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3章 希う大学生編

来訪

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 新居にも少し慣れてきた12月初旬。僕は、啓吾と凜人さんから家事を教えてもらい、懸命に覚えている真っ最中。
 料理は危ないからと、必ず誰かが付き添ってくれる。早く、僕一人でできるようにならなくちゃ。

 そんなある日、畳んだ洗濯物を抱え皆の部屋にお届けしていると、八千代の部屋から荒々しい声が聞こえた。

執拗いしつけぇんだよ。来たら対処すっから何回も連絡してくんな」

 電話を切ったのだろう。特大の舌打ちと『うぜぇ!』が聞こえた。
 僕は心配になり、控えめにノックしてみる。謝らなくちゃいけない事もあったんだけど、今で大丈夫かな。

「八千代、大丈夫?」

「あ? あぁ、問題ねぇ。桜華が執拗いしつけぇからイラついてた。ビビったんか、わりぃな」

 ドアを開けて覗き込むと、八千代はベッドに座って盛大にイラついていた。スマホが枕に刺さるように投げ置かれている。
 ジーンズに黒シャツを着て、伸びた髪をハーフアップにしている八千代。眉間に皺を寄せた表情が、なんともカッコイイんだから心臓が持っていかれる。
 けれど、僕を見るなり表情が和らぐ。まったく、豹変ぶりがエグいんだよ。

「そっか。大丈夫ならいいんだけどね。ビビったんじゃなくて心配になっただけだよ」

「そうかよ。お、洗濯物さんきゅな」

 お届けに来た洗濯物を受け取ろうと、八千代が手を伸ばしてくる。けれど、まだ渡すわけにはいかない。

「うん、でもね····」

「どした?」

 僕は意を決して、小さく縮んだ八千代のタンクトップをペらっと広げて見せる。八千代はそれを手に取ると、『またかよ』と笑って僕を見あげた。
 そして、洗濯物を受け取り床に置くと、僕の腕を引いて抱き寄せる。

「──んわぁっ」

 腰をグッと引き寄せると、僕を抱えたままベッドに倒れ込んだ。

「ひあぁっ! もう、危ないなぁ」

 ガバッと一瞬のうちに正常位の体勢へ持ち込まれた。片手で右の腿裏をグッと持ち上げ、反対の手で左の手首を顔の横に押さえつけられる。
 そして、僕が不安いっぱいの顔で見上げると、八千代はキリッと真面目な顔でこう言った。

「なぁ、俺は何があってもお前しか愛してねぇからな」

「はぇ!? なっ、急にどうしたの?」

「んゃ、無性に言いたくなった。服、全部っこくなる前に洗濯できるようになれよ」

 少し険しい表情を崩さないまま、軽く咎めながら僕の首筋に吸いつく。

「ごめ··、んっ、意地悪言わないでよぉ····」

「アホか、愛でてんだろうが。····あー··やべぇな。もう服くらいなくなってもいいわ。結人、愛してる」

「んへへ♡ ホントにどうしたの? 変な八千代。····ねぇ、何かあるなら言ってね? 僕、ほら、その··ね、“奥さん”なんだから。僕にできる事、何でもするよ。できない事でも頑張るからね!」

「ん」

 額に触れる唇が熱い。そこにばかり、何回キスする気だろう。

「んっとに··頼もしい嫁だな。頼りにしてんぞ」

 なんて言って、いつも何も言ってくれないくせに。今だって、きっと何かを隠してる。けれど、八千代から言わないのなら無理には聞かない。
 が来れば、ちゃんと話してくれるだろう。今は八千代のタイミングを待つしかない。



