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第34話 勇者、国政に携わる
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御宅の御家騒動に巻き込まれてとんでもない迷惑を被りましたよ。と、ホテル・アルニカのオーナーに報告したのは数日経ってからだった。
カナタの様子を見るためにホテル・アルニカに行ったのに前と同じくスウィートルームの主はいない。
部屋は引き払わずに住み続けているのに、外出していて会えない事が続いていた。
カナタは変異が進んでいて食事もまともに出来ないし動くのも辛いはずなのに、一体何の用事でどこを出歩いているのか。
探しに行こうと部屋を出た所で、オーナーが高そうな酒を持って軽い足取りで廊下を歩いているのが見えた。
客から差し入れで思わぬ褒美を貰って、嬉しくて俺がいるのも気付いていながら無視している。
羨ましいなと思ってオーナーについて行って、そのままオーナー室まで来てしまった。追い出されるかと思ったが、オーナーは誰かと酒を飲みたい気分だったらしく席を準備してくれた。
その御礼に、楽しい酒の肴として俺がリリーナのせいで2回ほど死にかけた話をしてあげた。
ヨルガは溺れかけただけですんなり引き下がってくれたが、もっと魔力があって好戦的な「剣士」の魔術師が同じようなことをしだすかもしれない。そして、また俺が被害を被るかもしれない。
ガラステーブルに広げたゲーム盤を睨みながら、オーナーは「そうですか」とだけ答えた。
このオーナーは本体だ。先程からゲームに集中し過ぎて恰幅のいい赤ら顔の変装が薄らと透けてきている。
若造の俺へのハンデとして聖騎士の駒を1つにしているから、オーナーは苦境に立たされている。俺としてはあまりのハンデにいまいちやる気が出ない。
「親戚一同なんて相手にしてられない」
「あれは、北の、ハルデオス街の方の親類です。あそこに退魔の子が出たと聞きましたから、焦っていたのでしょう」
酒が回っているオーナーはどうでも良さそうにぼんやりと答えた。
普通の家でも退魔の子が生まれたとなると、親族が集まって大規模な会議が開かれるくらいの騒動だ。
生まれたばかりの子どもに魔術をかけるのは悪影響があるから、大切に育てられた子ほど退魔の子だと気付くのが遅れる。貴族階級ともなると4、5歳になるまで魔術を使わないから、親戚全員が子ども生まれたと知れ渡った後に気付いて大問題になるわけだ。
「魔術師の家系に退魔の子が生まれたらどうなるんだ?」
「当主の直系でなければそれほど影響はございません。当主争いの順番の、一番最後に回されるくらいです」
「……」
当主の座に胡座をかいているオーナーが言うから大したことがないように聞こえるけれど、当主になるかならないかは、死活問題のような気がする。
生まれた子がどうなるのかは、多分知っているから俺は聞かなかった。わざわざ空気を悪くしたくないから、話題を変える。
「最近、カナタは忙しくしてないか?」
「さぁ……宿泊客のプライベートには立ち入りませんから」
「でも、カナタはイナムだろう。心配にならないのか?」
「イナムだと、何が心配なんですか?」
オーナーに言われて、俺は答えに迷う。
何が心配なのか、はっきりと俺にもよくわからないけれど、ちゃんと見張っていないとイナムは何か面倒な事を起こす気がする。俺も含めて。
「そうだとしても、私には関係ありませんね」
オーナーがそう言って、ようやく思い付いた一手を指した。
+++++
事務所に戻ると、キッチンで夕食の準備をしていたクラウィスが『おかえりなさい』と顔を出してくれる。
「カルムは?」
『寝てまス』
クラウィスは自室を指差した。いつも通り、ゼロ番街の出勤前に寝ているらしい。
どういうつもりで防御魔術を発動しかけたのかと問い詰めたが、カルムは口では謝罪するものの本心はわからなかった。
優秀な軍事魔術師として、ニーアのように防御魔術が避けられない程度の人間は死んでもいいと思っていた。と、通常の魔術師だったらそう考えているだろうが、退魔の子に懐いているカルムは通常の魔術師ではない。
「カルムが探している子って、ティフォーネっていうんだろう」
『はい、そうらしいでスね』
「クラウィス、どこにいるのか知らないのか?」
