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第5話 勇者、闇の巣窟に潜入する
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昼を過ぎてそろそろ午後のお茶の時間かという時間帯、俺はテラスのベンチで副市長から戻って来た報告書を捲っていた。
3日探して見つかった報告書は、古本屋に引き渡す予定の本の束の中に混じっていた。危うく機密情報を二束三文で売り飛ばすところだった。偶然にもそれを防いでくれた副市長に感謝しなくては。
報告書は最初の数日は真面目に書いている。その後、俺の料理日記が続いて、俺が料理に飽きた後は白紙だ。
市民説明会を開いた日の事は書いているし、リリーナを採用した時も深い後悔と一緒に反省が綴られていた。その他のページは眩しい程真っ白だった。
夏休み最終日の絵日記のように何とかページを埋めようとしたが、書くことが無い。覚えていないのではなく、本当に何も無い。
日課として、人を食おうとしている危険な魔獣が出て来たら追い払っているが、慣れてしまった今はそれも5分で終わる。首席卒業の勇者の素晴らしさを書くにしても、毎日同じ事を書いて自分の優秀さを確認するほど自己愛は強くない。
副市長は、俺が持って来た余白だらけの報告書を見て、「国との契約で週1回の報告が義務付けられていますが、月1回でもいい事にしませんか?」と持ち掛けてくれた。
副市長にしては、有益な提案だ。
俺はそれに甘えさせてもらい、更に3か月に1回の提出にするように交渉を続け、見事合意に達した。
報告書の提出はまた3か月後だ。古本屋に売ったり、古紙回収に出したりしないように気を付けよう。
「……?」
魔術の気配を微かに感じて庭を見ると、事務所の門の前に1人、若い男が立っていた。
門を開けると、そのまま事務所の庭に入って来る。何重にも張り巡らされた侵入禁止の魔法を蜘蛛の巣でも払うように片手で解除しながら、普通に歩いて俺がいるテラスまで来た。
嘘だろ。
養成校でモベドス卒の教師に殺されかけながら学んだ、首席卒業の勇者が仕掛けた罠だぞ。
「どうも、勇者様、久しぶりです」
「……ああ」
「呼び鈴ないから入って来ちゃいましたけど、庭の魔法って、市民が入って来ないようにですか?」
「……そうだ」
通信機は自動音声案内に回すようにしているが、事務所に市民が直接押しかけて来たら相手をしない訳にはいかない。だから、事務所の庭にも門の周辺にも、事務所の人間以外は出入りできないように厳重に侵入禁止の魔術を掛けている。
勇者や魔術師レベルの魔術が使える者なら簡単に入れるが、今勝手に入って来た男は市の作業着を着ていて魔術師には見えない。
「勇者様、お茶の時間ですよー……あれ?ウラガノさん」
「よっす、ニーア。お疲れ」
トレイを持ってテラスに出て来たニーアが男に話しかけると、男はテラスに飛び乗ってベンチに座った。ニーアが名前を言って気付いたが、こいつはニーアの同僚のウラガノだ。
「よく入って来れたな」
「俺、侵入系の魔術だけは得意なんすよ」
「ああ、ホーリアの生まれじゃないんだったな」
「そうです。空き巣のたびに疑われてたんで、住人が全員魔法が使えるホーリアに越して来たんです」
一般的な街だと、住民の半分くらいは魔法は効くが使えない、普通の人間だ。
魔法が発動したのかどうか、誰の魔法の残滓なのかもわからない人間は、何か犯罪が起こるたびに魔法が使える人間に疑いの目を向ける。ウラガノも色々と大変な思いをしたらしい。
「てか普通、ちまちま小銭盗んでないで、でっかい金庫破ってそのままとんずらしますよね?」
「まさか、ホーリアに越して来る前にやってないよな?」
「したら国外に逃げますって。トルプヴァールなら、疑われなそうですし」
