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カディス

41.船出(5月27日)

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マリアの葬儀を無事に終えた俺達は、ガルシアと姓を変えたアロンソと別れて船上の人となった。

俺達が乗り込んだ船は大きな三角形の帆が二枚備わっていた。全長20メートルに全幅6メートルほど。とすれば排水量は50トン程度だろう。バルコと呼ばれる手漕ぎのボートが一艘積まれている。
サイズ感は千葉にある某テーマパークの内海に停泊している小さい帆船と同じくらいだ。あまり詳しくはないが、元の世界ではラテン式キャラベル船と呼ばれる沿岸輸送船だろう。

そう、輸送船である。客船ではないから、当然客室のようなものはない。辛うじて船尾甲板の下に船長室が一部屋あるようだが、それ以外は船首甲板の下に水に濡れないスペースがあるのみ。貴重品は船長室で保管されているようだ。満載された荷は船底に山積みされている。

俺達はその荷の僅かなスペースを見つけて居場所を確保した。周囲では20名ほどの乗組員(水夫と表現するべきか)が慌ただしく動き回り、出航の準備を進めている。
その邪魔にならない場所に腰を据えようとしたのだが、何事にも興味津々のカリナには俺の配慮というか遠慮は通じなかったようだ。あっという間にカレイラを連れて甲板に上がっていった。
こうなると手持ち無沙汰になるのは俺である。
これが公共交通機関ならばスマホゲームに興じるのだろうが、生憎とここは異世界である。WiFiはおろか電波すら飛んではいない。
仕方ないから人間観察に勤しむことにする。

船に乗ったのは乗組員と俺達の他は2人だけだった。2人ともまだ若そうに見えるが着ている服はきちんと整っている。商人だろうか。お互い顔見知りらしく、船首甲板の下に座り込み談笑している。荷主というわけでもなさそうだから、満載の荷の荷主はこの街に残っているのだろう。
それもそうである。元の世界でも何十年か前までは生まれ育った場所から遠く離れた場所に移動するのは一大イベントだったはずだ。この世界の何を知っているわけでもないが、数日間暮らした感じでは文明水準は中世より少し前のヨーロッパのそれである。徒歩以外の移動手段が馬か馬車、船しかないのであれば、一般庶民には長距離の移動は困難だろう。

「そういえば、山向こうのナバテヘラでは大騒ぎだったそうですね」

「これから船出する身としては、カラレオナからの急報のほうが気になりますな。ティボラーンに襲われた船があるとか」

「確かに。船なんか襲ってどうするのでしょうか。獲物なら船上の人間よりも、同じ海中のイルカやサメのほうが食べ応えがあるでしょうに」

「まったくです。いやはや、魔物が考えることなど、ただの人間にはわかりませんな。どうせ魔物など出ないと高を括って沖に出過ぎたのでしょう」

「エステバンさんは向こうの海を見たことがありますか?」

「ありますぞ。オスタン公国から仕入れた荷を、カラレオナ経由でナバテヘラで売り捌いたことがありましてな。いや、ここデニアの海とも負けず劣らず美しい海でした。だからこそ、ティボラーンなどという恐ろしい魔物が出たことが悔やまれます」

「なるほど。私は山向こうには行ったことがありませんので、少々恐ろしいです」

「何をおっしゃる。私より3つも若いのに、エルレエラからカディスまで足を運ばれるではありませんか。あと3年経ったらどこまで商域を拡げられるのか、これはうかうかしてられませんな!」

「いえいえ、日々修行と思って背負えるだけの商品を扱っています。今はただの行商人ですが、近いうちに店を構えたいものです。そしてあれぐらいの山積みの荷を扱うのが私の夢でして」

「そうなれば各地に部下を派遣して商品を集め、港から港へ、街から街へと送り出すだけで富が手に入りますからな!」

「もちろん富もですが、それよりも商才一つで人々や街を動かしてみたいのです。この街の代表、ドゥラン家のように」

そんな会話が耳に入ってくる。
なるほど。荷と共に動くのが行商人、各地の港や街に店や支店を構えて商売をするのが商人なのか。確かに転移魔法や収納魔法は喉から手が出るほど欲しいだろう。収納魔法はバッグやポケットにも付与できるが、転移魔法はどうなのだろう。例えば一回だけ決められた場所に転移できるような魔法に改造して巻物に付与したら売れるだろうか。

甲板上での乗組員達の動きが一層慌ただしくなる。
大きな音は渡し板が外された音だろうか。

「錨を上げろ!舫綱を解け!」

船長らしき男の声が響く。
しばらくすると沖の方に船体が動き出す加速度を感じた。

「ほらほら!カズヤ!上に来て!船が動くよ!」

「船首側なら邪魔にならないらしい。船長の許可も出ている」

カリナだけならともかく、カレイラまでもが頭上から手を差し出している。船上という異空間で態度が軟化しているのか。
いくら普段の態度がアレだからといって、差し出された手を振り払うほど俺は子供ではなかった。そもそも相手は魔法師とはいえ声変わり前の少年だ。大の大人が毛嫌いしては、彼の今後の人格形成にも影響しかねない。

「わかった」

そういって2人の手を取って立ち上がる。
カレイラの手がカリナに負けず劣らず柔らかいのに少々違和感を覚えた。

◇◇◇

船首甲板に続く梯子を登り甲板に出る。
船首に仁王立ちする赤銅色の肌の偉丈夫はこの船の船長だろう。頭に巻いた布から溢れた髪と蓄えられた髭には少々白いものが混じっている。

「船長のプラドだ。元気な嬢さん達は大歓迎だが、はしゃぎ過ぎて海に落ちんようにな!」

灼けた頬と前腕には大きな傷があるその男は、鋭いながらも柔和そうな相貌で俺達を見据えた。

「ああ。よろしく頼む」

頭を下げ、そして上げた時にはプラドはもうこちらを見てはいなかった。

「船尾側!力を入れろ!ケツが振れとるぞ!」

海面に響き渡る声で叱咤する先には、二艘の手漕ぎボートが船を引っ張っていた。

「船って帆で進むんじゃないんだ。まだ帆は張らないの?」

カリナの質問にプラドがフンッと鼻を鳴らして答える。

「波止場で風を受けると船体の制御が難しいからな。そもそも今回の出航は午後一番、ちょうど海風も陸風も止んでいる。もう少し待てば陸風が吹くが、波止場を離れて安定するまではバルコに曳航させる」

「逆に波止場に着く時はどうするのだ?今の話ではガルチェに着くのは陸風が吹く最中なのでは?」

「この船は逆風でもジグザグに進めるからな。斜めからギリギリまで波止場に近づいて、最後は向こうのバルコで波止場に押し付けるようにして止まる」

「へぇ~!すごいね!」

カリナの言葉の末尾に“おじいちゃん!”という単語でも聞き取ったのだろうか。プラドは一層声を張り上げた。

「よぅし!バルコ離れろ!戻ったら一杯奢るからな!野郎ども!帆を張れ!出航だ!」

こうして俺達は船上の人となり、ガルチェ経由でカディスへ、トローなる魔物の巣が出来たとされる地へと向かいはじめた。
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