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第10話 勇者、死線を越える

〜2〜

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「そんなに喜ばなくても大丈夫だ」

 人体の急所の首の後ろと腹を庇って蹲っている俺に、オグオンは静かな声と共に俺の肩に手を掛けた。
 いつものオグオンだったらそのまま俺をひっくり返して真っ二つに裂いただろうが、自分の熱狂的なファンのニーアを前にしてそんな残虐な殺し方は選ばないかもしれない。心臓を氷漬けにして綺麗な病死に見せかけるとかだろう。

「新人の様子を見に来るのは当然だ。ホーリアは仕事の都合で遅くなってしまったが、他の街も回っている」

「……本当か?」

「ああ、前にそちらから通信が来てから、連絡が付かなくて心配していた。ここは、いくら飛び級卒業の優秀な新人でも担当するには大変な街だから」

 心配すると、オグオンは魔法で人の体に直接メッセージを刻むのか。
 傷はすぐに治したけれど、肉が裂けて文字が浮かび上がる痛みで眠りから覚めるのは、トラウマになるところだった。
 しかし、オグオンがそんな手段に至ったのも、俺が通信機の連絡を自動音声案内に回したからだ。

 ライドライト王国の仕事の時は、向こうの国民の手前、オグオンと全然話が出来なかったが、何の問題もなく見事なコンビネーションで戦争を治めることができた。
 オグオンは単に養成校の教師として、卒業生の様子を視察に来ただけだろう。今更殺される心配はない。
 俺はマントの埃を払って立ち上がり、オグオンの握手に応えた。

「よく来てくれた。何もない所だが、くつろいで行ってくれ」

「ありがとう。では、仲間を紹介してくれないか」

 オグオンを招き入れる前に、俺はリビングをドアの隙間から覗いて確認する。
 ボードゲームが広げてあるが、周りに金が無ければ賭けをしていた事は分からない。仕事の息抜きで昼休みにやっていたとか言い訳をすれば大丈夫だ。
 部屋は少し散らかっているが、何か言われたら小型の魔獣が事務所に入って来て暴れたとか言おう。
 さっきまでシャツ一枚で寝ていたリリーナは、余所行き用の白いワンピースを着ていた。俺が目線を送ると、全てを理解した表情で力強く頷いてくれる。
 昼寝用のタオルケットがソファーの下にちゃんと隠れているのを確かめて、オグオンをリビングに入れた。

「この真っ白なのが、白魔術師のリリーナ」

「はじめまして」

 俺が手で示すと、リリーナはワンピースの裾を摘まんで膝を折り、オグオンに挨拶をした。
 ちゃんとした服を着てちゃんとした話し方をしている。面接用の完璧な演技だ。

「お会いできて光栄ですわ」

 リリーナが社交界のお手本のような美しい笑顔を見せる。マニュアル通りに白魔術師を仲間にしているのだから、オグオンも満足だろう。
 さっきまで俺を枕にして寝ていたせいで酷い寝癖がついているリリーナの後ろ髪をさりげなく隠しながら、俺はソファーに転がっていたコルダを抱き上げてオグオンの前に連れて来た。

「この毛並がつやつやなのがコルダ。白銀種の獣人だ」

「おはよーなのだ……」

 運良く俺が熱心にブラッシングをしていたところだ。白銀種としてどこに出しても恥ずかしないくらい、尻尾の先まで綺麗に輝いている。

「ああ、おはよう」

 眠そうな目をしているコルダを見て、オグオンは握手をしようと伸ばした手をふと止めた。
 まさか、今の挨拶で、コルダが業務時間中に居眠りをしていた事がバレたのか。
 コルダは昼でも夜でも挨拶はおはようなんだと俺が説明する前に、コルダが目をぱちりと開けてオグオンを見上げた。

「どうしたのだ?首都の勇者様?」

「いいや、よろしく。コルダ」

 コルダはオグオンの手を両手で握ってぶんぶん振りながら、「勇者様と握手しちゃったのだー」と歓声を上げている。
 今コルダを抱き上げている俺も勇者だ。そんなに喜ぶと、日頃俺が偽物の勇者扱いされているのが気付かれてしまうから、早めに切り上げてコルダをソファーに放り投げる。