 それから数日後。夕方、八千代とスーパーへ買い出しに行った時の話。

 荷物持ちに啓吾がついて来た。と言うか、八千代が『デートすんぞ』なんて言うから、啓吾が半ば強引に車へ乗り込んできたのだ。
 スーパーに着くまで、八千代と啓吾がずっと揉めていて煩かった。どうでもいいけど、僕は早く帰って夕飯を食べたいんだよ。
 お昼が早かった上に、おやつを食べる暇がなかったからお腹がペコペコなのだ。その所為で、不機嫌に『煩いなぁ』と言ってしまった。
 空腹で機嫌を損ねる僕に『子供かよ』と言って、2人は何故だか幸せそうに笑う。こんな事で2人の機嫌がなおり、車内が静かになるのなら安いものだ。

 買い物の途中、試食コーナーがあったのでウインナーのチーズ焼きをいただいた。僕が凄く美味しいと言ったから、夕飯にしようと言って大量の材料を買い込む啓吾。
 次の試食コーナーにはサイコロステーキが。ほっぺを抱えて唸っていると、八千代がバカみたいにカゴに突っ込むものだから、それは流石に止めた。
 うちの食費は、僕の所為で大変な事になっているのだろう。かかっているお金に関しては、絶対に誰も教えてくれないけど。
 最近は、それが少し嫌になってきている。なんと贅沢な不満なのだろうか。


 買い物を終え荷物を車に積み込んでいると、女の人がまっすぐ僕たちを目掛けて歩み寄ってくるじゃないか。その人は、ハイヒールの音を響かせ僕たちの傍で立ち止まった。そして、八千代に向かって声を掛ける。

「お久しぶりね」

 上品な雰囲気で、身長が僕と変わらないくらいの女性。柔らかそうなブロンドの髪に、キラキラ輝く薄茶色の瞳。ハーフっぽく、お人形のように可愛らしい人だ。

「あ? 誰だお前」

 この返事で雰囲気が一転。腰に手をあて、胸を張って少し仰け反る。八千代をジトッと見あげ、高飛車という言葉がピッタリハマるような態度だ。
 そして、イラつきを隠そうともせず、荒々しい話し方で返してくる。

「は? ふざけてんの? 私は星川ほしかわミア。アンタと結婚する女よ、八千代」

 彼女が『八千代』と発した瞬間、八千代がコートの襟を掴んで締め上げた。

「ぅ··っく····」

「八千代! 女の子にそんな事しちゃダメ!」

 僕が叫ぶと、八千代は投げるように突き放した。
 その人はフラッとよろけ、涙目で八千代を見上げる。

「何勝手に名前呼んでんだテメェ。俺の名前呼んでいいんは嫁だけなんだよ」

 凄い拘りだな。女の子の胸ぐらを掴む程なのか。けど、そう言われれば杉村さんですら、『ぼん』とか『若』って呼んでたっけ。
 ミアと名乗ったその女性は、僕をキッとひと睨みしてから、ひるまず八千代に食ってかかる。

「あの子は!? 今呼んだでしょ!」

「チッ··、テメェに関係ねぇだろ」

「関係あるわよ! アンタは私と結婚の約束をしてるのよ!?」

 結婚の約束····。元カノなのかな。でも、八千代は僕以外と付き合った事がないと言っていたはず。だとしたら、一体どういう関係なのだろう。

「俺はテメェなんか知らねぇ。記憶にねぇ。結婚もしねぇ。消えろ。次顔見せたら殺すぞ」

 毎度の事ながら、八千代の記憶には何人の人間が存在するのだろう。直近の人しか記憶にないのかな。
 それにしたって、八千代は女の人にも容赦がないんだから。見かねた僕は、八千代の腰にパンチして落ち着かせた。

「ってぇな。ぁにすんだよ」

 痛くなんてないくせに。僕の膨れた頬を見て、側頭部の髪を掻き荒らす八千代。言いたい事は伝わっているようだ。

 僕は、涙目で反抗的な彼女に手を差し出した。大丈夫。堂々と、自己紹介をするんだ。

「初めまして。八千代の嫁の結人です。貴女が八千代とどういう約束をしたのかは知らないけど、八千代は渡しません」

 言えた。噛まずに言い切った。皆の様に、凛と立ち向かえているだろうか。正直言うと、膝が震えてるんだよね。
 できれば穏便に済ませたかったのだけれど、彼女は握手を拒み好戦的に返してきた。

