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84 人らしさと火

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 植木鉢を倒さないよう、窓から数十センチ離れて夜叉彦が陣取っている。優しい男で、小さなサボテンに名前をつけて大切に育てたり、トイレの神様を信じていたりと、人間以外にまで優しさを振る舞うタイプだ。
 ガルドはそれを夜叉彦の長所の一つだと思っている。障害物のない射線を選びポジショニングしながら、優しい侍を盗み見た。
 肩にはおった朱色の着物は、ゲームのお約束でずり落ちることは無い。内側に着込んだタイトなボディスーツは和装がモチーフだ。白と黒で腰帯などの線を描いている。袴っぽさを出そうとしているのか、下半身はワイドパンツ仕立てだ。外国人が好むジャパンライクな装備は西洋鎧と違い軽やかで、ボリュームも控えめだ。
 そう思っていた矢先、姿勢を変えた夜叉彦の腰から伸びる長い刀の鞘が鉢をかすめた。かつん、と陶器のような衝突音がする。
 「あわわ」
 気付いた夜叉彦が慌てて一歩、窓から離れる。ギリギリのところだった。見ていたガルドもほっとするが、チェストの奥から非難の声がした。
 「おい!」
 聞きなれない声が強く聞こえ、気がそぞろになっていたガルドと夜叉彦が肩をびくりとさせた。しゃがれた声は、苦労してきた後期高齢者そのものだった。
 「そこのお前、すぐに離れろ!」
 気勢で強く出たというのが、若いガルドにもわかる。チェストの方を見ると、ぷるぷると震えながら隠れつつ怒声をあげる老人が夜叉彦を睨んでいた。顔すべては見えない。少しだけ出ているが、すぐに隠れられるよう腰を落としている。そして手には槍が握られ、その穂先にガルドは教科書を思い出した。歴史の、かなり最初のページに載っていた形だ。
 「槍って……マンモス狩りか?」
 「あー、人気だけどな。氷河期のゲーム」
 「フロキリのモンスターが相手となると、その装備じゃ厳しいな」
 「がはは! へし折れるなぁ!」
 のんきに仲間が笑うなか、ガルドは警戒したまま老人の持つ石器槍を観察した。信徒の塔で共通テーマにされている水晶と全く同じ、透き通った青色の石器ナイフがくくられている。工業製品ではありえないほど乱雑に、彫刻刀でけずったような細かい跡が残っていた。
 デザイナーが描いた装飾にしては、かなり不格好だ。付け根のヒモは赤の毛糸のように見えた。麻ヒモや革のロープでないところに違和感を覚える。
 「離れろ、って……コレ?」
 にらまれている夜叉彦は、男の視線など気にする様子もなく、植木鉢と男を交互に見る。
 「く、うう……」
 男は、何かに耐えるような声をだしながら、チェストの裏にゆっくり戻っていった。
 「……変な動き。敵対は無し? でも警戒されてるし、話しかけてきたり。これが大事ってこと?」
 「キーアイテムじゃないか?」
 夜叉彦がゲームシステムを評価するような語り口で言った。それに答える榎本も、サルガス相手にしていた観察と同じことをする。ガルドは首筋が伸びる感覚を覚え、それが緊張だと一拍あとで気付いた。
 特になにかを考えていた訳ではないが、ガルドは「そんな言い方は男に失礼だ」と思ったのだ。そしてすぐに「NPC相手に失礼もなにも無い」と思い直す。そしてガルド自身でも不思議なのだが、ふとあるを本気で信じはじめていた。
 「困ったな、拮抗状態か」
 「作戦通りでいいんじゃあないのか?」
 「うーん、怖がってる感じだしな……こっちに逃げてこられても困るよ」
 「む」
 「めんどいからさっさとトリモチでいいんじゃないか? なぁ」
 そう榎本に話をふられ、ガルドはとっさに「ああ」と返事をした。いつもの相づちだが、相棒はその二文字に眉をひそめた。
 「おい、どうした?」
 「ん、いや……」
 「気もそぞろ、って感じだな。なんか引っかかってんのか?」
 榎本の言う通りだった。狩猟槍を構えている男や、素朴で手作業の跡が残る部屋の様子に、ガルドはどうも引っかかっている。少しのあいだ無言で考え、なぜなのか結論が出ないまま、歯切れの悪い答えだった理由を榎本に説明した。
 「……サルガスと違いすぎる」
 ホームがある中央エリアのど真ん中に建つ、氷結晶城にいた犯人製NPCを思い出す。あれは非常に粗悪な出来だった。日本語も口語にするには固く、意味が通じない。洋服や武器のデザインは古風だったが、完成された一体感があった。まるで昔のキャラデザインを盗用したような、手抜きのせいで逆にご立派になったかのような服だった。
 目の前の老人は、チェストの影でまだ全身が見えないのだが、ちぐはぐな印象があった。手に持った狩猟民族の槍と植木鉢が、彼の大切なものキーアイテムらしい。信徒の塔の一階にいた乙女とは大違いだ。
 彼女の部屋は真っ白で、宗教を重んじているという設定に忠実だった。祭壇や水晶玉が大事だったはずで、老人の鉢植えへの執着は、ガルドにとっては唐突でちぐはぐに思える。
 そして何より、日本語が流暢だ。
 「サルガスはろくに喋れなかった」
 「ああ……それで今メロが苦労してんだもんな。確かに、同じGM犯人が作ったにしては、随分お喋り上手に出来てるな」
