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孤児院への最後の訪問

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アマリアは、翌日、以前からの予定にあった通りに孤児院に向かうことにした。

今日は孤児院の子供たちと一緒に街に行き、お菓子を買ってあげる約束をしていたからだ。

孤児院でも動きやすい服装になり、多めにお金を持ち、いつもの外出用のバッグと帽子を持って屋敷を出た。



同行しているハンナや護衛数人はお土産のパンや薬、古くなった布や日用品などを大量に抱えて、荷馬車に乗せていた。



アマリアは一度、屋敷を振り返った。散歩でもしていたのか、コンラッドが玄関近くの外庭を歩いていた。

そして、歩みを止め、じっとアマリアを見つめていた。

そのヘンドリックに瓜二つの容姿を見るだけで、胸が締め付けられた。

顔をそらして、馬車に乗り込んだ。





孤児院の子供たちは相変わらず元気だった。今日の約束をとても楽しみにしていたと、アマリアの両手を引きながら、10人ほどの子供たちを連れて街に下りた。ハンナはシスターの手伝いをして、荷物の仕分けを終えたら参りますと言って、孤児院に残った。そして、数人の護衛を連れて、子供たちと街中へとゆっくり歩いて行った。



休日の昼間ということもあって、街は人でにぎわっていた。

しかし、どこか華やかなだけではない、緊張したような空気もそこかしこで感じられた。



「辺境で、また大規模な侵入があったって?」



「あそこの砦を通られないから、荷物が届かねえんだよ。商売あがったりだ」



アマリアはそんな男たちの会話を耳に挟みながら、わいわいと「あっちのお菓子がいい」「こっちのお菓子がいい」と騒ぐ子供たちについて回っていた。



街のあちこちを見ながら、それぞれが欲しいというお菓子を買い終えるまで、結構な時間がかかった。

子供達は買ってもらったお菓子を我慢することができず、すぐに食べたいと言うので、広場で食べることにした。

アマリアは孤児院で働くシスター達にお土産のお菓子を買うから、護衛達に子供たちを見守るように告げて、一軒の菓子店に入った。



「いらっしゃいませー、奥様」



「できるだけ、日持ちのする甘いお菓子を多めにいただきたいのだけど」



「はい、かしこまりました。それでは、こちらはいかがで…。ん?」



気のいい店主が言葉を途中で止めて、窓の外を見たので、アマリアもつられてそちらを見た。

そこには胸をおさえながら、壁に手をつき、歩いている少女がいた。



「まだ動いちゃだめだって言ったのに。奥様、少々お待ちくださいませんか?」



店主が店の奥に行こうとしたのを、アマリアは思わず止めた。



「お待ちになって、私も一緒に行けばお役に立てるかもしれないわ」



「へっ?奥様?」



「とにかく、行きましょう。彼女、今にも倒れそうだわ」





店主は奥にいた従業員に少し留守にすると声をかけた。

アマリアは店主と共に裏口から外に出て、苦しそうな10代くらいの女の子を見つけた。既に路地に座り込んでおり、店主と二人で肩を貸して、近くにあるというその子の家へと運んだ。

余裕があるとは到底いえない彼女の部屋は換気されていないのか、空気がよどんでおり、そこかしこに洋服やごみが散らばっていた。

それをよけながら、ベッドまで運ぶと、そっと横たわらせ、薄い上掛けをかけた。

意識は朦朧としているようで、どのような状態なのかすぐにはわからなかった。



店主が落ちていた服を集めながら、ぽつぽつと話し始めた。



「シャーリーは母一人、子一人で暮らしてたんですけど、一年前に母親が死んでしまって。それまでは、二人で野菜売りの仕事をして、なんとかやってたんですけどね…。それを一人で続けて、無理をして体を壊しちまって。医者にみてもらう金もなくて。うちも食べ物分けたりしてるんですけど、ちょっと体が動くようになると内職を紹介してもらおうと出ていこうとしちまうんですわ」