「は··? アナタ男よね? 何の遊びかは知らないけど、私達は親同士が決めた許嫁なの。アナタに入る隙はなくてよ?」

 高圧的な彼女に、僕はありのまま伝える事にした。

「ちゃんと八千代のご両親にも認めてもらってます。それに、僕たちもう一緒に暮らしてて、僕たちの間に入れないのは貴女の··ほう、です····っ」

 僕が言い切る前に、ミアさんの平手が僕の頬に迫る。けれど、啓吾が僕を後ろへ抱き寄せ、ミアさんの手は八千代が掴んで止めた。 

「っぶね。いきなりビンタかよ。おい場野、その女マジでなんなの? 元カノだったらちゃんとしろよ」

「元カノなワケねぇだろ。マジで知らねぇ······いや、あー··星川つったか。テメェか、桜華が言ってたクソ女」

 まったく、口が悪すぎるよ。それに、桜華さんが“クソ女”だなんて、言うはずないじゃないか。
 八千代には軽く注意してから、場所を変えて人の少ないカフェで話を聞く事にした。

 円形のテーブルに、僕とミアさんが向かい合い、八千代と啓吾がミアさんから守るように僕を挟んで座る。臨戦態勢が過ぎるよ。
 そして、席に着くなりミアさんは、僕に鋭い視線を向けて話し出す。口調がキツくて怖いんだけどな····。

「それで、さっきの話は本当なの?」

「ほ、本当です」 

「だったら····ねぇ、諦めさせる為に言ってるんじゃないって証拠、見せなさいよ」

「証拠····」

 僕が“証拠”を探しキョドキョドしていると、偉そうに足を組んで仰け反って座っていた八千代が、ポケットに両手を突っ込んだまま圧を放ちながら立ち上がった。全員がビクッと小さく跳ねる。
 そして、僕の隣に立ち後頭部をガシッと掴むと、濃厚なキスをかましてくれた。遠慮もなく舌を絡めてくるものだから、耐えきれず甘い声が漏れてしまう。

「ひゃ··八千代ひゃひぉ····しょと····」

 僕が腕をひしっと抱き締めて言うと、そっと唇を離した。無表情で僕に視線を置いてから、ジトッとミアさんへ送る。

「こんで満足かよ」

 片手はまだポケットに突っ込んだまま、僕の顔から手を離さないで言う八千代。心臓が飛び出そうなくらいカッコイイんだけどね、わなわなしているミアさんを煽ってどうするんだ。

「あっ、アンタたち····馬鹿じゃないの!? 公共の場で何シてんのよ!? ····って、ちょっと、アンタはどこ行くのよ。ねぇ!」

 ミアさんがわーわー喚いているけれど、啓吾は無視してこれまた僕の隣に立つ。もう··、僕の旦那さんたちは、どうしてポケットに手を突っ込んでいるだけでこんなにカッコ良いんだ。
 あぁ、もうダメだ。ふわふわした頭では、まともな思考など到底期待できない。だって、人目だとかそんなもの、啓吾のカッコ良さで吹き飛んでいるんだもの。
 で、同じように甘いキスで蕩けさせられた。唇を離すと、啓吾はミアさんを見てこう言い放つ。

「そんで、こういう事だから。つか調べて来てんじゃねぇのかよ。あんね、アンタが思ってるよか俺ら乱れて愛し合ってんの。どう頑張っても入る隙なんかないからさ、さっさと帰んなよ」

 飄々とした雰囲気なのに、随分と威圧感のある物言いをする啓吾。腹を立てたミアさんは声を荒げた。

「なっ、はぁ!? どういう事なのよ。ちゃんと説明しなさいよ!」

 面倒そうに、啓吾が現状を説明する。それを聞いたミアさんは、顔を真っ赤にして怒っているじゃないか。
 僕としては、ミアさんと八千代の関係について聞きたいのだが。どうやら、今はそういう雰囲気じゃなさそうだ。

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