事をしていた近所のおばあちゃんに「こんにちは」と声をかけたことがありました。すると、しばらく見かけていなかったこともあって、私が誰なのか分からずちょっと頭を傾げて考えたようですが、私が誰なのか気がつくと「わ~、尚(なお)ちゃん(小さなころから近所で呼ばれる私のあだ名)、おかえり!!」と、近くまで寄ってきて、とびっきりの笑顔で迎えてくれました。そのとき、本当に戻ってきたという思いで、なんとも表現できない安心を覚えました。

「おかえり」という言葉とは、まさに「よく無事に戻ってきたね」「あなたを待っていたよ」「あなたには、そのままで帰ってこれるところがあるんだよ」というメッセージでもあるのです。「帰ってこれるところ」の「ところ」とは、家族の待つ家であったり、地元の地域であったり、「場所」をという意味もありますが、私は「あなたをあなたのまま、そのまま優しく迎え入れて受け止めてくれる人や空間」をも指すと思うのです。

「おかえり」を英語で考えてみると、日本語の「おかえり」という言葉の奥深さがよく分かります。「おかえり」は日本語の意味合いを考えて、英語では「Welcome back」(よく戻ってきたね)「Welcome home」(ようこそ家に)と翻訳されることがありますが、実はこれはとてもぎこちない表現です。余談ですが、「ただいま」は英語で「I’m home」と訳されることがありますが、これもおかしな英語です。ネイティブの方は、「おかえり」も「ただいま」も「Hey」「Hello」「Hi」という言葉のやり取りだけで済ませます。

私もアメリカにいるときは、学生寮で一緒に暮らしていた友人が寮に戻ってきたりしたときは、当然のように「Hey」と言っていました。笑ってしまうくらい短く、寂しい感じがしますが、それもそのはずです。なぜならば、アメリカの家庭では基本的には「ただいま」「おかえり」という言葉を交わす習慣がないからです。ひょっとしたら、例えば家族の誰かがどこかへ出かけても、「当たり前」のようにまた戻ってくる、それが普通、さらにはまず自分さえ安全に家に戻っていればよいというような思いが先行し、会話の言葉も簡素化されているのかもしれません。

お気付きのように、「Hey」「Hello」「Hi」や「Welcome back」「Welcome home」では日本語が持つ本当の「おかえり」の気持ちは決して伝わりません。私は、この英語では表することのできない「おかえり」に含まれている気持ちこそ、日本人の思慮深さを表していると思うのです。では、その表現できない思慮深さとは一体何かというと、それは「すべては当たり前ではない」(縁起)と「何がおこるかわからない」(諸行無常)という真理です。だからこそ、戻って来た方を見ると、無意識にも当たり前ではない再会が嬉しくて、また有り難くて「おかえり」という言葉が自然と口から出るのです。

「おかえり」の言葉をささえるもの

仏教的な立場から見ると、「おかえり」という言葉の根底には二つの仏教思想が流れています。一つは「縁起」(えんぎ)という教えです。これは、仏教の根本思想の一つで、この世には何一つとして独立して存在するものはなく、物も現象もすべてが繋がっているということを意味します。そして、もう一つは「諸行無常」(しょぎょうむじょう)という教えです。これは、すべてのものごとは移り変わり、現象としていつ何が起こるかわからないということを意味します。

昔の日本人は、日本ならではの四季折々の自然環境と生活の調和を大事にし、知恵を振り絞り、試行錯誤しながら生き抜いてきました。その中で培った数多くある産物の一つが、無意識にもこの二つの仏教の根幹思想を自覚し、世の中の真理を日常生活の中で理解することだったと思うのです。山、川、田んぼに囲まれた私の地元には、その習慣がまだ根強く残っています。だからこそ近所の人は、「よく無事に帰ってきたね」「また会えて、ありがたいね」という温かく深い意味が込められた「おかえり」という言葉を、「こんにちは」という挨拶の返答にされているのだと思うのです。これは西洋にはない、日本独自の精神文化です。

長い間、地元を離れ、近所付き合いもなく、「個」(自分)に固執するあまり、「他」(周り)への関心が薄れてしまった私自身、日本人が培ってきた「おかえり」という一つの言葉に含まれた奥深い意味と思想を噛みしめ、これからは私が「おかえり」という言葉をかけてあげられるようになりたいと思っています。まずは家族への気持ちのこもった「おかえり」から始めてみます。

次回に続く

大來尚順 新刊「端楽」好評発売中

ご感想はこちら

オススメ記事

まだ記事はありません。

「訳せない日本語 日本人の言葉と心」 記事一覧

プロフィール

大來尚順
大來尚順

1982年、山口県生まれ。僧侶でありながら講演や執筆、通訳や仏教家関係の書物の翻訳なども手掛け、活動の場を幅広く持つ僧侶。龍谷大学卒業後に渡米。米国仏教大学院に進学し修士課程を修了。その後、同国ハーバード大学神学部研究員を経て帰国。

ビジネスマンの悩みを仏教の観点から解決に導く著書『端楽(はたらく)』や、英語に訳せない日本語の奥深さを解いた『訳せない日本語』(ともにアルファポリス)が好評のほか、国内外を問わず仏教伝道活動を広く実践している。

著書

小さな幸せの見つけ方

「日常の中にある、普段は気づきにくい“幸せ”を再発見すること」をテーマとした、著者自身の実体験による24話のエッセイ。人間にとって本当の“幸せ”...

訳せない日本語

アルファポリスのビジネスサイトで大人気の連載がついに書籍化!! 正確に英語で訳せない日本語にこそ、実は日本古来の文化や習慣、日本人の「心」が息...

端楽

浄土真宗本願寺派の僧侶であり、ハーバード大学研究員の経歴を持つお坊さんが、「働く」ことを仏教的な視点から解説し、人が働くことの意味と意義における...
出版をご希望の方へ