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最終章 幸せにできるのは俺だけだから

3.北平世理

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その日、定期検診に行ったら……世理さんが、いた。

「あれ?
羽坂さんもおめでた?」

〝も〟ということは、世理さんも妊娠している?

「あの彼と結婚したの?」

「いえ……」

なんとなく決まり悪く、言葉を濁してしまう。

「もしかして、和佳と?」

「……はい」

「そうなの!」

なぜか、ぱーっと世理さんは顔を輝かせた。
そんな彼女の隣には、寄り添うように渉さんが座っている。

「北平さん、診察室へどーぞー」

「あとで一緒にお茶しましょう?
じゃあ」

呼ばれた名前は池松じゃなかった。
離婚は成立しているんだし、当然といえば当然だけど。


世理さんとお茶なんて気まずいしお断りしたかったんだけど、私が終わるまで彼女は待っていた。

「近くに美味しい、オーガニックカフェがあるの。
行きましょ」

行くともなんとも言っていないのに、世理さんは私の腕を取って歩きだした。
連れてこられたカフェは隠れ家的な場所で、とても感じがよかった。
きっと、こんなときじゃなかったら楽しめたのに。

「きっとね、こうなるんじゃないかなって思ってたの」

渉さんの隣で、世理さんはにこにこ笑っている。

「よかった、和佳の後押しができて」

世理さんの言っていることはちっとも理解できない。

「その……」

どうして出ていったんですか、なんて気になるけれど聞きにくい。

「私ね、和佳が好きだった。
いくらふらふらしても、絶対に待っててくれる。
そんな安心感に甘えてたのね。
――でも」

言葉を切った世理さんは、ふっと遠い目をした。

「最後の方の和佳、待つのに疲れたって顔してて気になってた。
別れるって言ってあげたらいいのはわかってたけど、私に勇気がなくて。
もう、和佳が待っているのが、私の中では当たり前になっていたから。
和佳には悪いことをしたと思ってる」

目を伏せた、世理さんのまつげは細かく震えていた。
彼女も本当は池松さんを愛していたに違いない。
なのに私がいま、その妻の座にいてもいいのか不安になってくる。

「けどね、羽坂さんといるときの和佳の顔、昔の顔に戻ってた。
本人、全然自覚してなかったみたいだけど。
ちょうどそのとき、渉から『どこにも行かないで、僕だけを見て、僕と一緒にいてほしい』なんて熱烈なプロポーズされちゃって。
いままでそんなこと、私に言ってくれた人、いなかった。
だから離婚を決意したの」

渉さんを見上げる世理さん目は、とても愛おしむようだった。
それだけいまは、渉さんを愛しているのだろう。

「……なら。
黙って出ていくなんてしないで、ちゃんと和佳さんと話してほしかったです」

こうやって説明してくれれば、あんなに和佳さんは落ち込まずにすんだ。
気持ちの整理だって、もっと早くにできていたかもしれない。

「……そうね。
怖かったのよ、和佳と向き合うのが。
さんざん待たせて置いて、もっと好きな人ができたから離婚して、なんて。
だから黙って出ていった。
これで和佳が自分の気持ちに素直になれたらいいって願って」

「……そんなの、勝手です」

怒りで、ぶるぶると膝の上に置いた拳が震える。

「……うん。
和佳には悪いことをしたと思ってる。
もうきっと、許してもらえないだろうけど」

最後に見た世理さんは、泣き笑いだった。


夜、帰ってきた和佳さんに、世理さんとの話をするべきか悩んだ。

「どうかしたのか?
もしかして、なにか問題でもあったのか?」

心配そうに和佳さんの顔が曇っていく。

「その……。
和佳さんは世理さんのこと、いまはどう思ってるんですか」

「なんだ、藪から棒に」

和佳さんは苦いものでも噛みつぶしたかのように、嫌そうな顔をした。

「いいから」

「そうだな……」

しぶしぶ、だけれど和佳さんが口を開く。
聞かれたくない話題だとわかっている。
けれどどうしても、聞きたかった。

「正直、別れてほっとしている。
昔は待っときゃ帰ってくるって思ってたが、最近はこれで結婚している意味があるのか、とか考えていたからな。
でもずるずると離婚を切りだす気もなかった。
あっちから出ていってくれたのは、少し感謝だな」

困ったように和佳さんが笑う。
その顔に、ほっとした。
もう、和佳さんの中では完全に世理さんのことは片付いている。

「でもどうしたんだ、急に」

「なんでもないですよ」

笑って、甘えるように肩にあたまを預けた。

和佳さんの中で片付いているのなら、もうこれ以上、世理さんの話題は必要ない。
今日、会ったことも話す必要はない。

「そういや宗正の奴、もうすぐ結婚するらしいぞ。
例の、アメリカ人社長と」

「そうなんですか!?
かなりのスピード婚ですね」

「かなりぐいぐい押してくるらしいが、宗正もまんざらじゃないらしい」

大河が最近、取引をはじめた、アメリカの会社の社長さんと付き合っているのは和佳さんか聞いていた。
しかもタイプは、私と全く反対らしい。
意外、だけど裏表のない明るい人みたいだから、そういうところがいいのかも。

「辞めてアメリカ行くのかと思ったら、しばらくは別居生活らしい。
奥さんの方が日本で生活したいらしくて、仕事を整理してこっちで生活するんだってよ」

「へー、そうなんですね」

よかったと思う、こんな、大河の気持ちを弄んでいた私なんか忘れて、いい人に巡り会えて。
大河には幸せになってほしいから。


こうして私は、大河から喫茶店に呼びだされたというわけだ。
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