東京ヤクルトスワローズ 髙津流マネジメント2025

髙津監督6年間の軌跡――
リーグ2連覇、日本一を振り返る

就任2年目で、見事日本一に!

――それでも、就任初年度となる2020年、コロナ禍で大混乱をきたした中で前年に続いて最下位となります。チームとしては2年連続の最下位で、ますますムードは暗くなったのではないですか?

髙津 でもね、監督として現場に立っていると、「そりゃ勝てないよな」と思うことはたくさんあったんです。例えば故障者が続出していたり、投手力に課題があったり、その年はホセ(・オスナ)も(ドミンゴ・)サンタナもいなかったので、外国人があんまり機能しなかったりとか、チーム編成も含めて勝てない要素がたくさんありました。まだ修正していくところ、やらなきゃいけないところがたくさん見つかったので、「逆にこれがクリアできたら全然勝てるんじゃないかな」という思いはありましたね。

――2年連続最下位ではあっても、野村克也氏の言葉を借りれば「負けに不思議の負けなし」だったというわけですね。でも、その翌年にはいきなり日本一になりました。この2021年シーズンは何が、どのようにうまくハマったと思いますか?

髙津 ……僕の考えが、より柔軟になった部分はあるのかなと思いますね。

――1年目はまだ凝り固まっている部分がありましたか?

髙津 というか、僕自身、よくも悪くもちょっと頑固なところがあるので、一つ信じたものはなかなかそこをブレることはないんです。逆に「これはダメだ」と思っちゃうと、ずっと「ダメだ」と思っちゃう。例えばこの年は、リリーフの起用法に関して、それまでの自分の考を覆してでも、選手の健康管理や肩の状態を最優先しました。「そこがチームの勝利に直結する」と思っていたので、今までやったことないこともトライしましたね。今、リリーフを例に挙げましたけど、それは戦術も、選手の起用法も、選手たちへの接し方も、ちょっと変わったかもしれないですね。2020年に比べて。

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プロフィール

髙津臣吾
髙津臣吾

1968年広島県生まれ。東京ヤクルトスワローズ監督。広島工業高校卒業後、亜細亜大学に進学。90年ドラフト3位でスワローズに入団。93年ストッパーに転向し、20セーブを挙げチームの日本一に貢献。その後、4度の最優秀救援投手に輝く。2004年シカゴ・ホワイトソックスへ移籍、クローザーを務める。開幕から24試合連続無失点を続け、「ミスターゼロ」のニックネームでファンを熱狂させた。日本プロ野球、メジャーリーグ、韓国プロ野球、台湾プロ野球を経験した初の日本人選手。14年スワローズ一軍投手コーチに就任。15年セ・リーグ優勝。17年に2軍監督に就任、2020年より現職。

著書

明るく楽しく、強いチームをつくるために僕が考えてきたこと

髙津臣吾 /
2021年、20年ぶりの日本一へとチームを導いた東京ヤクルトスワローズ髙津臣吾監...
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