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第6話 勇者、季節の節目に立ち向かう

〜5〜

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 買い物から帰って来て各々が要望していた物を食べさせた後、俺はニーアの仕事に取り掛かることにした。俺は日々全く仕事をしていないが、ニーアは市の職員の仕事と勇者補佐の仕事と、細々した仕事が多くて忙しいらしい。

 ソファーに転がってニーアの筆跡を真似ながら報告書を書こうとすると、コルダが肉球の付いた足で階段を駆け下りて来る音がした。さっきほぼ生のステーキを食べて、満腹になってベッドに入ったはずなのに。

「勇者様ーご本読んでなのだー」

 リビングに入って来て俺の裾を引っ張っるコルダの片手には絵本が抱えられていた。俺は裾を払って、今忙しいから無理、とだけ返事をする。
 獣人は文字が読めるけど書けない奴が多い。それは、元々口承の文化が根付いているのと、手の形が普通と違って特殊な筆記具が必要で、それがあまり流通していないからという物理的な理由だ。
 コルダは読むだけなら問題ないから、絵本くらいなら自分で読めるはずだ。しかし、コルダは俺が書いていた報告書を取り上げて、腕を引っ張ってきた。

「じゃあ、勇者様、一緒に寝ようなのだ」

「だから、無理」

 俺は繰り返して、コルダから報告書を取り返す。まだ外は明るい時間だから、オンボロの事務所でもコルダは1人で寝れるだろう。

「ひ、酷いのだぁ……」

 俺はニーアの文章の癖をマスターして報告書を書き始めていたのに、コルダは俺の足に抱き着いて、人の罪悪感を上手く煽るような調子で泣き始めた。

「だって、コルダの風邪は、元は勇者様の風邪なのだ!勇者様のせいなのだ!コルダは被害者なのだ!!」

 その俺の風邪の原因を探ると、恐らくコルダに行き付くはずだ。
 しかし、また訴訟だのなんだの騒がれると厄介ではある。一冊だけと約束してコルダから絵本を受け取った。事務所に絵本はないから、コルダの私物の絵本だ。パラパラとページを捲ると、人権とか自由とかプロパガンダの臭いがする。俺には何の政治的信念は無いから、読めと言うなら読むけれど。

 ソファーにコルダを寝かせて毛布を掛けてから、絵本を開いた時、二階で部屋のドアが開く音がした。あの荒々しい開け方は、恐らくリリーナだ。
 リリーナは、俺が作った正解かどうかわからない卵酒を文句も言わずに飲んでいた。
 望んでいた物がそれだったのか、それとも本物を飲んだことがあるのか。聞いてみたいところだが、俺がイナムだと気付かせるような事を敢えてすることもないと何も言わなかった。
 ともかく、リリーナもそれで少し大人しくなって部屋で寝ていたはずなのに、どたどたと階段を駆け下りて来てリビングに飛び込んで来る。

「ちょっと、喉痛いんだけど」

 黒猫の着ぐるみを着ているリリーナが半ギレで俺の腕を引っ張って言ってきた。「風邪の時は着ぐるみをきるべし」みたいな教えも卵酒と一緒に吹き込まれていたのかもしれない。
 寝てればいいだろと俺はリリーナの手から抜け出した。
 優秀な白魔術であっても、微熱程度の病気を治すのは逆に難しい。リリーナもモべドスの教えを守っているわけではなく、弱った状態で微妙な調整が必要な魔術を使うのを諦めて、正攻法で治すつもりのようだ。

「頭痛くて寝れないんだけど!」

 リリーナは、体調が悪いとキレるタイプの人間なのか。そんなことを俺に言われても、寝てろとしか言えない。
 コルダに絵本を読むからあっちに行ってくれとリリーナを手で払うと、暫く立ち竦んで唸っていたが、突然涙を零しながら泣き出した。

「あーーー」

 本当にキレると泣き出すタイプだ。声を上げて泣きながら俺の頭をぽかぽか殴ってくるから、コルダの絵本が読めない。

「わかった。リリーナにも絵本読んでやるから、ここで寝てろ」

 コルダとリリーナが毛布の取り合いを始めてケンカを始めたから、布団を2階から持って来てリリーナの寝床を準備する。俺が布団を敷いている間、リリーナは俺の背中に縋りながらえぐえぐと泣いていた。

