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第10話 勇者、死線を越える

〜3〜

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 リュフィリス・オグオンは、ヴィルドルクの首都アウビリスの勇者である。

 全勇者を統括する立場にあり、軍事力の司令塔として国政にも関わっている。
 養成校を主席で卒業してから親の跡を継いでリュフィリスの街付勇者を務めていたが、養成校の要望で数年で学校に戻り、教師として多くの勇者の養成に関わった後、首都を担当する勇者となった。
 見た目の年齢は20代前半くらいで、実年齢も恐らくそれくらい。
 長い金色の髪を一つにまとめていて、過去に人食い魔獣に片目を抉られたというエメラルドの瞳は、隻眼でありながら鋭く光り、意思も頭も固いオグオンの性格を表している。

 俺が案内しなくてもオグオンは庁舎の場所を知っているだろうが、俺がいない所で俺の評価、或いは判決が下されるのは考えるだけで背筋が凍る。
 今、オグオンと並んでホーリアの街を歩いているだけで、酷い動悸で呼吸もままならないのに。
 オグオンとともに事務所を出た俺は、迷いの無い足取りで街を歩くオグオンに引き摺られるように、庁舎に向かっていた。
 
 オグオンは、自分の気配を薄くする知覚低下の魔法をかけている。
 ニーアのような勇者の熱狂的なファンが騒ぎ出すのを防ぐ目的もあるだろうが、首都の勇者が田舎の街に来るとは何か事件でもあったのかと、騒然となるからだろう。
 しかし、姿を変えたり消したり、厳重な隠密行動をしていると、逆に物々しさが出てしまう。だから、街ですれ違う魔術師らしき人間は、知覚低下の魔術を透かしてオグオンの姿に気付いていた。そいつが勇者に好意的であれば「勇者様が来ている」と敬意と歓喜が混じった囁き声が聞こえてくる。

「私が勇者様と呼ばれるなら、ホーリアはここで何と呼ばれているんだ?」

「……」

 オグオンに尋ねられても、俺は答えられない。
 街付の勇者は、市民からは勇者様、市外の人間からは街の名前で呼ばれる習慣が付いている。しかし、俺はホーリアの人間には呼ばれない。
 大人には無視されるし、ガキには石を投げられるし、酷い迫害を受けている。
 オグオンにそんな事がバレたら、街付の勇者に不向きと評価が下されるだろう。飛び級首席卒業をした俺が初めての担当地区で、不名誉な烙印が押されるのは何としても避けたい。

「あ、おーい!貧乏人」

 オグオンに何と答えたものか考えていると、最悪なタイミングで肉屋の娘、チコリが声を掛けてきた。右手に大きなカゴを持っているから、出前か買い物の途中だ。
 ペルラとミミーから俺の財布の中身を聞いたのだろう。その呼び方はただの悪口だ。

「この前のバイト、なかなかいい収入になった。また呼んでくれ。ペルラ、あの金額なら家事手伝いでもやるってさ」

 市民にバイトを頼むのは、勇者の掟に反していない。おそらく。多分。後で確認しよう。
 自信は無いけれど、これを聞いたからといってオグオンが俺の処刑を執行するような爆弾発言ではないはず。最初の一言は聞き流してくれることを祈ろう。

「あれ?ツレがいたのか。悪かったな。じゃあ、また頼むよ」

 チコリは、オグオンの存在にようやく気付いて俺に謝った。
 謝るのは、ツレがいるのに話しかけたことではなく、人を貧乏人扱いしたことだ。貧乏だと思っている人間にバイトを求めるなんて、肉屋の人間は漏れなく金銭感覚が狂っている。
 魔術を知らない一介の肉屋の娘のチコリは、俺の隣にいるのが首都アウビリスの勇者だと気付かずに、そのまま出前のカゴを振って街を駆けて行った。
 残された俺は、この街で出来た友人だ、とチコリの背中を示してオグオンに紹介した。
 いつも性質の悪い冗談を言う奴で困ったものだ、とため息を吐く演技までしてみせる。

「特定の市民と親しくならないように。しかし、街に馴染んでいるのは良い事だ」

 オグオンは、なんだか俺を哀れむようにそう言った。


 +++++


 副市長室に着くと、俺を対応する時の2.5倍くらいの速さで副市長が駆け寄って来て、オグオンをソファーに招いた。
 いつもは俺が自発的に準備しているのに、ローテーブルには淹れたてのコーヒーが既に置かれている。オグオンは事前に副市長にアポを取っていたらしい。そのスケジューリング能力は、俺も見習わなくては。

「急な訪問で失礼する。挨拶だけさせてもらいたい」

「いえいえ、首都の勇者様にいらしていただけるなんて……ありがとうございます……!」

 副市長は、いつもの幸薄そうな顔に感激の涙を浮かべていた。
 副市長がニーアと同じ勇者狂いの人種という可能性もあるが、首都の勇者が田舎のホーリアに来るなど、まず無い事だ。泣き出す気持ちも理解できる。
 これも俺がこの街に務めているお蔭だ。オグオンの訪問を知っていたら、事前に恩着せがましくアピールしていたのに。

「それで、近頃のホーリアはどうだ?」

 オグオンは、新人の勇者が配属された街を案ずるような素振りで副市長に尋ねる。
 俺はこの場から逃げ出すべきか、潔く白装束にでも着替えて待つべきか、オグオンの後ろで考えあぐねていた。

「勇者の件で何かあれば、この際だ。正直なところを教えてほしい」

「そうですね……」

 ここで副市長が余計な事を言ったら、俺の延長戦のような長くも短い人生が終わってしまう。
 軽はずみな一言が人の命を奪うことがある。副市長というそれなりに立場のある人間が、それを理解していないはずがない。
 ゼロ番街の許可証の事件を解決してやったのは俺だ。それから、後は特に思い付かないが、街のために色々と働いてやっただろう。
 副市長は、オグオンと、その後ろで必死に拝み倒している俺を暫く見比べていたが、何やら納得したようで、一度頷いて口を開いた。

「まぁ、その、色々ありますが、よくやっていただいて、助かっています」

「そうか。それは良かった」

 オグオンが答えて、俺は神を称えて泣き崩れそうになった。
 これからは、副市長から頼まれた仕事は文句を言わずに快く引き受けよう。
 街で投げつけられる市民からの苦情を副市長にパスしたりしないで、俺が誠意をもって対応しよう。
 顔が辛気臭いとか雰囲気が縁起悪いとか、副市長に会うたびに失礼な事を考えるのは止めよう。
 俺のこの気持ちがいつまで保てるかは別として、今この瞬間に抱いた副市長への親愛の情は紛れも無い本物だ。

 ともあれ、欲しい証言は取れたのだから「色々ありますが」の詳細をオグオンが突っ込んで尋ねる前に話を切り上げようとした。
 しかし、オグオンは視線だけで俺を制する。

「今後、本人に直接言い辛いこともあるだろう。勇者絡みで困った事があったら、遠慮なく私を頼ってくれて構わない。お互い、上手くやっていこう」

 オグオンがそう言って、副市長の痩せた手を、剣の鍛錬で鍛えた手で握り締めた。
 好印象を与えるために表情筋を動かしたに過ぎないオグオンの顔を見つめて、副市長が恋に落ちる音が聞こえた気がした。
 副市長が年甲斐も無くオグオンに親しみを持ってしまい俺の愚痴でも漏らされたら、ギリギリで保っている俺の信用がジェンガのように一気に崩れてしまう。
 お互い忙しいから話は終わり、と俺はオグオンを副市長室から押し出した。
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