そう言いながら、洋服を洗濯かごに手際よく入れて、部屋の片付けをし始めた。

アマリアも黙ってそれを手伝い始めた。



「すみませんが、このお金でパンと薬を買ってきてもらえませんか。その後で結構ですから、紙とペンとインクをお願いします。手間賃はこれでいいですか?」



アマリアはバッグから硬貨をいくつか取り出すと、店主に手渡した。

店主は恐縮して首を振った。



「お、奥様、こんな大金を見ず知らずの私らに渡すなんてとんでもないことです。パンのお恵みだけでも光栄なことですよ、私らには」



「ごめんなさいね、もっと根本的に解決してあげられればいいのに。でも、私は目の前に困った人がいれば、その人だけでも助けてあげたいの。偽善とわかっていても…」



「奥様…偽善なんて。そんなの慈善事業と銘打って、結局全部自分の懐にいれちまうお貴族様のような人たちを言うんですよ。本気で私らに手を差し伸べようなんてお貴族様はいませんよ、奥様」



「私はここでこの人を見ていますから、お願いできますか?」



店主は笑顔で頷くと足早に部屋を出ていった。

広場に残してきた子供達も気になったが、護衛達がいるのでほどほどで孤児院に連れて帰るだろうと思った。後で孤児院に向かえばいいと思いながら、眠り続ける女の子を見て、部屋の片付けの続きを始めた。



簡素なキッチンにはしばらく何かを料理した跡はなかった。栄養が不足していることは明らかだった。

散らばっている洋服も、彼女のものというよりも、母親のものだろうと思われた。これらを売るのか、解体して何かに仕立てようとしていたのかわからないが、もう手持ちのお金は底をついているように思えた。



一刻もしないうちに店主はパンと薬の入った籠とスープの小鍋を抱えて戻ってきた。



「うちの家内のスープは絶品なんですよ」



と言いながらテーブルに置いた。



「奥様、紙とペンとインクです」



「ありがとう。少し、ここで手紙を書かせてもらうわ。彼女が気づいたら私が世話をするから、お店に戻って。手間をおかけしましたね」



「とんでもないことです、奥様。こちらは残りのお金です」



「それは手間賃に」



「いえ、これくらい手間でもないですよ。うちの店が忙しかった時や、家内の腹がでかかったときに何度もこの子の母親に助けられましたから」



「そう…じゃあ、この子が元気になるまで色々とお金がかかるでしょうから、預かっていて頂戴。そして、私が今から身寄りのない子女をお針子に育ててくれる施設への紹介状を書くから、この子がある程度回復したら連れていってほしいの。お願いできるかしら」



「奥様…なんて慈悲深いお方で…こんなっ…わたしらのために、そこまでっ…うっ…うっ…この子がどうやったら一人立ちできるか心配で…私らも家族みんなで食べていくのが精一杯で…っ」



店主が涙を拭いながら、何度も感謝して頭を下げる。



「いいの。持てる者が持たない者に分け与えるのは当然のことなのよ。目が届かなくてごめんなさいね」



店主はボロボロと涙を流し、アマリアの足元に跪いて胸の前で両手を組んだ。



「天使様のようお方だ…私は天使に会ったんだ…」



アマリアがどうしたものか困っていると、ベッドに寝ていたシャーリーが目を覚ました。



「バルトおじさん…?」



「ああ、シャーリー!よかった、目が覚めて。腹は減ってないか?パンとスープがある。少し食べてみろ」



驚いているシャーリーに店主は籠を持って近寄る。

シャーリーはアマリアのことを不思議そうに見ている。

アマリアは微笑んで、シャーリーに優しく話しかけた。



「具合が悪そうだったから、この方と少しお手伝いをさせてもらっていたの。食べていなかったんでしょう?食べられるだけ食べて頂戴。少し、このテーブルと椅子を貸して頂戴ね」



店主がシャーリーのそばで何度も頷くと、シャーリーはパンを手に取り、その温かさと柔らかさに涙がにじんだ。



「ゆっくりでいいからな。水を汲んでくるから、ちょっと待ってろ…なんだ、水も汲みにいけてなかったんだな。気づいてやれなくてすまなかった。ちょっと井戸まで行ってくるから、待ってろ」



店主は桶を抱えて出て行った。アマリアはさらさらと紙に、この少女が身寄りがないことや預かってほしいことを書き連ね、最後に自分の署名をした。ペンを置くと、椅子を持って少女のベッドのそばに移動し、そこに腰かけて話始めた。



