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第七話
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フューム男爵の凶行から一週間後――
キャンピオン家の屋敷にて、アメリアはほっと息を吐いた。
「アメリア、大丈夫か? まだ動揺しているだろう?」
「はい、マイルズ様……。でも随分、落ち着いてきました……」
アメリアとマイルズは部屋の中でお茶をしていた。給仕するというメイドの申し出を断り、二人きりのお茶会を開く。ここでなら何を話したとしても、他人に聞かれることはない。
マイルズはティーカップに口をつけ、呟いた。
「それにしても、執事ロブは本当にアメリアの味方だったのだな」
「ええ、ロブは幼い頃から虐げられてきた私を、心から憐れんでくれていたのです。彼にはいくら感謝してもしきれません」
男爵の犯罪とアメリアは無関係である――そう証言したのは執事ロブだった。幸運なことにアメリアの罵り声は廊下にいたロブにしか聞こえていなかった。しかも彼はその罵りを決して口外することなく、アメリアに有利な嘘を吐いた。
“男爵様は数日前から様子がおかしかったのです。そして犯行の日、アメリア様へ勘当を言い渡し、ベラ様へ殴る蹴るの暴行を働き、傷ついた彼女と奥様とロイド様と自分を銃で撃ったのです。余程、頭がおかしくなっていたのでしょう”
その発言は信用され、アメリアは疑われることもなかった。むしろ命を失いかけた被害者として同情されている。しかもロブは執事として一切を取り仕切り、男爵家の後片付けをしてくれている。その仕事が終わったら、すぐにでもこの侯爵家へ来てもらう予定だ。
「ふむ、俺の両親も結婚には賛成だし、行き先は明るいな」
「そうですね。侯爵様と奥様にも深く感謝しています」
あんなに凄惨な事件があったというのに、侯爵夫妻は前向きだ。喪が明けたらすぐに結婚しなさい、そう言ってくれている。何と心優しい両親なのだろうとアメリアは感動したが、こっそりと親子関係を観察した限りでは、どうやら侯爵夫妻はマイルズに頭が上がらない様子だった。
なぜマイルズに強く出れないのか、不思議である。
しかしそれ以上に不思議なのは婚約者マイルズである。
なぜ四人を死へ導いた恐ろしい自分を、愛してくれるのか。
アメリアはその疑問を口にできなかった――
「……それにしても、こうして美しく装ったお前を見ていると、出会った時のことを思い出すな。お前は妹になり切り、言い寄る男達を片っ端から袖にしていた」
「そ、それを言うのはお止め下さい! あれは恥ずかしい過去です!」
突然の言葉に、アメリアは頬を赤らめて動揺する。
マリアの死後、アメリアは精神に変調をきたした。そのため、彼女はマリアが行かないような社交場に顔を出し、男達を手玉に取っていたのである。破滅的な気分で妹を演じていたアメリアだったが、そこで運命の相手と出会うことになったのだ。
「そう慌てるな。俺はお前がどうあろうと、愛おしい」
マイルズはティーカップを置き、アメリアの手を取る。
そして真剣な目をして、彼女を見詰めた。
「あの時、俺はすぐに分かった。彼女の振る舞いは演技だと。本当の彼女は物静かな優しい少女なのだと見抜いた。お前は心で泣きながら、妹を演じていたのだ」
アメリアは思わず息を飲む。
マイルズはそんな彼女の手に口づけた。
「どうして……」
「ん? 何だ?」
「どうして見抜けたのですか……? マイルズ様はどうして私が演技をしていると、見抜けたのです……?」
するとマイルズは悲しげに笑った。
「俺も同じだからだ。俺もお前と同じなんだ、アメリア」
「どう言うことです……?」
するとマイルズはアメリアの手を離し、椅子に背中を預けた。その表情は暗く沈み、痛々しいほどだった。