「で、そこで泣き過ぎて吐きそうになってるのがニーア。市の魔法剣士」

 俺は、玄関からリビングまでは何とか這って来たが、まだ嗚咽を漏らしているニーアを指差した。あまりにも泣き止まないものだから、リリーナがやや引き気味に眺めていた。
 俺は、ニーアの勇者の狂いっぷりは異常だと常々思っている。しかし、ファンが多いオグオンにとっては見慣れた反応なのかもしれない。ニーアを見てもオグオンは一度頷いただけで、事務所の視察を続けてた。

「次は、報告書を見せてもらおうか」

「……」

「細かい仕事の様子は首都まで伝わって来ない。是非、見せてもらいたい」

 オグオンの鋭い瞳が、突き刺すように俺を見た。今更何を言っているのだろう。オグオンが俺の仕事っぷりを知らないはずがない。
 檻の中に生きたまま入れられた餌の鶏を、ライオンが戯れながらじわじわと追い詰めている。

 度々俺の平穏を乱す報告書は、今はコルダの部屋の本棚に収まっていた。
 お絵かき帳にするなら使わせないと一度取り上げてエイリアスに見られてもいいように偽造したが、文字の練習帳に使うという約束で渡してしまった。
 俺の料理記録とコルダの微笑ましい絵日記を見たいというなら渡すけれど、オグオンがそれを見たら、即座に査問と私刑が始まってしまうだろう。

「み……見せてやりたいのは山々だが……市民の個人情報が記載されている。関係者以外に見せることはできないな」

「勇者でも、街の外の人間は駄目か」

「ああ、ホーリアではそういう決まりなんだ。市に閲覧請求を出してくれれば、後日対応してくれるだろう」

「そうか。残念だが、また今度にしよう」

 日頃の活躍を知って欲しかったのに、と俺が無念そうな顔をして言うと、オグオンは上手い言い訳を思い付いた俺に合格点をつけるように解放してくれた。
 こうなったら、オグオンに酒でも飲ませて早く帰ってもらうことにしよう。
 オグオンは酒程度で顔色一つを変えることはないが、首都の勇者は忙しいから、ある程度時間を潰せば帰ってくれるはずだ。

「では、庁舎に案内してくれ」

 キッチンに向かおうとしたところでオグオンに言われて、俺は背中を向けたまま動きを完全に止めて、「何故?」と静かに問いかけた。

「挨拶をしに行かなくては。先にこちらに来てしまった」

 庁舎に行けば、勇者のことは副市長が対応するだろう。
 俺の職務放棄も含めて仕事でストレスを溜めている副市長が、俺の日頃の行いを報告する絶好のチャンス。
 俺の配属を決めたオグオンに俺の役立たずっぷりを告げ口するのは、遠回しにその采配を批判するのと同じだ。
 しかし、オグオンは権力や身分などに囚われず誰にでも親しみを持たせるフリをするのが得意だから、副市長は簡単に騙されて、ぺらぺらと立場をわきまえずに余計な事を言い出すかもしれない。
 今から先回りして副市長に禁術をかけて発言を制御するか。そうでもしないと、俺が生き延びる方法はない。
 しかし、いくら防御膜で隠しても、オグオンがこんなに近くにいたら魔術の発動が気付かれてしまう。なす術無し。

「あ、アウビリス様、行っちゃうんですか……?」

 俺が今度こそ死を覚悟して遺書の書き出しを考えているのに、ニーアは出るもの全て出してぐしゃぐしゃになった顔でオグオンを見上げた。
 オグオンはニーアの前に膝を付く。俺の前では死んでいる表情筋を動かして、まるで人の心を持っているかのような笑顔を見せた。

「用を済ませて戻って来る。だから、少しここで待っていてくれないか」

「は、はぃ……」

「その時は、笑顔でね」

「…………はい!!」


 前世では無宗教で、現世で教会の孤児院育ちのこの俺が、生まれて初めて神に祈るほど窮地に陥っている。対してニーアは、生まれて初めて神を見たかのような輝いた瞳で、俺にとっての死神を見上げていた。
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