「うええぇ……おねーちゃん……」

「違う」

「コルダに読んでくれるって言ったのだー!」

「今、読むから」

「勇者様ぁ……うるさいんですけど……」

 下の騒ぎに、何かと思ってニーアが起きて1階に下りてくる。ちょうどいいから、せめてリリーナを2階に連れて帰ってくれるように頼もうとした。
 しかし、2人が泣いているのを赤い顔でぼんやり見ていたニーアの目が、みるみる潤んで行く。ふらふらした足取りでリリーナがくっついているのと反対側の腕に縋り付いて来た。

「ママぁ……」

 どうやら、熱で緩んでいた涙腺が2人の泣き声を聞いて我慢できなくなってしまったらしい。
 多分言わなくても分かっているだろうが、俺はニーアのママじゃないから「違う」と教えておいた。


 +++++


 呼び鈴が鳴って、俺はコルダの絵本を閉じて立ち上がった。
 まだ腕にしがみ付いていたリリーナとニーアがぐずぐず泣きながら玄関まで付いて来る。
 侵入禁止の魔術は解除していたから、今は事務所に誰でも入って来れるようにしている。しかし、最近は諦めて俺の事務所に訪れる市民はいなくなったから、苦情とか肉切包丁を抱えた市民はこんな最悪のタイミングで来ないだろう。ドアを開けると予想通り、チコリが立っていた。

「……よく来てくれた」

「子供の預り所みたいになってるな」

 俺が引き摺っているニーアとリリーナと、片手に持った絵本を見てチコリがそう言う。
 俺も熱程度で部下がここまで幼児退行するとは驚いている。魔術でいつでも病気を治せるようにしておくか、手洗いうがいを徹底させるか、何かしらの対策が必要だ。
 チコリはまだ泣いているニーアを俺から引き剥がして、抱えながら部屋の中に入って行く。

「ほら、ニーア。寝ような。勇者の風邪がうつるぞ」

「あれ……チコリ?うん」

 ニーアは、ぐしゃぐしゃになった顔を擦りながらチコリに連れられて自分の2階の部屋に戻って行った。チコリが一緒に居てくれれば、1階がうるさくても寝てくれるはずだ。
 これで絵本のテーマに一々突っかかって来るニーアに邪魔されずに読み聞かせを続けることができる。コルダとリリーナがいつまでも寝ないからもう3冊目だ。いい加減、俺の政治的思考にも偏りが生じそうになっている。

「うわー……勇者の事務所、フツーだぁ……」

 チコリと一緒に来た女の子が誰なのか。最初は気付かなかったが良く良く見れば、前会った時と比べて大分シンプルな顔になっているが化粧を落としたペルラだった。
 少し目が小さくなって髪が頭の上で結んで跳ねていたけれど、水色の口紅を付けていないから健康そうに見えた。

「私、ご飯作る。キッチン使っていい?」

「ああ、頼む」

「私も手伝うー」

 そう言ってペルラに続いて女の子が中に入って来ようとする。俺が知らないペルラの友達かと思ってそのまま頼もうとしたが、こっちはあまり顔が変わっていないから見れば誰なのかすぐにわかった。
 色気の無い格好をしているけれど、ゼロ番街で真っ先に俺に抱き着いて来たミミ-ちゃんだ。バイト代に惹かれたのかもしれないけれど、3人も看病に来てくれるなんて、ニーアには友達が多い。
 しかし、彼女のプロの技術を思い出して俺はミミ-の前に立ち塞がった。

「ミミ-ちゃんは、悪いけど、帰ってくれ」

「ええーなんで、そーいうこと言うのー」

「2人いれば大丈夫だから」

「えー?でも、バイト代貰うしー」

「じゃあ、ちょっと庭の掃除を頼む」

「えー勇者様の事務所に入りたーい!」

 事務所には金目の物は無いが、報告書や勇者の剣や、盗られたらマズイ物が沢山置いてある。ミミ-に持って帰られて、質に入れられたら冗談抜きで俺の首が飛ぶ。
 俺がミミ-を事務所の中に入れないように攻防を続けていると、まだ俺の腕にしがみ付いていたリリーナが「その女、誰?」と鋭い棘だらけの声で聞いて来た。嫉妬とか可愛いものではなくて、「私の具合が悪いのに何で女の子と遊んでいるんだ」という殺意がこもった声だ。
 チコリはバイト代を中抜きするつもりで2人連れて来たのだろうが、ペルラだけで充分だった。
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