ウラガノの目は本気だった。個人が自分の才能をどう生かそうと自由だ。ホーリア市から大泥棒が生まれたとしても、それを止めるのは勇者の仕事ではない。俺の手がかからない範囲で好きにやってほしい。
「それで、仕事中にどうしたんですか?」
ニーアがウラガノの分までお茶を準備してベンチに腰掛けた。
「暇なんだろ」と俺は呟いてニーアが焼いたクッキーを摘まむ。どこの職場でもあることだ。職員が過労死するほど忙しい部署もあれば、目を開けている事が今日のノルマみたいな部署もある。
「いや、俺んところ超忙しいんですから」
「どうせ、民家の屋根修理が仕事だろ」
「勇者様、その言い方は失礼ですよ」
「まあまあ、実際そんなもんだし」
ウラガノが寛大な心で俺を許すように言ったが、事実ウラガノの仕事は屋根の修理だった。そして、代わりにその仕事をさせられたのは俺だ。
「屋根の修理で忙しい奴が、何しに来たんだ」
「実は、勇者様にお願いがあって来たんです。ゼロ番街のことで」
「……ゼロ番街?」
俺がホーリアの担当になって3か月近く経つのに、聞き慣れない通りの名前だ。
ホーリア市のメインストリート以外の道は、番号が振られている。1番街と2番街は市民のための食料品や生活用品の店が並んでいて観光客が少ない。3番街はホーリアで一番古い通りで、100年以上続く老舗や職人の工房が並んでいる。
それぞれ通りによって特長があるが、その中にゼロ番は無かったはずだ。
「あそこに、勇者様に行ってもらいたいって。課長が」
「私は反対です」
ニーアがテーブルを叩いて立ち上がった。
テラスの簡素なテーブルがニーアの勢いに負けてひっくり返りそうになり、俺は魔法でテーブルを地面に固定した。ニーアは夢中になると周囲の物の扱いが雑になるから、今も本気で反対しているようだ。
「ゼロ番街はホーリアではありません。市域外です」
「そうだけど。あそこで何かあった時に。街付の勇者がそんな所知りませんでしたってのは、マズイだろ」
「それは、確かに、伝えていなかった市の責任になるかもしれませんが……」
「こっちは見て見ぬフリしているけど、国の勇者が同じ事してたら問題になるんじゃね?」
「そう、ですね……では、ウラガノさんが勇者様を連れて行ってください」
「俺もあそこはちょっと……ほら、今、俺、業務時間中だし」
「私だって仕事中です。そちらが持って来た話でしょう」
ニーアとウラガノの言い争いは俺を挟んで続いている。同僚とケンカしてまでニーアが行きたがらないなんて、ゼロ番街とはそんなに危険な場所なのだろうか。
もしそうなら、そんな所に俺が行く話を俺抜きで進めないで欲しい。
「そんなに危ない所なのか」
2人の話が一瞬止まった隙に話に割り込むと、ウラガノは深く頷いた。
「ええ、ヤバいっす」
「ヤバいって、どんな風に?」
「リアルに」
「勇者の俺でも?」
「パないです」
ウラガノは、語彙力が乏し過ぎて役に立たない。
ニーアに通訳を任せて詳しい話を聞きたかったが、ウラガノはクッキーを口に入れてお茶を飲み干すとベンチから立ち上がった。
「じゃ、頼んますわ。あの、報告とかはいらないんで!」
庭を駆けて門を乗り越えて事務所を出て行くウラガノの背中を、ニーアは恨めしそうに睨み付ける。
最近ブレがあるが、本来は仕事熱心なニーアがそんなに嫌がるなんて、本当に行きたくない場所らしい。剣術も魔法も使えるニーアが嫌がるということは、ネイピアスのように魔法が使えないとか、剣術が使えないとか、単純な話ではなさそうだ。
「リリーナも一緒の方がいいか?」
魔法が使える場所なら、俺に何かあっても治癒魔法が使えるリリーナがいれば死ぬ事は無い。
引きこもりのリリーナに俺が頼んで一緒に来てくれるとは思えないが、ニーアのクッキーがあればもしかしたらという事がある。
「リリーナさんはちょっと……あー、でも、もしかしたら逆に、いけるかも……」
逆にって、何がだ。