『本当に、クラウィスは知らないんでス……』
クラウィスはカルムの力になれない自分を悔しがるようにそう言って、キッチンに引き返した。
「シス」
俺が呼びかけるとクラウィスは足を止めた。
カルムがクラウィスを呼んだ名前だ。クラウィスは振り返って不思議そうに俺を見る。
「って、誰だろうな」
『誰でしょうね』
クラウィスはそう言って、にっこりと笑顔を見せた。
「クラウィス、俺は本当は……」
言いかけた所で、庭からニーアの叫び声が聞こえてきた。
ニーアが一人で騒いでいるのは珍しいことではないが、それにしても本気の悲鳴だ。何かと思ってテラスから庭に出ると、巨大なタコが出現していた。
事務所の建物を軽く超える10mはあろうかというタコだ。新種の魔獣かと思ったが、よく見ると庭のプールに住んでいるフォカロルだった。8本の足元を見ると、確かにプールの中から出て来ている。
タコが嫌いなニーアは腰が抜けてへたり込んでいて、その横でリリーナは青い顔をしてフォカロルを見上げていた。
「何してるんだ?」
「あのさ、あの、また勝負することになった時のためにニーアが泳ぎの練習するって言うから、だから……プールを大きくしようとしたんだけど……」
ニーアの絶叫に怯んだリリーナがたどたどしく説明する。リリーナの魔力を辿ってみると、フォカロルの頭の後ろに魔術式が彫られていた。
プールを大きくしようとして魔術を掛けたが、ちょうど底にいたフォカロルに掛かってしまったらしい。
「このプールは海と繋がっているから、枠を大きくしないと」
「そ、そうなの?」
リリーナの術を解いて元の大きさに戻そうとしたが、フォカロルの足が1本伸びて来て俺の腰に巻き付いた。
何だ何だと思っている間に、軽々持ち上げられてフォカロルの巨大な瞳が目の前に迫って来る。
「あー!!勇者様が捕食されるー!!離せー!」
ニーアが泣きながらフォカロルをべちべちと殴っていた。
しかし、タコの口は足の下にあるから頭上に持ち上げられても食べられる危険はない。そして、頭に見える一番上の膨らんだ部分も実は胴体である。
フォカロルは軟体動物の切れ目のような目で俺を見ている様子だった。そう言えば、タコは知性が高いと聞いたことがある。試しにフォカロルの湿った体に触れてフォカロルの思考を魔術で読んでみた。
最初の記憶は、漁師に網で捕まって引っ張り出された場面だ。
『これだけじゃ売り物にならないし、捌いて食うか……』
と、漁師がナイフを振り上げた所で、お菓子を食べながらプラプラと歩いている俺が見える。漁師はそれに気付いて、ナイフを収めた。
『勇者様、これ持って行きなよ!』
場面が切り替わって、コルダが目の前に出て来た。珍しそうに肉球の付いた手でぱしぱしとパンチをしてくる。その後ろの方ではニーアが悲鳴を上げていた。
『勇者様ー!これは新しいお友達なのだー!』
コルダが嬉しそうに歓声を上げて、また場面が切り替わる。
俺と手を繋いでニーアとコルダが泳ぐ練習を眺めているところとか、ニーアがばちゃばちゃと泳いでいるのを海底の砂の上から見上げるところとか。
ニーアは今にも沈んで蹴られそうだったけれど、白い波と青い飛沫が散って日の光が綺麗な模様を描いていた。
このプールは海と繋がっているのに、フォカロルはどうしてずっとここにいるのか不思議だった。俺が気まぐれに餌をあげているけれど、好きな所に行けるのに。
しかし、フォカロルの記憶を見てわかった気がする。フォカロルは漁師に食べられる所だったのを俺に助けてもらったと考えていて、ここで生活するのが楽しかったらしい。
「そうか、元気で」
俺が言うと、フォカロルは満足したように俺を下した。俺が食べられると思って泣いていたニーアが俺に抱き着いて来る。
ぬめぬめになった俺の体に抱き着かないようにニーアを離しつつ、狭いプールに体を押し込んで海に戻って行こうとするフォカロルを見送っていた。
「どうしたの?」
「もう行くって」
「そう」
俺とリリーナが眺めている間に、フォカロルの巨大な体がすぽん、と音を立ててプールの中に納まる。
そして、大きな波が立ってフォカロルは広い海に泳ぎ出して行った。
「あの、元の大きさに戻さなくて良かったんですか……?」
「あ」
「……」
ニーアに言われて、俺とリリーナは同時に気付く。
