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第38話 勇者、真実に向き合う
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どうやら、ウラガノの機嫌が悪くなると魔力が濃くなり、それに中てられて俺の具合が悪くなる。
そう説明すると、ニーアの動きは迅速だった。
ウラガノの所属長と人事課に話を付けて、長めの休みをもぎ取って来た。ニーアが強めの酒と高めの肴を渡しながらウラガノにそう報告すると、一帯に満ちていた魔力が霧散する。
ウラガノは、人類の長い歴史から見ても跳び抜けて単純で分かりやすい人間なのだと思う。
俺が弁明することではないけれど、役所で働く人間が皆こういう人種だと思われるのは心外だ。
「それで、どうしたんだ?」
ニーアが気を利かせて俺用にアイスを買って来てくれて、それなりに復活した所で尋ねた。ニーアとウラガノが会議室のガタつく長机で始めた酒盛りに参加する程の元気はないけれど、充満していた魔力が無くなってようやく呼吸が普通に出来るようになる。
「めっちゃくちゃ忙しかったんですよ。先月の残業、50時間超えてますもん」
ウラガノは余命僅かの患者のような血の気が無い顔をしていたのに、今この時点から仕事が休めると聞いた途端完全に目を覚まして今からレジャーにでも行けそうだった。こういう奴のせいで新型うつは勘違いされるんだ。
そもそも月50時間は大した残業時間じゃない。と思ったが、俺からそんな事を言うとパワハラになりそうだから黙っていた。
「月50時間は大した残業時間じゃないですよ。でも、急に忙しくなったのはゼロ番街が無くなったからですか?」
いつも俺の考えを汲んでくれるニーアが、俺の気遣いを無視してウラガノの哀れな嘆きをばっさり切り捨てた。
しかし、ニーアが魔法剣士としてホーリア市役所に勤めていた時はもっと残業していただろうし、ここでウラガノに手を上げないだけニーアは温厚になったものだ。
「そうだよ。市内の店は今までゼロ番街に散々文句言ってたけどさ、あそこの廃業が決まってから観光客が激減して、ホテルの予約もキャンセルが相次いでいるんだって」
「前に営業休止になった時も同じような事になってましたね。あの時は休止ですけど、今回は営業を再開するつもりはなさそうですし……」
「そうそう。それで、役所が補助金を出せとか支配人を説得しろとか、連絡が来まくってるんだ」
つまり、と俺は2人の話を止める。
俺は敵の魔術師が市役所に潜んでいるんじゃないかと、つまりホーリア市の絶対絶命のピンチなんじゃないかと覚悟をして魔力の元に辿り着いた。
それなのに元凶のウラガノは、健康相談室でする程度の話しかしていない。
「ウラガノは、残業時間が増えてストレスが溜まると魔力が制御できなくなるのか」
「はい。勇者様も良くご存じだと思うんですけど、俺って繊細なんすよね」
繊細な奴は、休みを取ったとしても同僚が仕事をしている勤務時間中に職場で酒を飲まない。
そう言ってやろうかと思ったが、ウラガノのドラム缶のような繊細さの前では俺の苦情など春風のようなものだと諦めた。
「ストレスって言っても、前に無実の罪で捕まった時はこんな風にならなかったですよね?」
「だって、あの時は仕事休めたから。それに、今はプライベートでも面倒なことがあって……」
ウラガノが言いかけて、言葉を止めた。
会議室の入口とは逆の壁の方を見る。俺も気付いてそちらを見た。
先程と同じ、海辺に立っているかのような大量の魔力の気配。だが、ウラガノから発されているものではなく、しかも明確な敵意を持ってこちらを狙っている。
壁が破壊される、と俺が反応するよりも先にウラガノが防御魔術を張った。
日頃の行いのせいでよく忘れるが、ウラガノは侵入系の魔術だけはそこらの魔術師では敵わないくらい才能がある。
それならその対極とも言える防御魔術も同じように得意なのか。
俺は期待してそう尋ねたが、ウラガノは曖昧な顔で首を傾げた。
「いやぁ、多分一般レベルです」
「一般の魔術師レベル?」
「いえ、一般人レベル」
じゃあ駄目じゃん。
と、俺が言う前に庁舎がバラバラになった。
このまま崩れ落ちたら俺たちだけでなく働いている職員全員が大怪我をするか死ぬかするから、術の発動後に間髪入れずに復元魔術を発動する。
