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第32話 勇者、候補者を支援する

〜11〜

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 オグオンの大臣室にノックと同時に踏み込んだが、コルダがいるのに気付いて寸前で言葉を飲み込んだ。
 オグオンはデスクに書類を山のように積み上げていて、その正面の椅子にコルダが座っている。まるで尋問のような構図だったが、尻尾を揺らしているコルダは飽きているが機嫌はそう悪くない様子だ。

「何をしてるんだ?」

「コルダの戸籍を作っている」

 年中無休で書類仕事に忙殺されているオグオンでも、人一人作り上げるのは大変らしく難しい顔で書類を見つめていた。
 俺が横に来て書類を覗く前に、オグオンはそれを脇に避けて違う紙を手に取った。
 戸籍関係の小難しい様式の書類と違って、白い紙に大きな文字が並んでいる。
 「大臣室の引き渡しをする」「机上札の作成を依頼する」と書かれているから、コルダのこれからのやることをまとめているようだ。
 オグオンはさて、と一度空気を切り替えてコルダに向き合った。

「北部訛りは話せるか?」

「北部訛り……?」

 コルダが疑問符を浮かべているから、俺は「こんな話し方のやつ」と北部訛りを真似て答えた。
 特徴的な訛りだが地元民は細かいアクセントにこだわりがあるようで、少し真似をしただけではすぐに土地の人間ではないとバレてしまう。俺でも地元民を相手に同郷を詐称できるかどうかは3勝1敗くらいだ。
 コルダがぷるぷると首を横に振ったのを見て、オグオンは手元の紙に「北部訛りを話せるようになる」と書き込んだ。

「ドルーブルグ式の文法で議案書は書けるか?」

「……?」

 続けてオグオンに尋ねられて、コルダは助けを求めて俺を見る。俺はオグオンの部屋にあった適当な議案書をコルダに渡した。
 ヴィルドルク語の文法はいくつか種類があり、過去にドルーブルグ大臣が使っていた古典式の文法が議案書では採用されている。一般的な会話や娯楽本には使われない文法だ。
 コルダが眺める議案書のページが一向に進まないのを見て、オグオンは「ドルーブルグ式文法を取得する」と書き込んだ。
 受験3日前のような地獄のTodoリストが出来上がっていくのを見て、俺はコルダの行く末に同情してしまう。
 コルダが不安そうな顔をしているのに気付いて、オグオンはここで逃すものかと考えたらしく、安心させるように軽く微笑んで見せた。

「これから慣れていけばいい。まずは、スーツを仕立てに行こう。見た目が全てではないが、服装が整っていれば文句を言う人間は半分に減る」

「ふぅん……そういうものですか……」

「ああ、試しにドレスルームに私のものを出して置いたから、好きなものを選んでみてくれ」

 オグオンに言われて、コルダはようやく解放されたと安堵した様子で隣の部屋に向かった。
 コルダがいなくなった隙に、隣の部屋に聞こえないようにオグオンの隣に腰掛けて本題に入った。

「ギリギリだったじゃないか」

「しかし、勝ったのだから何の問題ないだろう」

 先日行われた大臣選挙は、その日の内に結果が出た。
 獣人の大臣選挙の結果は一般に公開されるのが遅いから、俺は開票が終わった頃を見計らって議事堂まで行って獣人にチップを渡して聞き出した。
 結果、コルダが無事当選。だが、アルルカ大臣とは僅か十数票差で、逆転されてもおかしくない超接戦だった。

「あれだけ自信があるから、投票数を操作したりするのかと思っていた」

「まさか。他種族でも権利は尊重するものだ」

 そう言いながら、オグオンはデスクの脇にあった巨大な紙の綴りを持ち上げた。分厚過ぎてレンガの塊のようになっているが、よく見ると表紙に書かれているタイトルで引き継ぎ書だとわかる。

「使わずに済んで良かった」

 オグオンはそう言って引き継ぎ書を魔術で消した。
 いつか使うことになるだろうから取っておけばいいのにと思わなくもないが、つまりオグオンはそれだけの覚悟を持ってこの選挙に挑んだということだろう。
 俺はオグオンが作っていたコルダの戸籍関係の書類を横から失敬して眺めた。
 少女スルスムは、非合法の獣人養殖施設から逃げ出し、ヴィルドルク北部にある獣人の村で匿われていた。なるほど、北部の獣人は閉鎖的だがオグオンとは比較的友好的だから、頼めば口裏を合わせてくれるだろう。
 平和に暮らしていたコルダだが、自分のように虐げられている白銀種の安全保証と全ての獣人たちの地位向上を目指して獣人選挙に出馬を決め、リトルスクールを途中退学して首都に来た。と、いうことになっている。

「よく整った嘘だな」

「ホーリア」

 オグオンが続ける前に、「わかっている」と遮った。
 職歴は綺麗な方がいい。特に、大臣なんて重職に就く人間はより慎重になるべきだ。下手に勇者の事務所で働いていたことなど公になったら、勇者選出のオグオンとの癒着を疑われる。
 幸いなことに、ゼロ番街で働いていたコルダはあまり人に知られていないし、アルルカ大臣はコルダの演説の原稿が消滅した件を無かったことにする代わりにコルダが俺の事務所で働いていたことを忘れてくれるらしい。
 そんな事を考えていると、大臣室の扉がノックされた。オグオンが返事をすると、ゆっくりドアが開く。
 今までに見た事がないくらい静かにアルルカ大臣が中に入って来た。いつもだったらノックなどせずに怒鳴り込んで来るのに。
 アルルカ大臣は今回の選挙の結果をもって政界から引退することを明らかにした。次回の選挙にも出馬しないし、別の職に就く気もない。田舎に帰って余生を過ごすと噂で聞いていた。
 アルルカ大臣は匂いでコルダがいることに気付いたのか、いつものように不愉快そうに鼻を鳴らす。