「突然で驚いたでしょう?あの方のお店であなたが具合が悪そうなのをみかけたの。それで、お節介かもしれないけれど、私たちの家がやっている施設への紹介状を書いたわ。身寄りのない少女達が集まって暮らしているの。そこでは、お針子になるための教育を受けることができるわ。あなた、内職を探していたんでしょう?もし腕が磨ければ、お針子として雇ってもらえるようになると思う。だから、行ってみない?」



少女は一口かじっただけのパンを握りしめて、ぽろぽろと涙をこぼした。

アマリアはその細い背中をゆっくりと撫でながら、少女が落ち着くのを静かに待った。



「ありがっ…とうございますっ‥‥私…もう死ぬのかなって…母さんのところにいけるならそれでもいいかなって思ってて…こんなっ…パンを最後に食べられるなんて…死んでもいいって思ったのに…私みたいなのがそんなところへ行っていいんでしょうかっ」



「私みたいなんて言わないで。そこで暮らしている子達はね、みんな苦しんできたの。でも、そこから自分の力で生きるために、必死で頑張っているわ。ドレスショップのお針子になったり、デザイナーになった子もいるのよ」



「私も…そうなりたいです」



「よかった。でも、まだ少し体を快復させるのが優先ね。移動もきついでしょう?荷物もまとめないといけないし。ゆっくり養生して、紹介状のところへ行ってみてね」



アマリアが微笑みかけると、少女は何度も頷いた。

小鍋のスープを取り分けようと、食器を持ってきた。小鍋からスープを移し、スプーンですくい息をふきかけると、少女の口元へ運んだ。

少女はびっくりしたように目を丸くしたが、頬を赤くしながらも、口を開けて、スープを飲んだ。



「…おいしい…」



また涙が溢れてきた。アマリアは微笑みながら、何も言わずに、ゆっくりとスープを食べさせ続けた。

やがて店主が、女性を一人連れて戻ってきた。桶と水差しを抱えていた。



「遅くなってしまいすみません。うちの家内です」



「奥様、お話を伺いました。シャーリーが大変お世話になりました。ここは私が代わります。ご用事がありましたのでしょう?どうぞ、ここはお任せください」



恰幅の良い女性は、すたすたとやってきて、そっとアマリアの手から食器とスプーンを受け取るとにっこりと微笑んだ。

アマリアは椅子から立ち上がり、少女にもう一度微笑みかけ、テーブルに置いていたバッグを手に取った。



「早く元気になるよう祈っているわ。しっかり食べて、休んで頂戴ね」



「はい、奥様。私、この御恩を絶対忘れません。いつか必ずご恩返し致します」



「いいのよ、生きる道をしっかり見つけてね」



「奥様、うちの店まで戻られるんでしょう?一緒に参ります」



店主がアマリアを先導して、部屋を出た。アマリアは一度だけ、部屋を振り返って、店主の後に続いた。

店の裏口から、店内に戻った。入口近くの窓からはついてきていた護衛や子供たちは見えなかった。きっと時間が経ちすぎて、連れて帰ってくれたのだろうと思った。



「教会の孤児院のシスター達にお土産のお菓子を買いたかったの。日持ちのする、甘いものがいいのだけれど」



「承知しました。では、今日召し上がる分はこちらで、日持ちするのはこちらをお詰めするのはいかがでしょうか」



「それでいいわ。これで足りる?」



「ありがとうございます。こんなに親切にして頂いた奥様からお代を頂戴するなんて申し訳ないんですが…」



「だめよ、これは商いなのですから、労働の報酬はきちんと受け取らないと」



「助かります。辺境で小競り合いが起きると、物が届くのが途絶えたり、材料が届かなくなったりするんで、うちも作れるものがなくなるんじゃないかと戦々恐々としてます」



「そう…早く解決するといいけれど…」



「奥様は今から孤児院に戻られるんですよね?私が後からお届けしますから、お戻りになってください。もうすぐ暗くなります。お付きの人がいても足元が見えづらくなる前に行かれたほうが安全です」



