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怪盗・青蜥蜴

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 世の中の関心事が『怪盗・青蜥蜴あおとかげ』で大半を占めるようになったことを忌々しく思いながら、桂木雪森かつらぎゆきもりは、すっかり日が落ちて人気のない路地を直進していた。
 昭和十年、巷を騒がせているのは、日本が国際連盟を脱退したことでも、満州国皇帝来日の一報でもなく、最近何かとうるさい無政府主義を唱える革命家の演説でもない。
 華族や新興成金の邸宅にまるで風のように押し入り、塵のように消え去るその手管で、現金には目も呉れず美術品ばかりを窃盗する不届き者のことだった。
 東京中の人々が青蜥蜴に心酔する理由は、彼が変装の名人、この一語に尽きる。
 まったくもって、得体の知れない奴だ。  
 老若男女。貴族、商人、学者、無頼漢、浮浪者……上げれば切りがない。全くその人物に成り済まし、見事に人々の目を欺く。
 しかも、血みどろが嫌いなどと紳士ぶって、残酷な振る舞いは一度としたことがない。
 悪党でありながら人々の人気をかっさらい、お陰で警察の面子は丸潰れだ。
 雪森が気に食わないのは、硬派でならす剣の師範代までもが青蜥蜴に酔いしれ、門下生らとまるで井戸端会議と変わりない有り様となっているからだ。
 男たるもの、くだらない噂話に振り回されるとは。
 情けないにもほどがある。
 雪森は鼻息荒い道場の連中を思い出し、いらいらと奥歯を噛んだ。
 今日の稽古がそっちのけになったのは、その青蜥蜴がとうとう拘置所にぶち込まれたと、通信社が書き立てたからだ。
 人々の関心事はまだまだ続きそうだ。
 だが、これで世の中は一旦は落ち着きを取り戻すはずだ。
 それなのに、やたらと町を駆けずり回る制服警官の多いこと。
 今しがたも、粉塵を巻き上げる若い警官と擦れ違った。そのどれもが切羽詰まった鬼の形相で、これは只事ではないな、と眉をひそめたところだった。
 また一人、今度は外套を着込んだ中年が前方から駆けてきた。
 雪森はそれが見知った人物であることに、ひょいと片眉を上げ、軽く手を挙げた。
「大河原警部」
 ちょび髭に、白いものが混じった髪を鬢付け油で後ろに撫でつけた、蝶ネクタイの洒落っ気のある刑事だ。五十代半ばの大河原は足を止めた。
「これは、これは。桂木の坊っちゃん」
 父とはかつて帝学の同窓であったため、雪森とも懇意だ。
 大河原は険しかった表情を緩め、大黒天に瓜二つとなった。
「今夜はやけに騒がしいですね」
 雪森は率直に感想を述べる。
 たちまち大河原は苦虫を噛み潰したようなしかめっ面となり、うむと唸った。
 何かある。雪森は直感した。
「もしや、青蜥蜴ですか?」
 大河原は答える代わりに、ポケットからハンカチを取り出しくしゃくしゃに丸めた。
「奴は今、拘置所でしょう。どうして皆、そう慌てているのです?」
「ちょっとばかし、騒動がありましてな」
 ズバリと聞く雪森に、大河原は困ったように濁した。
「こうしちゃおれん。失敬」
 これ以上の会話は墓穴を掘りかねない。大河原の内心は顕著だ。会釈すると、脱兎のごとく去った。
 どうやら、かなり拙い状況のようだ。大河原は図星を突かれると、ハンカチをくしゃくしゃに丸める癖がある。
 一体全体、何があったんだ。ひとしきり警官と擦れ違い、ようやく静寂を取り戻したとき、雪森は首を捻った。
 
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