相手はそれに気付いて、この会議室の壁だけ爆破魔術で破壊してきた。
「あらあら。まあまあ。勇者様」
壁の1面が無くなって抜群の風通しの会議室に、瓦礫を踏み越えて魔術師が一人、入って来る。
ローブで顔が見えないが、ウラガノよりも少し年上くらいの女性だ。
ゆったりと上品そうな口調で古代魔術語を話し、瓦礫の土煙が収まらない中でその姿は不気味だった。
「すぐに終わらせますから、どうぞどうぞ、一歩も動かず見ていてくださいね」
ぱちん、と俺の足元で術式が発動して火花が散った。
魔術師流のこの挨拶は、一歩でも動いたら殺すという懇切丁寧な警告だ。
「やだよ。俺は絶対に帰らないからな!」
ウラガノが古代魔術語で応える。内容はともかく、俺よりも、下手したらリリーナよりも綺麗な発音だった。
このままウラガノがホーリア市から遠く離れた所でこいつの相手をしてくれないかと期待したが、ウラガノはニーアを盾にして、更に俺の後ろに隠れて出て来ようとしない。
魔術師とウラガノに挟まれて、国の勇者の俺は僅かな期待を込めて後ろのウラガノに尋ねる。
「ウラガノの国籍は?」
「は?俺は結婚した時に完全にヴィルドルク国民になりましたよ」
「そうか……」
「なんで残念そうなんすか?」
「国と国民を守るのが、勇者の使命ですからね」
ニーアが察して、俺に同情するように呟いた。
送別会もそこそこにウラガノを魔術師に引き渡してここでお別れをする、という魅力的な選択肢が無くなり、俺は魔術師に向き合う。
魔術合戦になると勝ち目がない。数メートル離れていても、有する魔力と経験の差がわかる。
2人を連れて逃げるか。しかし、それでは役所に危険が及びそうだ。中に入るために建物をバラバラにするくらいだから、出る時にだってバラバラにする可能性がある。
俺が囮になってある程度引き付けて、どこかで魔術師の応援を呼ぶ。俺がどこまで五体満足でいられるか微妙だが、これに賭けるしかないだろう。
一瞬の間に思考を巡らせていると、ぴゅう、と刃音が聞こえた。
当たる、と思って感覚だけで首を反らすと、俺の頭があった所を剣魔術が通り過ぎる。
避けるのが遅れていたら、俺の頭蓋骨もろとも頭が真っ二つになっていた。
「私の縄張りで、騒ぎを起こさないでいただきたい」
次の剣魔術を構えて、ホテル・アルニカのオーナーが俺の庇うように前に立った。
いつもの油染みで汚れた白い前掛けを付けた肉付きの良い姿だったが、鉄と炎の魔術の気配に満ちている。
頼りになる最強の味方のような登場だ。しかし、一歩間違えたら俺が死んでいた件について、後で別途話し合う必要がある。
「嫌だわ。怖気づいて、逆らって。挙句に追放された剣奴が今更なにかしら」
「この国にも奴にも義理はありませんが、船乗ごときに劣ると思われるのは遺憾ですからね。血筋が汚れた一族は川辺で水遊びでもしてればよいのでは?」
俺の後ろに、全く同じ姿のオーナーがもう一人現れる。
魔術の分身かと思ったが、2人とも同じくらいの魔力を有していた。
いつの間に2人に増えたのか。俺を殺そうとする奴なら1人で充分なのに。
魔術師は余裕そうな口ぶりを崩さなかったが、2人のオーナーを前にして部が悪い戦いだと理解したようだ。じりじりと逃げるチャンスを窺っている。
オーナーが次の剣魔術を発動させると、移動魔術で姿を消そうとしたが、オーナーはそれを発動前に解除する。
魔術師は右手を犠牲にして疾風魔術を無理矢理発動した。ぼきりと、右手の骨が折れる音が消えない内に、オーナーは前掛けを翻して魔術師を追い掛けて行く。
「まったく、仕事を増やさないでほしいわ」
風よりも早く姿を消したオーナーは、図体に合わない涼し気な声を残して行った
その声を聞いて、あっちのオーナーはリコリスが変身していたのかと気付く。
もう一人のオーナーはというと、どうやら本物らしい。分厚い脂肪に包まれた姿をよくよく見ると火傷で歪んだ肌の小柄な人物が透けて見えた。
魔術師の手で一度崩壊しかけて、俺が直した庁舎を調べている。
「これはこれは!雑に直しましたね、勇者様!」
「咄嗟の割に、出来はいいだろう」
「いえいえ、直さない方がマシなレベルです。こうなっては私の腕でも戻せるかどうか……あーあー、こりゃこりゃこりゃ……あー……」
「……」
オーナーは快く庁舎の修理を引き受けてくれるようだ。
