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参幕 バイバイ

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「カーテン開けるよ」

「……うん」

 昨晩、病院に担ぎ込まれたらしい。悟を病院に連れてきたのは、20代の女性だったという。女性は、意識を失っていた彼と一緒に病院までは来ていたが、医師の診察や検査が始まると、いつの間にやらいなくなっていたそうだ。

 20代の女性は、道に倒れていた悟を見つけて救急車を呼び、病院まで付き添って姿を消したそうだ。彼は現在一人暮らしをしており、親権者に当たる古見皐月ふるみさつきに連絡が入ったのは、彼の所持品の財布の中に、親権者の情報があったからだった。

「良かったね、親切な人がたまたま通りかかって」

「……そうだね」

 遭遇した女性ではないことは分かっていたが、詳しく説明すれば自分も不利益を被りそうだったので、皐月には何も話さなかった。

「だいぶ衰弱してたみたいだけど、目立った怪我もないみたいだし、数日で退院できるそうよ」

「目立った怪我……ね」

 皐月はボーっと窓の外を眺めている悟を心配しながら、掛けてあった学生服の上着が、ハンガーからズレていたので、掛け直していると、一枚の写真がひらひらと床に落ちてきた。

「……悟、あんた、姉さんの写真持ってたんだ」

「伯母さんのアルバムから、一枚盗った」

「まあ、それは別にいいんだけどね……」

 写真に写っている長い黒髪の女性は「古見梓ふるみあづさ」、悟の母親だった。母親は悟が5歳の頃に、幼い彼を残して失踪した。生きているのか、死んでいるのかも分からない。
 
 妹である皐月も、姉の梓が失踪したその日、悟を一日だけ預かって欲しいと、連れて来た日に会ったのが最後で、それ以降は一切連絡が取れていない。それからもう12年が経過していた。
 
 皐月は悟が不憫で仕方がなかった。皐月にも子供がいたが、夫が他界しており、生活に余裕は無かった。しかし、身寄りをなくした悟を引き取って、今まで育ててきた。
 
 悟は姉に似て、すごく綺麗な顔立ちで、小さい頃から異性にモテた。でも、全く喜ばないし、無関心だった。常に興味がないと言わんばかりの反応で、バレンタインにチョコを貰ってきても、自分はチョコレートは嫌いだから食べないと、皐月や義理の妹に全部渡した。
 
 いつも空虚な表情で、どこか母親を求めているような、寂しそうな顔をしていた。でも、皐月が母親の話や、愛を語るような映画やドラマの話をしていると、決まって不機嫌になる。



「おーい、生きてるかぁ?おにい」

「生きてるよ」

「おにいは、夜遊びし過ぎだよ~。最近、家にも全然顔を出さないしー 」

 義理の妹の七海ななみが元気に病室に入ってきて、置いてあるお菓子を勝手に食べ始めた。

「食ってばっかだと太るぞ」

「太りません~。ナナは運動部だからね! 」

「はいはい」

「そういえば、さっきさぁ、病院に来る途中で、見覚えのある人がいたんだけど……誰だったかなあ? 」

 七海はしばらく唸りながら考えて、思い出したのか、また話し始めた。

「そうそう、あの子だよ!か…… 」

「七海!」

「あ、ごめ…… 」

 皐月に注意され、七海はそれ以上話すのを止めて、別の話に切り替えた。今日部活であった事とか、必死に他愛もない別の話題を話し続けた。

「そういえば、おにいの高校の先生、今日いきなり辞めたんだって。マユが教えてくれて…… 」

「辞めた……? 」

「えーと、マユのお姉ちゃんの、クラスの副担任。ほら、数学の。ナナは見たことないけど…… 」



「あのやろう、ふざけんなよ…… 」

 悟はベッドから這い出ようとしたが、2人がかりで止められた。こみ上げる怒りで、肩をブルブルと震わせながら、悟は独り言を繰り返していた。


「おにい、ゆっくりやすんでね…… 」


 *****


 茜は一人、小さな手荷物を抱えて歩いていく。自分が借りていたマンションは、数日前に同居人の男に名義を変更していた。
 
 同居人の男は、変わった趣向があり、女だけでなく男も抱く。見た目が逞しくて良かったから、という短絡的な理由で、3か月前から付き合っていた。男はクラブで知りあった、自称ダンサーだった。定職に就かないわりに金回りがいいから、何か裏稼業でもしているのだろうと思っていたが、大して興味が無いので詮索しなかった。
 
 同居人の男が時折連れてくる中年男は、仕事の関係者だと言っていたが、この男もまた、素性が明らかではない。地下アイドルのプロデュースをしていると、自分で言っていたが、信憑性は皆無だった。
 
 時々マンションに酒を持って遊びに来ては、自称ダンサーの男と茜がヤッていると、色白中年男も参加してきて3人でいた事もあったが、マンネリ化してくるとつまらなくなってきた。
 
 茜自身も、自分の人生に意義を見いだせないまま、今年で26歳になった。教職員というお堅いイメージの仕事をしていたからか、世間体を保つには事欠かなかったが、時々いかに自分が壊れた人間であるかという事を、思い知る瞬間がある。
 
 つい先日、自分の教え子をハメた事もそれに当たる。茜はおそらく、一年ぐらい前に完全に壊れてしまったのだ。そう感じていた。


 

 いくつか電車を乗り継ぎ、市街地から離れた片田舎にやって来た。茜は新しく契約して、今日から住む予定の賃貸アパートに向かう。昨日のは、自分が仕掛けた最後のエンターテイメントだった。
 
 教職員を辞めて、違う土地に引っ越す事を前提として用意を進めて、最後に「心残り」がないようにイベントを開催した。
 
 実は最後の最後まで、イベントを実際に行うかどうかを悩んでいた。だが、「心残り」があってはいけないので、決行した。やっぱりやってよかったと、茜は清々しい気持ちでいっぱいだった。


 *****


「205号室ですね、あちらを真っ直ぐ行って、突き当りの左側のお部屋です」


 ナースステーションにいる看護師に軽く会釈をすると、茜は通路の一番奥にある部屋に入る。部屋の中に入ると温かい太陽の光が差し込んでいて、ベッドにいる一人の少女が、入口にいる茜を見た。

 茜はニッコリと微笑むと、少女のベッドの脇にある椅子に腰掛けた。


花純かすみ、会いに来たよ」


 
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