――2021年、監督の意識が変わったということが直結したのかどうかはともかくとして、結果的に日本一になりました。監督としてのマネジメントがハマった、うまくいったという手応えはありましたか?
髙津 手応えは特にあったわけではないですけどね。結局、9月、10月のリリーフの使い方がうまくいったことが大きかったと思います。特にGTの6連戦ですね。その前の、広島での試合で今野(龍太)を最後に持っていって勝って、その次の週のGTに備えたとか、その程度だと思います。あとは選手がよく頑張ってくれたのがすべてだと思いますよ。
――21年10月5~10日、神宮球場で行われた巨人、阪神の6連戦を5勝1敗で乗り切りました。いずれも自慢のリリーフ陣が万全の状態での見事な勝利でした。あの年はシーズン中に先発の田口麗斗選手、アルバート・スアレス選手をリリーフに配置転換しました。シーズン中に後ろが厚みを増す作戦は、見事にハマりましたね。
髙津 でも、リリーフ出身の僕からしたら、「そこで引き出しを作っていかないと、そこで勝っていかないと……」という思いはずっとありましたね。それがいちばん僕のストロングポイントだと思っていたので、あのときは本当にうまくハマってくれたというか、うまく選手が機能してくれたというか、選手の力だと思いますけど、うまくいった9月以降だったんじゃないかな。
――その後、「絶対大丈夫」のスローガンとともに、就任2年目で早くも日本一になりました。そして、翌2022年もセ・リーグを制覇。この年は7月にはマジック点灯するなど、圧倒的な強さが印象的でした。
髙津 2022年は、自信はありましたね。2021年が終わって、22年はもう自信満々だったです。「絶対に負けない」と思っていたので。その自信が生まれたのは21年に日本一になったことが大きかったですね。
――この年は交流戦でも圧倒的に強かったし、マジックも早々に点灯しました。ただ、7月には監督自身も含めた、コロナでの大量離脱もありましたが、それでもセ・リーグを制覇します。
髙津 そうですね。現役時代もそうでしたけど、試合で投げているときに「もう今日は絶対に打たれないな」と思ってハマるときがあるんです。たとえ甘い球でもバッターが打てないとか、打ち損じたりとか。それは22年もそうでした。監督をやっていて、もちろん全勝はできないですけど、「まあ、負けないな」と思って見ていましたね。2、3連敗しても「すぐに4、5連勝できるんじゃないかな」と思っていましたから。だから、コロナでの離脱があっても、連敗があっても、まったく悲観することもなかったし、「勝てる」と思ってずっとシーズンを過ごしていました。確かに強かったな(笑)。
――6月10日からのみずほPayPayドーム3連戦では、ソフトバンクを相手に3連勝。王貞治会長に「スワローズのようなチームを目指さなければいけない」とまで言われました。
髙津 そうそう、あれは嬉しかったですね。あの頃は本当に強かったし、明るさ、貪欲さがあった。まさにさっき言った「絶対に勝てる」と感じながら戦っていた頃でした。
――この頃は、正力松太郎賞も獲得し、野球殿堂入りも果たし、まさに監督としての絶頂期だったように思います。
髙津 うん、そうですね。そのときもたまたま殿堂入りもさせてもらったので、21年に勝った自信を持ったまま、すごくいいシーズンを過ごさせてもらったのが22年ですね。
――しかし、日本シリーズではオリックス・バファローズに敗戦を喫し、日本シリーズ連覇はなりませんでした。先ほど、リリーフ陣の柔軟性についての話がありましたけど、22年の日本シリーズ、オリックスは好不調に応じて、次々とクローザー役の投手を変えていきました。一方のヤクルトはあくまでもスコット・マクガフ投手を起用し続けました。オリックスは臨機応変に対応し、ヤクルトはペナントレースの起用にこだわった。この点についてはいかがですか?
髙津 これはもう、僕とスコットの関係性ですよ。もう、絶対的な信用、信頼を寄せて、彼を送り出していました。その点についてはどうだろう、「柔軟でなかった」と言えば柔軟でなかったかもしれないですけど、僕は「それで負けても仕方がない」と思っていたので。

(第15回に続く)
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