一先ずの危険は去ったが、念の為人が少ない所に場所を変えよう。俺が言うと、ニーアとウラガノは確保していた酒とツマミを抱えて頷いた。
そう説明すると、ニーアの動きは迅速だった。
ウラガノの所属長と人事課に話を付けて、長めの休みをもぎ取って来た。ニーアが強めの酒と高めの肴を渡しながらウラガノにそう報告すると、一帯に満ちていた魔力が霧散する。
ウラガノは、人類の長い歴史から見ても跳び抜けて単純で分かりやすい人間なのだと思う。
俺が弁明することではないけれど、役所で働く人間が皆こういう人種だと思われるのは心外だ。
「それで、どうしたんだ?」
ニーアが気を利かせて俺用にアイスを買って来てくれて、それなりに復活した所で尋ねた。ニーアとウラガノが会議室のガタつく長机で始めた酒盛りに参加する程の元気はないけれど、充満していた魔力が無くなってようやく呼吸が普通に出来るようになる。
「めっちゃくちゃ忙しかったんですよ。先月の残業、50時間超えてますもん」
ウラガノは余命僅かの患者のような血の気が無い顔をしていたのに、今この時点から仕事が休めると聞いた途端完全に目を覚まして今からレジャーにでも行けそうだった。こういう奴のせいで新型うつは勘違いされるんだ。
そもそも月50時間は大した残業時間じゃない。と思ったが、俺からそんな事を言うとパワハラになりそうだから黙っていた。
「月50時間は大した残業時間じゃないですよ。でも、急に忙しくなったのはゼロ番街が無くなったからですか?」
いつも俺の考えを汲んでくれるニーアが、俺の気遣いを無視してウラガノの哀れな嘆きをばっさり切り捨てた。
しかし、ニーアが魔法剣士としてホーリア市役所に勤めていた時はもっと残業していただろうし、ここでウラガノに手を上げないだけニーアは温厚になったものだ。
「そうだよ。市内の店は今までゼロ番街に散々文句言ってたけどさ、あそこの廃業が決まってから観光客が激減して、ホテルの予約もキャンセルが相次いでいるんだって」
「前に営業休止になった時も同じような事になってましたね。あの時は休止ですけど、今回は営業を再開するつもりはなさそうですし……」
「そうそう。それで、役所が補助金を出せとか支配人を説得しろとか、連絡が来まくってるんだ」
つまり、と俺は2人の話を止める。
俺は敵の魔術師が市役所に潜んでいるんじゃないかと、つまりホーリア市の絶対絶命のピンチなんじゃないかと覚悟をして魔力の元に辿り着いた。
それなのに元凶のウラガノは、健康相談室でする程度の話しかしていない。
「ウラガノは、残業時間が増えてストレスが溜まると魔力が制御できなくなるのか」
「はい。勇者様も良くご存じだと思うんですけど、俺って繊細なんすよね」
繊細な奴は、休みを取ったとしても同僚が仕事をしている勤務時間中に職場で酒を飲まない。
そう言ってやろうかと思ったが、ウラガノのドラム缶のような繊細さの前では俺の苦情など春風のようなものだと諦めた。
「ストレスって言っても、前に無実の罪で捕まった時はこんな風にならなかったですよね?」
「だって、あの時は仕事休めたから。それに、今はプライベートでも面倒なことがあって……」
ウラガノが言いかけて、言葉を止めた。
会議室の入口とは逆の壁の方を見る。俺も気付いてそちらを見た。
先程と同じ、海辺に立っているかのような大量の魔力の気配。だが、ウラガノから発されているものではなく、しかも明確な敵意を持ってこちらを狙っている。
壁が破壊される、と俺が反応するよりも先にウラガノが防御魔術を張った。
日頃の行いのせいでよく忘れるが、ウラガノは侵入系の魔術だけはそこらの魔術師では敵わないくらい才能がある。
それならその対極とも言える防御魔術も同じように得意なのか。
俺は期待してそう尋ねたが、ウラガノは曖昧な顔で首を傾げた。
「いやぁ、多分一般レベルです」
「一般の魔術師レベル?」
「いえ、一般人レベル」
じゃあ駄目じゃん。
と、俺が言う前に庁舎がバラバラになった。
このまま崩れ落ちたら俺たちだけでなく働いている職員全員が大怪我をするか死ぬかするから、術の発動後に間髪入れずに復元魔術を発動する。
相手はそれに気付いて、この会議室の壁だけ爆破魔術で破壊してきた。
「あらあら。まあまあ。勇者様」
壁の1面が無くなって抜群の風通しの会議室に、瓦礫を踏み越えて魔術師が一人、入って来る。
