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一人で生きていく世界

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「ねー最近女神の不の方はどうしちゃったのよ?」

 あやめが不思議そうに私に尋ねてきた。私はゆっくり歩きながら苦笑いして答える。

「あは、もうさすがに不運使い切ったみたい。あの事故に巻き込まれて最後」

「まあ、あれは大きな不運だったもんねえ。怪我しちゃったし。あれが最強だったか、もう三ヶ月前だね」
 
 あやめは感心したように呟く。三ヶ月前、という発言にやや驚いた。もうそんなに経っていたのか。

 あの公園での出来事は、昨日のことのように思い出せる。私が負った傷はうっすら痕だけ残していた。それを見るたび、夢のような体験を思い出す。

 この傷が無ければ、私はあれを長い夢だったんじゃないかと思い込んでいたに違いない。それくらい現実離れした日々だった。

「もうあれ以上の不運体験したら死ぬしかないもん」

「まあね。よかったじゃん! 晴れて普通の女!」

「今までが普通じゃなかったみたいに言わないで」

「普通じゃなかったじゃん」

「ぎゃふん」

 二人で笑いながら小道を歩く。骨折もとっくに完治したあやめは、高いヒールを履いていた。

 雲一つない真っ青な空を見上げる。悔しいくらい、気持ちのいい空だ。私は微笑みながらぼんやりそれを見上げた。青空を見ると、いつもソウスケを思い出す。出会った時も、家から追い出した時も、いつだって空は青かった。



 あの日白い人が言っていたように、私はもう特別な陽の気ではなくなったらしかった。不運に巻き込まれることがなくなったのだ。事故も、事件もなにもない。平穏な日がこんなに素晴らしいとは思わなかった。

 公共交通機関も何も心配せずに使えるし、あやめとレンタカーでドライブにも行けた。未だ幸と不の女神のあだ名は残っているが、最近の私の様子も噂で伝わっているらしい。少しずつ人も集まるようになった。

 普通。そう、ようやく私は普通の生活を送れるようになったのだった。

 仕事復帰し以前のように勤め、帰りにあやめとご飯を食べて帰る。休日には春奈とも時々会い、ショッピングに行ったりしている。

 充実した日々を送っていた。今までできなかったことをたくさん経験し、安心して毎日を送れる。それはほんの少し前にはできなかったことだった。

 それは本当に幸せであり、同時に喪失感もすごかった。私はこの平和な日常と引き換えに、大事なものを失ってしまった。

 無論あれ以降会うことのない口の悪い神様があのあとどうなったのか、知る術はなかった。白い神様とどっかで会ったりしないかなとこの三ヶ月期待しつづけたが、あれ以降あの人も姿を現してくれない。

「あ、じゃあ私こっちだから!」

 あやめが右方向を指さす。

「あ、彼氏と待ち合わせだっけ、よろしく言っといて」

「沙希もさー、あのイケメン別れちゃったの引きずってるみたいだけど、新しい恋も目を向けなー」

 あやめは心配そうに私を見て言った。それを聞いて苦笑する。

 退院後、ソウスケのことがあり死ぬほど落ち込んでいたのを、あやめは気づいていた。彼女はそれとなく励まし外へ連れ出してくれている。おかげで少しだけ立ち直れてきている。

「はは、そうだね、うん」

「そうだって思ってない顔だな」

「思ってるって。今度飲み会でも開いてよ」

「オーケー任せなさい」

 あやめはそう笑うと、手を振ってその場から離れた。私は笑顔で見送り、ふうと息をつく。

 別れちゃった、か。付き合ってなかったんだけどね本当は。

 つん、と鼻の奥が痛む。それを慌てて落ち着かせ、私は自宅に向かって歩き出した。

 ソウスケと付き合っていると思っていたあやめには喧嘩して別れた、と簡易的に説明していた。春奈には、応援すると言った手前困ったが、仕事で海外へ急遽飛んでいったと話を濁して謝った。思ったより春奈は気にしておらず、笑っていたのがせめてもの救いだ。

 突然いなくなったソウスケという存在が、生きてる人間じゃないなんて誰が思うだろうか。

「いーい天気だなあ」

 快晴に向かって呟いた。

 ソウスケという不思議な神様と暮らしたアパートに向かって歩き出す。彼は人間じゃなかったから、一緒に暮らしていた名残は何一つない。例えば着替えがあるだとか、そういう物体は何も残っていないのだ。

 それでも、私の心の中に思い出という大きすぎる名残を残している。例えばテレビをつけるだけで、彼はお笑いばっかり見てたな、とか、ベッドに寝る時は一緒に寝てたな、とか。そんなことばかり思い出す。

 存在があまりに大きすぎたゆえの悲しみだった。

 大通りから小道に入り足を進めていく。古い住宅街になり、一気に道は静かになった。車一台分が通るくらいのその道を進んでいくと、しばらくして木の生い茂る一角にたどり着く。

 言わずもがな、私の大切な場所だった。

 白い神様は、もう祠に何をしてもソウスケは戻らないと言っていた。それでも、私はあの日以降あの祠に祈りを捧げない日はなかった。

 ソウスケに届いていなくても。陽の気がなくても。

 それでも、私はあそこに祈りを捧げたかったのだ。

 腐りかけの、崩れかけの古い祠。あそこに眠っていた神様は確かに大勢の人を救った素敵な神様だった。そして私が心から大事に思っていたたった一人の存在だ。

 今でも泣くことは多々ある。完全に立ち直れているかと言われればイエスとは言えない。

 でも前を向いて生きていこうとは心に決めていた。ソウスケが存在を賭けてまで救ってくれた命、最期のその時まで全うしてやろうと強く誓っている。

 仕事を頑張って、友達と遊んで。おしゃれだってして趣味も見つけて。彼氏とか結婚は……

 無理かな。人生で一番好きだった人は、もういなくなったから。きっとあれ以上好きになれる人は出会えないと本気で思う。

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