「いいのかしら?助かるわ」



アマリアは、お菓子の準備を始めた店主に別れを告げて、店先に出た。護衛は既におらず、戻ってくる人影も見えなかった。

辺りは確かにまだ赤い夕陽が注いでいたが、もう半時もしないうちに暗くなることはわかっていた。





孤児院に行くまではなんとか持ちそうね





アマリアが歩き出そうとしたとき、強い風が吹いて手に持っていた帽子が飛ばされた。急いで振り返ると、勢いよく吹き上げられたのか、数軒先の店の前に落ちた。歩いて取りに行くと、その店の前に止まっていた荷馬車から降りてきた男性が拾ってくれた。アマリアが近づいてきたのに気づいて、すっと差し出した。



「ありがとうございます、助かりました」



「いや、これぐらい大したことではないですよ」



かっかっと人の良い笑いをして、また荷馬車の御者席に戻ろうと脚をかけた。アマリアはその時、荷馬車の側面にバルク国の紋章が刻んであるのが見えた。



「バルク国から来られたの?」



「はい?ああ…そうなんですけどね。行きは荷物をたくさん積んでこれたんですけど、次はいつ持ってこれるかわからんのです。途中で賊に遭うかもしれないのに、荷物はやれないと言われて、帰りは空ですわ。これじゃあ、俺の商売もあがったりでね。困ったもんです」



「…私を、荷馬車に乗せてくださらない?」



「はっ?奥様をですかい?」



男はあっけにとられて、目をぱちぱちさせながら、アマリアに確認する。

アマリアは、自分の口から出た言葉に、自分でも驚きながら、それでも、それがいいのだと心の中で感じていた。

こんなことでもない限り、あの家を出ることに踏ん切りがつきそうになかった。

スタンリールの家には、もうロビンが後継者としている以上、家にも戻れない。

バルク国に嫁いだ、かつての侍女のケイシーを頼りに、会いに行こうと思い立ったのだ。そして、自分の生きる道を探そうと。

ハンナなどはいばらの道とわかっていてもその忠義心から自分についてくると言い出しそうだった。公爵家で雇われるほどの能力の持ち主の人生を自分のために棒に振らせるわけにはいかない。



「報酬はどれくらいあればいい?この宝石で足りる?」



アマリアはバッグの中の布袋から、ひとつ宝石を取り出して、男に手渡した。男は手渡された赤い小さなルビーに仰天して、宝石とアマリアを交互に見た。



「お…奥様は…いや、私は構いませんが、道中の宿なんてぼろいもんですけど、大丈夫ですかい?」



「平気よ。新しい道を探すためだもの」



男はぽりぽりと頭をかきながら、アマリアを荷馬車に乗せようと手を貸した。アマリアは埃っぽい荷馬車の中に乗り込み、そのまま座った。後ろには、孤児院に続く道が見えた。

子供たちのことが最後まで心残りだった。しかし、公爵夫人ではなくなる以上、支援をするためにも自立しなければならないと迷いを捨てた。



「さようなら。さようなら、ヘンドリック。さようなら、コンラッド。お父様、お母様…」



愛しい人たちの名前を口にしているうちに馬車はガタゴトと動き出した。アマリアは自分の生きてきた人生を思い起こしていた。

家族から愛され、ヘンドリックから愛され、公爵家の家族からも愛された日々。

コンラッドを授かってから、体を壊し、母親としての役割も果たせず、ヘンドリックともすれ違い。

大事な人を一人、また一人と失ってきた。

いまだに、ヘンドリックへの愛は確かにこの胸にある。きっと生涯、他に愛する人などできはしないだろうとわかっている。あれほどの愛を受けたのだ。

私は何を返せたのか、愛しているとちゃんと伝えられていたのか…

そう思っても、もう夫婦ではなくなってしまった。後悔しても仕方のないことだ。

本当は縋りつきたかった。別れるなんて言わないでと泣き出してしまいたかった。

他に愛する人ができたとしても、そばにいたいと、心の中を曝け出したかった。

自分の愛を、これまでの想いを否定されるのが怖くて、拒絶されたくなくて、物分かりの良いふりをしただけだ…



もうどうにもならないと頭ではわかるのに、涙は次から次へと溢れてくる。やがてそれは嗚咽へと変わった。もう誰が見ているわけでもない。公爵夫人として常に気を張る必要もない。

だから、せめて、今だけは、あの人を想って声を上げて泣くことを許してほしいとアマリアは思いのままに泣き続けた。
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