既にプールの水面は元の通り凪いでいる。あの大きさになったフォカロルは、きっとそれだけ泳ぎも早くなっているだろう。
俺は気分を切り替えて午後のお茶を始めることにした。
カナタの様子を見るためにホテル・アルニカに行ったのに前と同じくスウィートルームの主はいない。
部屋は引き払わずに住み続けているのに、外出していて会えない事が続いていた。
カナタは変異が進んでいて食事もまともに出来ないし動くのも辛いはずなのに、一体何の用事でどこを出歩いているのか。
探しに行こうと部屋を出た所で、オーナーが高そうな酒を持って軽い足取りで廊下を歩いているのが見えた。
客から差し入れで思わぬ褒美を貰って、嬉しくて俺がいるのも気付いていながら無視している。
羨ましいなと思ってオーナーについて行って、そのままオーナー室まで来てしまった。追い出されるかと思ったが、オーナーは誰かと酒を飲みたい気分だったらしく席を準備してくれた。
その御礼に、楽しい酒の肴として俺がリリーナのせいで2回ほど死にかけた話をしてあげた。
ヨルガは溺れかけただけですんなり引き下がってくれたが、もっと魔力があって好戦的な「剣士」の魔術師が同じようなことをしだすかもしれない。そして、また俺が被害を被るかもしれない。
ガラステーブルに広げたゲーム盤を睨みながら、オーナーは「そうですか」とだけ答えた。
このオーナーは本体だ。先程からゲームに集中し過ぎて恰幅のいい赤ら顔の変装が薄らと透けてきている。
若造の俺へのハンデとして聖騎士の駒を1つにしているから、オーナーは苦境に立たされている。俺としてはあまりのハンデにいまいちやる気が出ない。
「親戚一同なんて相手にしてられない」
「あれは、北の、ハルデオス街の方の親類です。あそこに退魔の子が出たと聞きましたから、焦っていたのでしょう」
酒が回っているオーナーはどうでも良さそうにぼんやりと答えた。
普通の家でも退魔の子が生まれたとなると、親族が集まって大規模な会議が開かれるくらいの騒動だ。
生まれたばかりの子どもに魔術をかけるのは悪影響があるから、大切に育てられた子ほど退魔の子だと気付くのが遅れる。貴族階級ともなると4、5歳になるまで魔術を使わないから、親戚全員が子ども生まれたと知れ渡った後に気付いて大問題になるわけだ。
「魔術師の家系に退魔の子が生まれたらどうなるんだ?」
「当主の直系でなければそれほど影響はございません。当主争いの順番の、一番最後に回されるくらいです」
「……」
当主の座に胡座をかいているオーナーが言うから大したことがないように聞こえるけれど、当主になるかならないかは、死活問題のような気がする。
生まれた子がどうなるのかは、多分知っているから俺は聞かなかった。わざわざ空気を悪くしたくないから、話題を変える。
「最近、カナタは忙しくしてないか?」
「さぁ……宿泊客のプライベートには立ち入りませんから」
「でも、カナタはイナムだろう。心配にならないのか?」
「イナムだと、何が心配なんですか?」
オーナーに言われて、俺は答えに迷う。
何が心配なのか、はっきりと俺にもよくわからないけれど、ちゃんと見張っていないとイナムは何か面倒な事を起こす気がする。俺も含めて。
「そうだとしても、私には関係ありませんね」
オーナーがそう言って、ようやく思い付いた一手を指した。
+++++
事務所に戻ると、キッチンで夕食の準備をしていたクラウィスが『おかえりなさい』と顔を出してくれる。
「カルムは?」
『寝てまス』
クラウィスは自室を指差した。いつも通り、ゼロ番街の出勤前に寝ているらしい。
どういうつもりで防御魔術を発動しかけたのかと問い詰めたが、カルムは口では謝罪するものの本心はわからなかった。
優秀な軍事魔術師として、ニーアのように防御魔術が避けられない程度の人間は死んでもいいと思っていた。と、通常の魔術師だったらそう考えているだろうが、退魔の子に懐いているカルムは通常の魔術師ではない。
「カルムが探している子って、ティフォーネっていうんだろう」
『はい、そうらしいでスね』
「クラウィス、どこにいるのか知らないのか?」
『本当に、クラウィスは知らないんでス……』
クラウィスはカルムの力になれない自分を悔しがるようにそう言って、キッチンに引き返した。
「シス」
俺が呼びかけるとクラウィスは足を止めた。