ウラガノのところの課長なんて無視して、行かなくていいことにしよう、と俺が聡明な提案をしたが、職務に忠実なニーアに無視された。
3日探して見つかった報告書は、古本屋に引き渡す予定の本の束の中に混じっていた。危うく機密情報を二束三文で売り飛ばすところだった。偶然にもそれを防いでくれた副市長に感謝しなくては。
報告書は最初の数日は真面目に書いている。その後、俺の料理日記が続いて、俺が料理に飽きた後は白紙だ。
市民説明会を開いた日の事は書いているし、リリーナを採用した時も深い後悔と一緒に反省が綴られていた。その他のページは眩しい程真っ白だった。
夏休み最終日の絵日記のように何とかページを埋めようとしたが、書くことが無い。覚えていないのではなく、本当に何も無い。
日課として、人を食おうとしている危険な魔獣が出て来たら追い払っているが、慣れてしまった今はそれも5分で終わる。首席卒業の勇者の素晴らしさを書くにしても、毎日同じ事を書いて自分の優秀さを確認するほど自己愛は強くない。
副市長は、俺が持って来た余白だらけの報告書を見て、「国との契約で週1回の報告が義務付けられていますが、月1回でもいい事にしませんか?」と持ち掛けてくれた。
副市長にしては、有益な提案だ。
俺はそれに甘えさせてもらい、更に3か月に1回の提出にするように交渉を続け、見事合意に達した。
報告書の提出はまた3か月後だ。古本屋に売ったり、古紙回収に出したりしないように気を付けよう。
「……?」
魔術の気配を微かに感じて庭を見ると、事務所の門の前に1人、若い男が立っていた。
門を開けると、そのまま事務所の庭に入って来る。何重にも張り巡らされた侵入禁止の魔法を蜘蛛の巣でも払うように片手で解除しながら、普通に歩いて俺がいるテラスまで来た。
嘘だろ。
養成校でモベドス卒の教師に殺されかけながら学んだ、首席卒業の勇者が仕掛けた罠だぞ。
「どうも、勇者様、久しぶりです」
「……ああ」
「呼び鈴ないから入って来ちゃいましたけど、庭の魔法って、市民が入って来ないようにですか?」
「……そうだ」
通信機は自動音声案内に回すようにしているが、事務所に市民が直接押しかけて来たら相手をしない訳にはいかない。だから、事務所の庭にも門の周辺にも、事務所の人間以外は出入りできないように厳重に侵入禁止の魔術を掛けている。
勇者や魔術師レベルの魔術が使える者なら簡単に入れるが、今勝手に入って来た男は市の作業着を着ていて魔術師には見えない。
「勇者様、お茶の時間ですよー……あれ?ウラガノさん」
「よっす、ニーア。お疲れ」
トレイを持ってテラスに出て来たニーアが男に話しかけると、男はテラスに飛び乗ってベンチに座った。ニーアが名前を言って気付いたが、こいつはニーアの同僚のウラガノだ。
「よく入って来れたな」
「俺、侵入系の魔術だけは得意なんすよ」
「ああ、ホーリアの生まれじゃないんだったな」
「そうです。空き巣のたびに疑われてたんで、住人が全員魔法が使えるホーリアに越して来たんです」
一般的な街だと、住民の半分くらいは魔法は効くが使えない、普通の人間だ。
魔法が発動したのかどうか、誰の魔法の残滓なのかもわからない人間は、何か犯罪が起こるたびに魔法が使える人間に疑いの目を向ける。ウラガノも色々と大変な思いをしたらしい。
「てか普通、ちまちま小銭盗んでないで、でっかい金庫破ってそのままとんずらしますよね?」
「まさか、ホーリアに越して来る前にやってないよな?」
「したら国外に逃げますって。トルプヴァールなら、疑われなそうですし」
ウラガノの目は本気だった。個人が自分の才能をどう生かそうと自由だ。ホーリア市から大泥棒が生まれたとしても、それを止めるのは勇者の仕事ではない。俺の手がかからない範囲で好きにやってほしい。
「それで、仕事中にどうしたんですか?」
ニーアがウラガノの分までお茶を準備してベンチに腰掛けた。