 榎本がガルドの意見に同調するが、それから話が広がるわけではなかった。そもそもガルドは疑問を持ってはいるが、目の前の老人を逃がすわけにはいかないのも、トリモチで捕まえ話しかけ、友好モードに切り替えてやるのも賛成だ。むしろそうしないなどとは考えていない。
 「アレより喋れるのは、質問しやすい。何を考えてるのか、役割がなんなのか……」
 「話せばわかる、ってか? だな。さっさととっつかまえるぞ!」
 「ああ」
 視界のすみで、マグナが弓をぎりりと引き絞っている。ガルドは、全力でトリモチを投げるための構えに入った。


 手はず通り、牽制から入る。マグナが打った弓はまっすぐチェストのすぐ脇を通過し、その背後にある部屋の壁に刺さった。ターゲットの老人には当たっていないが、その音と衝撃に奥から「ひぃっ」と悲鳴が上がった。
 「出てきたら頼むぞ」
 「ああ」
 トリモチは、アイテムのセオリー通りにリキャストタイムがある。一度使用したら、十五秒使えない。
 これがゲームならば急がず粘るだけだ。何度でも繰り返せる。だが今回は、なるべく早く決着をつけなければならない。逃げられたら二度と会えないかもしれないのだ。もちろん普段通り復活するかもしれないが、その保証は無い。アリスの不思議世界に出てくる時計ウサギのようなもので、彼がいないと話が進まないかもしれない。
 ガルドは大きな責任を感じながら、がぜんやる気になっていた。
 燃えるシチュエーションだ。サルガスのときも思ったのだが、ゲーマーとして「後に引けない戦闘」というのはゾクゾクするのだ。笑みを強め、舌で口のはしを軽く触る。
 一発の弓矢ではダメだったかと、マグナがもう一発を引き絞っている。今度の矢にはエフェクトが灯っていた。あまり強すぎるスキルだと倒してしまうが、現れたのは火の玉のようにぼんやりと浮き上がった赤の効果光で、非常に弱いものだとわかる。
 「よし」
 チャージもそこそこに、マグナが弓をはなった。先程の矢がまだ刺さる壁の、全く同じ場所に向かう。はりつめた矢が解放され、鋭い音がひとつ響いた。
 オブジェクトが被ったときの、グラグラとお互い競うように居場所を取り合うような、ゲームならではのダブり表示。それが数秒後には二発目だけに固定される。
 そしてあっという間に矢羽まで燃え上がった。
 この火は燃え広がることはない。これはただの効果ビジュアルで、そもそもゲーム空間だ。壁は壁紙の貼られた壁ではない。燃えるもので出来ていないのだから、当たり前のことだった。
 「あっあっあっ」
 慌てたような声に、マグナと、白い球を握るガルドが目を見張る。仲間の声とは大違いの、がらついた老人の声だ。こちらを警戒してなのか、頭は隠したままで必死に腕を伸ばし始めた。
 「……腕だけでも行くか?」
 「……どうするかな。動きが止まった時なら、イケるかもしれんが」
 二人で見つめるターゲットの腕は、火のついた弓矢に手を伸ばしていた。届くか届かないかのところで指がかすっている。
 NPC、AIだとすれば非常に高度に組まれている。まず、フィールドに置かれた道具を使おうとするのが高度な発想だった。その上、敵からのターゲットロックを警戒している。妥協案として「射程に入らないぎりぎりの場所」で止まっているのだ。ガルドは素直に感心した。
 まるで人間だ。
 「あっあっ……あれ?」
 老人は、突然なにかに気付いた。腕の動きが止まるかとトリモチを構えたが、あっという間に手はチェストの奥へ仕舞われる。頭が良い。舌打ちをひとつ、耳を澄ませた。
 彼はまだ、なにかをしゃべっている。
 「も、燃えないの? 火事は怖いが、ならない? なぜ。なぜだ。火の、かみさまか?」
 不思議なコメントだ。火のかみさまとやらがなんなのかは分からなかったが、引っ掛かっていたことの答えに思える。火が燃え移り火事になる、と予想できるなのだ。
 ガルドに先ほどの予感が再び走る。
 「寄る」
 「ん? お、おい!」
 ガルドはそう宣言し、後ろで慌てるマグナを置いてずんずん近付いていった。
 最前線でガードを担当するジャスティンと榎本の隣まで進み、並ぶ。二人は真剣に武器を構えているが、ガルドはトリモチを片手に棒立ちのままだ。
 「おうガルド、さっさと……」
 隣に立っている榎本がトリモチを一瞥し、それを投げろと催促してくる。が、ガルドはそれをわざと無視して質問に入った。
 「火事になると、困るのか」
 「は」
 榎本の間抜けた合いの手が入るが、そちらには目で一つ頷いて見せる。疑問というより心配するような表情の榎本に、思わず一瞬笑いながら老人へと向き直した。
 槍を持った男の睨む視線は変わらず、むしろさらに強く睨まれたが、ガルドは話を続けた。
 戦わずに解決させてしまうのは勿体ないが、もし彼が「ぷっとんが言っていた彼女の部下」であれば、ゲームのことをよく知らずに来ているかもしれないのだ。
 ここがアクション性の高いゲームを元にしていることを、彼は知らないかもしれない。そんな彼を、剣や弓で痛め付けるのは気が引けた。
 「ここはゲームだ」
 その言葉に首を伸ばした男の顔が、やっと全てチェストの影から出た。はじめてまじまじと見つめる彼は、空港にいたら忘れられないような風貌をしていた。
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