「当選後も手厚く面倒を看るとは、平和過ぎるのも考えものだな」

「御用件は?」

 オグオンは素気なく尋ねた。アルルカ大臣はその態度に怒鳴り出すこともなく、僅かに眉を顰めただけだった。

「私の秘書を1人、置いていこう。勘違いするな。どこぞの老いぼれのように裏から大臣を操るつもりはない。ただ、答弁も出来ないヤツが獣人の代表だと思われたくないだけだ」」

 これから大臣になるコルダはオグオンに頼るわけにもいかないし、ドルーブルグ式の文法を習得できるかわからないし、政治に詳しい味方がいないと早々に詰む。
 獣人の仕事がわかっている秘書なら心強い。それに、単なる秘書であれば大臣の業務を乗っ取ることはできないだろう。
 思わぬ親切に、案外いい人じゃないか、と単純な俺は気を許してしまい、それに気付いたオグオンがちらりと冷たい目を向けて来た。

「では、有難く。コルダに伝えておきます」

「まぁ、うん、違う方法でも、戦い続けてくれるならそれでいいんだ」

 もうすぐ元大臣になるアルルカ大臣は、誰に聞かせるでもなく独り言のように呟いた。
 アルルカ大臣があれだけ白銀種を特別扱いするのは、社会的立場の弱い獣人を守るためだ。
 魔力が低くて識字文化も無く、怪力が特徴の獣人は、特権階級の白銀種を除いたその他大勢は賃金が低い肉体労働の仕事に就くことが多い。
 アルルカ大臣が白銀種を特別扱いすることでそれに付随するその他の獣人の地位も向上したし、コルダのような養殖を憎むのも、どこかで誘拐されて利用されている白銀種を助け出したいからだ。
 しかし、事務所に怒鳴り込んで来たり原稿を燃やしたり、全てを水に流せるほどではないから部屋を出て行くアルルカ大臣を黙って見送った。

「彼も、悪い人ではないんだ」

 オグオンは、犬猿の仲でも共に大臣を務めたアルルカ大臣に仲間意識があるのか、最後に彼を庇うような事を言った。
 しかし、それもアルルカ大臣がすっぱりと引退を決めたからだ。本心では邪魔者がいなくなって清々しているだろうから、俺もオグオンに付き合って彼を惜しむような顔をして見せた。


 +++++


 大臣は基本的に自宅に住んでいるらしいが、議事堂の別棟の宿舎が準備されているからそこを利用する人もいれば、オグオンのようにメインの仕事場の養成校と議事堂を往復していて住処が定まっていない人もいる。
 コルダは取りあえず宿舎に引っ越すことになり、俺の部屋から続々とコルダの荷物が運び出されていた。
 クラウィスがほぼ毎日掃除をしてくれてるのにやけに物が多くて片付かないと思ったら、コルダのおもちゃが溢れていたらしい。コルダの物が荷車に積み上げられると、俺の部屋は半分くらいは綺麗になった。
 しかし、大量のぬいぐるみや絵本も、大臣室には置けないから全て処分するらしい。

「長い間、お世話になりました」

 最後に残った寝床用のクッションだけ抱えて、コルダが事務所の前で頭を下げた。

「元気でいてくださいね。応援してます!」

 ニーアはいつもと変わらず笑顔で、気合いを入れるように力強く言った。クラウィスは少し寂しそうな顔をしつつ、餞別のお菓子の包みをコルダに渡す。
 そして、例の如くリリーナは自室から出て来ない。
 俺が黙っているのに気付いて、ニーアは別れの前とは思えない元気な笑顔を向けた。

「大丈夫ですよ!勇者様はアウビリス様の仕事でよく議事堂に行くから、また顔を見れますよ」

「これはどうするんだ?」

 俺はコルダの手入れ道具が入ったカゴを手に取って尋ねた。コルダの毛を整える時に俺がいつも使っているブラシやトリートメントが入っている。
 本心では、事務所に置いていってくれないかと僅かに期待していた。
 いつか、もしかしたらこの事務所にコルダが戻って来ることがあるかもしれない。そう思いたかったし、コルダも同じように考えてくれるんじゃないかと思っていた。
 しかし、コルダは俺からカゴを受け取って大事そうに抱き締める。

「ありがとなのだ!大事に使うのだ」

 笑顔で言ったコルダは、俺の顔を見て一瞬泣きそうな顔をしたが、すぐに誤魔化すように笑って俺の頭を肉球の付いた手でぽんぽんと叩いた。

「勇者様、さようならなのだ」

 それだけ言って、コルダはぱたぱたと手を振って馬車に乗り込んでいく。
 俺はこの先、スムスル大臣には会えても、コルダには一生会えないんだ。そう考えるとニーアやクラウィスのように手を振り返すことも出来なくて、馬車が見えなくなるまで黙って立っていた。

「勇者様とコルダさん、いつも一緒にいましたからね」

 ニーアが先程とは違って慰めるように静かに言って、俺にタオルを渡すとクラウィスを連れて事務所に戻った。
 ニーアは全部分かっていながら俺と違って笑顔で見送りが出来ていて、やっぱりすごいと思う。
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