カルムがクラウィスを呼んだ名前だ。クラウィスは振り返って不思議そうに俺を見る。
「って、誰だろうな」
『誰でしょうね』
クラウィスはそう言って、にっこりと笑顔を見せた。
「クラウィス、俺は本当は……」
言いかけた所で、庭からニーアの叫び声が聞こえてきた。
ニーアが一人で騒いでいるのは珍しいことではないが、それにしても本気の悲鳴だ。何かと思ってテラスから庭に出ると、巨大なタコが出現していた。
事務所の建物を軽く超える10mはあろうかというタコだ。新種の魔獣かと思ったが、よく見ると庭のプールに住んでいるフォカロルだった。8本の足元を見ると、確かにプールの中から出て来ている。
タコが嫌いなニーアは腰が抜けてへたり込んでいて、その横でリリーナは青い顔をしてフォカロルを見上げていた。
「何してるんだ?」
「あのさ、あの、また勝負することになった時のためにニーアが泳ぎの練習するって言うから、だから……プールを大きくしようとしたんだけど……」
ニーアの絶叫に怯んだリリーナがたどたどしく説明する。リリーナの魔力を辿ってみると、フォカロルの頭の後ろに魔術式が彫られていた。
プールを大きくしようとして魔術を掛けたが、ちょうど底にいたフォカロルに掛かってしまったらしい。
「このプールは海と繋がっているから、枠を大きくしないと」
「そ、そうなの?」
リリーナの術を解いて元の大きさに戻そうとしたが、フォカロルの足が1本伸びて来て俺の腰に巻き付いた。
何だ何だと思っている間に、軽々持ち上げられてフォカロルの巨大な瞳が目の前に迫って来る。
「あー!!勇者様が捕食されるー!!離せー!」
ニーアが泣きながらフォカロルをべちべちと殴っていた。
しかし、タコの口は足の下にあるから頭上に持ち上げられても食べられる危険はない。そして、頭に見える一番上の膨らんだ部分も実は胴体である。
フォカロルは軟体動物の切れ目のような目で俺を見ている様子だった。そう言えば、タコは知性が高いと聞いたことがある。試しにフォカロルの湿った体に触れてフォカロルの思考を魔術で読んでみた。
最初の記憶は、漁師に網で捕まって引っ張り出された場面だ。
『これだけじゃ売り物にならないし、捌いて食うか……』
と、漁師がナイフを振り上げた所で、お菓子を食べながらプラプラと歩いている俺が見える。漁師はそれに気付いて、ナイフを収めた。
『勇者様、これ持って行きなよ!』
場面が切り替わって、コルダが目の前に出て来た。珍しそうに肉球の付いた手でぱしぱしとパンチをしてくる。その後ろの方ではニーアが悲鳴を上げていた。
『勇者様ー!これは新しいお友達なのだー!』
コルダが嬉しそうに歓声を上げて、また場面が切り替わる。
俺と手を繋いでニーアとコルダが泳ぐ練習を眺めているところとか、ニーアがばちゃばちゃと泳いでいるのを海底の砂の上から見上げるところとか。
ニーアは今にも沈んで蹴られそうだったけれど、白い波と青い飛沫が散って日の光が綺麗な模様を描いていた。
このプールは海と繋がっているのに、フォカロルはどうしてずっとここにいるのか不思議だった。俺が気まぐれに餌をあげているけれど、好きな所に行けるのに。
しかし、フォカロルの記憶を見てわかった気がする。フォカロルは漁師に食べられる所だったのを俺に助けてもらったと考えていて、ここで生活するのが楽しかったらしい。
「そうか、元気で」
俺が言うと、フォカロルは満足したように俺を下した。俺が食べられると思って泣いていたニーアが俺に抱き着いて来る。
ぬめぬめになった俺の体に抱き着かないようにニーアを離しつつ、狭いプールに体を押し込んで海に戻って行こうとするフォカロルを見送っていた。
「どうしたの?」
「もう行くって」
「そう」
俺とリリーナが眺めている間に、フォカロルの巨大な体がすぽん、と音を立ててプールの中に納まる。
そして、大きな波が立ってフォカロルは広い海に泳ぎ出して行った。
「あの、元の大きさに戻さなくて良かったんですか……?」
「あ」
「……」
ニーアに言われて、俺とリリーナは同時に気付く。
既にプールの水面は元の通り凪いでいる。あの大きさになったフォカロルは、きっとそれだけ泳ぎも早くなっているだろう。
俺は気分を切り替えて午後のお茶を始めることにした。
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