「俺には完璧な兄がいた。しかし十五歳の時に病死してしまった。嘆き悲しんだ両親は、弟の俺に死んだ兄を演じることを望んだ。両親は今では優しいが、長男の死によって心が荒んでいた時は悪魔と呼べるほどだった。俺は死によって美化された兄を演じさせられ、気が狂いそうだった。俺自身も悪魔と化し、両親を殺める計画を立てていた。本気で殺してやるつもりだった――」
マイルズは遠くを睨みながら続ける。
「しかし状況は一変した。死ぬ気で兄を演じた結果、俺は仕事で成功を収めたのだ。そうしたら、両親が目を覚ましてくれた。涙を流して謝ってくれたよ。それ以降、反省した両親は俺に頭が上がらなくなり、そして俺はようやく自分自身に戻れたのだ」
そう言って、マイルズは深く溜息を吐いた。
まだ心の整理のついていない過去を口にしたのは、アメリアを励ましたい気持ちからだった。アメリアは意図せず家族と婚約者を殺してしまったが、自分も状況が揃えば同じことをしたと伝えずにはいられなかった。
その時、テーブルに雫が滴り落ちた。
アメリアの目から、大粒の涙が零れている。
「マ……マイルズ様、それは本当ですか……?」
「ああ、本当だよ、アメリア」
頷くマイルズを見て、アメリアはさらに泣いた。肩を震わせて、手を握り締めて、涙する。彼女はなぜマイルズが変わらぬ愛情を示してくれるのか、理解したのだ。
似た経験をしてきたからこそ、マイルズは自分を愛した。狂おしいほどの苦痛を知っているが故、同じ苦痛の中にいる相手へ変わらぬ愛を貫けたのだ。マイルズは自分と同じだ、マイルズは同じ地獄を知っている……アメリアは震える。そして喜び以上に激しい同情心が沸き起こっていた。
彼女はマイルズの元へ駆け寄ると、強い力で抱き締めた。
「マイルズ様も……ずっと悲しかったのですね……? 耐えてきたのですね……? でもこれからは私がいますから……! 私がマイルズ様をお守りしますから……! アメリアは生涯をかけて、マイルズ様の心を癒すと誓いますからね……!」
愛しい相手の誓いに、マイルズは目頭が熱くなった。
「それは俺が言おうとしていた台詞だ――」
そしてアメリアとマイルズは顔を寄せ、泣き笑う。
一年後、二人は永遠の愛を誓い合い、夫婦となった。
それからは仲睦まじく、比翼の鳥の如く生涯を共にした。
―END―
キャンピオン家の屋敷にて、アメリアはほっと息を吐いた。
「アメリア、大丈夫か? まだ動揺しているだろう?」
「はい、マイルズ様……。でも随分、落ち着いてきました……」
アメリアとマイルズは部屋の中でお茶をしていた。給仕するというメイドの申し出を断り、二人きりのお茶会を開く。ここでなら何を話したとしても、他人に聞かれることはない。
マイルズはティーカップに口をつけ、呟いた。
「それにしても、執事ロブは本当にアメリアの味方だったのだな」
「ええ、ロブは幼い頃から虐げられてきた私を、心から憐れんでくれていたのです。彼にはいくら感謝してもしきれません」
男爵の犯罪とアメリアは無関係である――そう証言したのは執事ロブだった。幸運なことにアメリアの罵り声は廊下にいたロブにしか聞こえていなかった。しかも彼はその罵りを決して口外することなく、アメリアに有利な嘘を吐いた。
“男爵様は数日前から様子がおかしかったのです。そして犯行の日、アメリア様へ勘当を言い渡し、ベラ様へ殴る蹴るの暴行を働き、傷ついた彼女と奥様とロイド様と自分を銃で撃ったのです。余程、頭がおかしくなっていたのでしょう”
その発言は信用され、アメリアは疑われることもなかった。むしろ命を失いかけた被害者として同情されている。しかもロブは執事として一切を取り仕切り、男爵家の後片付けをしてくれている。その仕事が終わったら、すぐにでもこの侯爵家へ来てもらう予定だ。
「ふむ、俺の両親も結婚には賛成だし、行き先は明るいな」
「そうですね。侯爵様と奥様にも深く感謝しています」
あんなに凄惨な事件があったというのに、侯爵夫妻は前向きだ。喪が明けたらすぐに結婚しなさい、そう言ってくれている。何と心優しい両親なのだろうとアメリアは感動したが、こっそりと親子関係を観察した限りでは、どうやら侯爵夫妻はマイルズに頭が上がらない様子だった。
なぜマイルズに強く出れないのか、不思議である。