ローブで顔が見えないが、ウラガノよりも少し年上くらいの女性だ。
ゆったりと上品そうな口調で古代魔術語を話し、瓦礫の土煙が収まらない中でその姿は不気味だった。
「すぐに終わらせますから、どうぞどうぞ、一歩も動かず見ていてくださいね」
ぱちん、と俺の足元で術式が発動して火花が散った。
魔術師流のこの挨拶は、一歩でも動いたら殺すという懇切丁寧な警告だ。
「やだよ。俺は絶対に帰らないからな!」
ウラガノが古代魔術語で応える。内容はともかく、俺よりも、下手したらリリーナよりも綺麗な発音だった。
このままウラガノがホーリア市から遠く離れた所でこいつの相手をしてくれないかと期待したが、ウラガノはニーアを盾にして、更に俺の後ろに隠れて出て来ようとしない。
魔術師とウラガノに挟まれて、国の勇者の俺は僅かな期待を込めて後ろのウラガノに尋ねる。
「ウラガノの国籍は?」
「は?俺は結婚した時に完全にヴィルドルク国民になりましたよ」
「そうか……」
「なんで残念そうなんすか?」
「国と国民を守るのが、勇者の使命ですからね」
ニーアが察して、俺に同情するように呟いた。
送別会もそこそこにウラガノを魔術師に引き渡してここでお別れをする、という魅力的な選択肢が無くなり、俺は魔術師に向き合う。
魔術合戦になると勝ち目がない。数メートル離れていても、有する魔力と経験の差がわかる。
2人を連れて逃げるか。しかし、それでは役所に危険が及びそうだ。中に入るために建物をバラバラにするくらいだから、出る時にだってバラバラにする可能性がある。
俺が囮になってある程度引き付けて、どこかで魔術師の応援を呼ぶ。俺がどこまで五体満足でいられるか微妙だが、これに賭けるしかないだろう。
一瞬の間に思考を巡らせていると、ぴゅう、と刃音が聞こえた。
当たる、と思って感覚だけで首を反らすと、俺の頭があった所を剣魔術が通り過ぎる。
避けるのが遅れていたら、俺の頭蓋骨もろとも頭が真っ二つになっていた。
「私の縄張りで、騒ぎを起こさないでいただきたい」
次の剣魔術を構えて、ホテル・アルニカのオーナーが俺の庇うように前に立った。
いつもの油染みで汚れた白い前掛けを付けた肉付きの良い姿だったが、鉄と炎の魔術の気配に満ちている。
頼りになる最強の味方のような登場だ。しかし、一歩間違えたら俺が死んでいた件について、後で別途話し合う必要がある。
「嫌だわ。怖気づいて、逆らって。挙句に追放された剣奴が今更なにかしら」
「この国にも奴にも義理はありませんが、船乗ごときに劣ると思われるのは遺憾ですからね。血筋が汚れた一族は川辺で水遊びでもしてればよいのでは?」
俺の後ろに、全く同じ姿のオーナーがもう一人現れる。
魔術の分身かと思ったが、2人とも同じくらいの魔力を有していた。
いつの間に2人に増えたのか。俺を殺そうとする奴なら1人で充分なのに。
魔術師は余裕そうな口ぶりを崩さなかったが、2人のオーナーを前にして部が悪い戦いだと理解したようだ。じりじりと逃げるチャンスを窺っている。
オーナーが次の剣魔術を発動させると、移動魔術で姿を消そうとしたが、オーナーはそれを発動前に解除する。
魔術師は右手を犠牲にして疾風魔術を無理矢理発動した。ぼきりと、右手の骨が折れる音が消えない内に、オーナーは前掛けを翻して魔術師を追い掛けて行く。
「まったく、仕事を増やさないでほしいわ」
風よりも早く姿を消したオーナーは、図体に合わない涼し気な声を残して行った
その声を聞いて、あっちのオーナーはリコリスが変身していたのかと気付く。
もう一人のオーナーはというと、どうやら本物らしい。分厚い脂肪に包まれた姿をよくよく見ると火傷で歪んだ肌の小柄な人物が透けて見えた。
魔術師の手で一度崩壊しかけて、俺が直した庁舎を調べている。
「これはこれは!雑に直しましたね、勇者様!」
「咄嗟の割に、出来はいいだろう」
「いえいえ、直さない方がマシなレベルです。こうなっては私の腕でも戻せるかどうか……あーあー、こりゃこりゃこりゃ……あー……」
「……」
オーナーは快く庁舎の修理を引き受けてくれるようだ。
一先ずの危険は去ったが、念の為人が少ない所に場所を変えよう。俺が言うと、ニーアとウラガノは確保していた酒とツマミを抱えて頷いた。
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