/// Tres

陽 yo-heave-ho

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□反逆と復讐篇 No pain No gain.

3.07.1 探し物の見つけ方

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 キースとジェラルドがパールの街を出てから、二週間程して──
 雑貨屋に現れた人物にネロは大いに驚き、そして勢いよく駆け出した。
「ぅ"ゔぅ"!!」「おい、またかよ…!」
 飛び付いてきたネロをなんとか片腕で抱きかかえるフランツだったが、体重に負け敢なくすっ転んでしまう。それでもネロは彼に縋り付きボロボロと涙を溢した。
「ぶら"、フランヅ!ごめっ、ごめン"!」
「落ち着けアホ、なぁ…ネロ」
「ごめ…お"れ!ごめ"んなざ、悪かッた!フラ"ンツ…!」
「なんで謝んだ?生きてんだから、もういいだろ。お前もよくやった…ありがとな」
 声をかけても頭を撫でてやってもネロは泣き止まず、面白い状況に笑いが込み上げる。先日のヴァンよりも大泣きする彼はまだまだ子供なようで、なんとなく過保護な兄貴ロムの気持ちがわかった気がした。
「なんだ、うるせぇのが増えたな」
「邪魔してるぞ…大丈夫なのか?」
「なに?誰に言ってやがる…問題ねぇ」
 店の奥からドウェインが現れ、外から覗いていたハヤブサが声をかける。鼻で笑い飛ばした老人は腕も脚も包帯塗れで杖まで持ち出していて、フランツも眉を寄せた。
「捕り物がどうたら、大騒ぎだったって聞いたぞ。何があった?」
「ぃゃ…おさまったよ。けど今夜も、いく。ッ"っ…ドウェインさん動けねぇから、俺頑張る」
「?頑張る?」
「お前も大人しくしとけ、連中も偽物続きでイラついてんだ」
「あぁ??」「大分厄介そうだ…」
 話がわからず言っている意味もわからず、段々とフランツの表情が変わっていく。そろそろ詳しく説明しないとイライラを爆発させそうだと察し、ネロが口を開きかけるが、
「兄さぁん!」
「あんたが来るなんて珍しいわね」
今度はスチュアートとイザベラがやって来て、後からローズとリュシアンまで現れ、店は瞬く間に賑やかになった。