しかしそれ以上に不思議なのは婚約者マイルズである。
なぜ四人を死へ導いた恐ろしい自分を、愛してくれるのか。
アメリアはその疑問を口にできなかった――
「……それにしても、こうして美しく装ったお前を見ていると、出会った時のことを思い出すな。お前は妹になり切り、言い寄る男達を片っ端から袖にしていた」
「そ、それを言うのはお止め下さい! あれは恥ずかしい過去です!」
突然の言葉に、アメリアは頬を赤らめて動揺する。
マリアの死後、アメリアは精神に変調をきたした。そのため、彼女はマリアが行かないような社交場に顔を出し、男達を手玉に取っていたのである。破滅的な気分で妹を演じていたアメリアだったが、そこで運命の相手と出会うことになったのだ。
「そう慌てるな。俺はお前がどうあろうと、愛おしい」
マイルズはティーカップを置き、アメリアの手を取る。
そして真剣な目をして、彼女を見詰めた。
「あの時、俺はすぐに分かった。彼女の振る舞いは演技だと。本当の彼女は物静かな優しい少女なのだと見抜いた。お前は心で泣きながら、妹を演じていたのだ」
アメリアは思わず息を飲む。
マイルズはそんな彼女の手に口づけた。
「どうして……」
「ん? 何だ?」
「どうして見抜けたのですか……? マイルズ様はどうして私が演技をしていると、見抜けたのです……?」
するとマイルズは悲しげに笑った。
「俺も同じだからだ。俺もお前と同じなんだ、アメリア」
「どう言うことです……?」
するとマイルズはアメリアの手を離し、椅子に背中を預けた。その表情は暗く沈み、痛々しいほどだった。
「俺には完璧な兄がいた。しかし十五歳の時に病死してしまった。嘆き悲しんだ両親は、弟の俺に死んだ兄を演じることを望んだ。両親は今では優しいが、長男の死によって心が荒んでいた時は悪魔と呼べるほどだった。俺は死によって美化された兄を演じさせられ、気が狂いそうだった。俺自身も悪魔と化し、両親を殺める計画を立てていた。本気で殺してやるつもりだった――」
マイルズは遠くを睨みながら続ける。
「しかし状況は一変した。死ぬ気で兄を演じた結果、俺は仕事で成功を収めたのだ。そうしたら、両親が目を覚ましてくれた。涙を流して謝ってくれたよ。それ以降、反省した両親は俺に頭が上がらなくなり、そして俺はようやく自分自身に戻れたのだ」
そう言って、マイルズは深く溜息を吐いた。
まだ心の整理のついていない過去を口にしたのは、アメリアを励ましたい気持ちからだった。アメリアは意図せず家族と婚約者を殺してしまったが、自分も状況が揃えば同じことをしたと伝えずにはいられなかった。
その時、テーブルに雫が滴り落ちた。
アメリアの目から、大粒の涙が零れている。
「マ……マイルズ様、それは本当ですか……?」
「ああ、本当だよ、アメリア」
頷くマイルズを見て、アメリアはさらに泣いた。肩を震わせて、手を握り締めて、涙する。彼女はなぜマイルズが変わらぬ愛情を示してくれるのか、理解したのだ。
似た経験をしてきたからこそ、マイルズは自分を愛した。狂おしいほどの苦痛を知っているが故、同じ苦痛の中にいる相手へ変わらぬ愛を貫けたのだ。マイルズは自分と同じだ、マイルズは同じ地獄を知っている……アメリアは震える。そして喜び以上に激しい同情心が沸き起こっていた。
彼女はマイルズの元へ駆け寄ると、強い力で抱き締めた。
「マイルズ様も……ずっと悲しかったのですね……? 耐えてきたのですね……? でもこれからは私がいますから……! 私がマイルズ様をお守りしますから……! アメリアは生涯をかけて、マイルズ様の心を癒すと誓いますからね……!」
愛しい相手の誓いに、マイルズは目頭が熱くなった。
「それは俺が言おうとしていた台詞だ――」
そしてアメリアとマイルズは顔を寄せ、泣き笑う。
一年後、二人は永遠の愛を誓い合い、夫婦となった。
それからは仲睦まじく、比翼の鳥の如く生涯を共にした。
―END―
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