「暇なんだろ」と俺は呟いてニーアが焼いたクッキーを摘まむ。どこの職場でもあることだ。職員が過労死するほど忙しい部署もあれば、目を開けている事が今日のノルマみたいな部署もある。
「いや、俺んところ超忙しいんですから」
「どうせ、民家の屋根修理が仕事だろ」
「勇者様、その言い方は失礼ですよ」
「まあまあ、実際そんなもんだし」
ウラガノが寛大な心で俺を許すように言ったが、事実ウラガノの仕事は屋根の修理だった。そして、代わりにその仕事をさせられたのは俺だ。
「屋根の修理で忙しい奴が、何しに来たんだ」
「実は、勇者様にお願いがあって来たんです。ゼロ番街のことで」
「……ゼロ番街?」
俺がホーリアの担当になって3か月近く経つのに、聞き慣れない通りの名前だ。
ホーリア市のメインストリート以外の道は、番号が振られている。1番街と2番街は市民のための食料品や生活用品の店が並んでいて観光客が少ない。3番街はホーリアで一番古い通りで、100年以上続く老舗や職人の工房が並んでいる。
それぞれ通りによって特長があるが、その中にゼロ番は無かったはずだ。
「あそこに、勇者様に行ってもらいたいって。課長が」
「私は反対です」
ニーアがテーブルを叩いて立ち上がった。
テラスの簡素なテーブルがニーアの勢いに負けてひっくり返りそうになり、俺は魔法でテーブルを地面に固定した。ニーアは夢中になると周囲の物の扱いが雑になるから、今も本気で反対しているようだ。
「ゼロ番街はホーリアではありません。市域外です」
「そうだけど。あそこで何かあった時に。街付の勇者がそんな所知りませんでしたってのは、マズイだろ」
「それは、確かに、伝えていなかった市の責任になるかもしれませんが……」
「こっちは見て見ぬフリしているけど、国の勇者が同じ事してたら問題になるんじゃね?」
「そう、ですね……では、ウラガノさんが勇者様を連れて行ってください」
「俺もあそこはちょっと……ほら、今、俺、業務時間中だし」
「私だって仕事中です。そちらが持って来た話でしょう」
ニーアとウラガノの言い争いは俺を挟んで続いている。同僚とケンカしてまでニーアが行きたがらないなんて、ゼロ番街とはそんなに危険な場所なのだろうか。
もしそうなら、そんな所に俺が行く話を俺抜きで進めないで欲しい。
「そんなに危ない所なのか」
2人の話が一瞬止まった隙に話に割り込むと、ウラガノは深く頷いた。
「ええ、ヤバいっす」
「ヤバいって、どんな風に?」
「リアルに」
「勇者の俺でも?」
「パないです」
ウラガノは、語彙力が乏し過ぎて役に立たない。
ニーアに通訳を任せて詳しい話を聞きたかったが、ウラガノはクッキーを口に入れてお茶を飲み干すとベンチから立ち上がった。
「じゃ、頼んますわ。あの、報告とかはいらないんで!」
庭を駆けて門を乗り越えて事務所を出て行くウラガノの背中を、ニーアは恨めしそうに睨み付ける。
最近ブレがあるが、本来は仕事熱心なニーアがそんなに嫌がるなんて、本当に行きたくない場所らしい。剣術も魔法も使えるニーアが嫌がるということは、ネイピアスのように魔法が使えないとか、剣術が使えないとか、単純な話ではなさそうだ。
「リリーナも一緒の方がいいか?」
魔法が使える場所なら、俺に何かあっても治癒魔法が使えるリリーナがいれば死ぬ事は無い。
引きこもりのリリーナに俺が頼んで一緒に来てくれるとは思えないが、ニーアのクッキーがあればもしかしたらという事がある。
「リリーナさんはちょっと……あー、でも、もしかしたら逆に、いけるかも……」
逆にって、何がだ。
ウラガノのところの課長なんて無視して、行かなくていいことにしよう、と俺が聡明な提案をしたが、職務に忠実なニーアに無視された。
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