 ネロとローズがパールで起きた大騒動を語り、<虎の眼の盗賊>の偽物として活動している話になるとハヤブサは怪我をしてしまったドウェインを心配したが、口の悪い老人はうるせぇだの平気だのと意地を張った。一方でフランツはいつの間にか雑貨屋の弟子二号になったネロに一抹の不安を抱いた。
 肝心の本物キースのことをイザベラが付け足すと、スチュアートがそわそわし出し、
「デュレーさんから連絡来たんす、行き先教えてくれました。けどルミディウスのシモベみてぇな奴のこと、やっぱ心配してて…あいつらもセフェリノも勘づいてんのか追ってったみてぇで……はぁぁ」
「「「……」」」「デュレーさん、だぁ?」
 フランツ達がパールに来たのと同じく、スチュアートの元へもジェラルドからの手紙が届いていた。どうやら彼は(一等にジェラルドのことを)ずーっと心配していたようで…裏切りとも取れる有り様に<花の代理人>の面々は顔を見合わせ、リュシアンが溜息を吐く。
「ずーっとこの調子。口開く度デュレーさんデュレーさんうるさいし」
「!んな言ってね、」
「お前、絆されてねぇか?」
「ち!ちち違うっす!」
「なんだかんだで懐いちゃったの」
「すっかり仔犬ちゃんよ、まったく」
「ローズッ、姐さんまで!やめれぇ!!」
 皆からの視線が変わり慌てて言い訳するスチュアート。しかし皆も心配しているのは同じのようで、揶揄い半分だったハヤブサが苦笑いし、行って来いと告げた。
「キースのこともある。デュレーってのにはあまり肩入れするなよ」
「あっ、兄さぁ、」
「抱きつくな」
寛容な兄貴に押し返され、それでもスチュアートは顔を綻ばせ余計にそわそわして、まるで子供な彼に今度はローズが溜息をもらした。
 不意に何かに気がつき少女が外を覗く。さらにハヤブサが呼ばれ二人が外へ出て行った。ネロも気になり様子を窺うが、イザベラが彼の袖を引っ張り、
「あなたも行って来なさいよ。心配してたんだから」
「……俺は、残る」
「えぇ?もしかして…このおじーちゃんのこと心配?」
「誰が爺だ、鬼女」
「偽物だってもうバレてるのに」
 予想外の返答に眉を持ち上げ、ドウェインを指差してもネロは首を振り、隣のフランツも眉を顰める。
「それもあるけど、あいつが頼ってくれたから…もう少し頑張りてぇんだ。俺はまだやれるし誤魔化してやる。それにバルハラのことは疎いから、下手に動いたらまた足引っ張っちまう」
「やけに素直じゃない…?」
「お前、ちょっと見ねぇ間に…なに大人ぶってやがる?」
 殊勝な言葉に二人の眉がさらに寄る。それでもネロは苦笑いし、お人好しが感染ったと答えた。
 フランツはいつかの留守番を受け入れたビアンカと重なって見えてしまうのだが、目の前の彼は裏があるわけでも無さそうで、ネロは本当に友達の役に立ちたいという考えらしい。
「なぁ、俺の代わりに行って。イザベラさんなら色々詳しいだろ…二人のことお願いします」
「……なぁに、それ」
 今度はネロがイザベラの手を掴み、頭も下げ、彼女は思わず目を泳がせた。こうも純な態度には弱くビアンカの誤魔化し笑いを真似てみるが、赤くなった耳を目にしたフランツがうんざりしたように呻いた。
「あぁ!姐さんが一緒なら心強ぇっす!」
「姐さん赤くなってますよ」
「もぉお!あんた達は黙ってるッ」
 スチュアートとリュシアンも口を挟んできて、苛立った彼女はすぐにいつもの調子に戻った。
「こっちもどうやら忙しくなりそうだ」
「それは?手紙?」
「俺の伝…ロンベルク卿。探してたのはやっぱり嬢ちゃんで間違いなかった、で、頼まれた…」
 ハヤブサも店に戻り持っていた紙をチラつかせる。先ほどローズが見つけたのは伝書鳩で、どうやらアルマスから直接送られて来たようだ。
 意味深な言い方が引っ掛かったが、ハヤブサは後で連絡するとだけ言い、スチュアートも一秒でも早く出かけたそうにイザベラを急かした。
「行くならさっさとしろ、静かになって清々すらぁ」
「ドウェインさん、そういうこと言わない」
 腰を落ち着け黙々と煙草を巻いていたドウェインが口を開きネロが宥める。なんだか昔から続く関係のような二人に、フランツはずっと眉を寄せたまま。ネロが気がつき見遣ると、
「俺も、此処に、居座るからな」
「…ん??」
「こんな身体ってのもあるがなぁ…知らねぇとこでうちの船員扱き使うんじゃねぇ、水揚げして腹の足しにでもする気か?」
 彼らしいトゲトゲな言葉と睨みはネロではなく、隣のドウェインに向けられていて…弟子二号が目を向けると老人はニヤりと笑い、
「ほほぅ、バレたか」
「ドウェインさん?!」「このクソジジィ…!」
 思いがけないというのが正しいのか、予想通りと言うべきか。食えない老人に海賊二人は動揺し、彼の笑いを助長させてしまった。

 こうしてイザベラとスチュアートがファンダルへ向かい、ハヤブサ達はアルマスからの依頼を進めていくのだが──それぞれがファンダル近くの関所の事件を知るのは、数日後のことだった。


 ──現在。

 本部での前代未聞の捕物を経て、ジェラルドは救護室を抜け出しサーシャと共にファンダルまでやって来ていた。
 人通りの多い道を選び、時折辺りを窺い進んでいく。気配も何も感じはしなかったが、いつもの無表情を貫く彼が姿を眩ませたクラウディアを怖れているのは明白で、それでも立ち寄った納屋にライプニッツの姿を見つけると安堵し、真っ直ぐに目当ての場所へ向かった。
「……」
 古びた階段を上がり廊下を進む。傷んだ床板が軋み、気配を殺そうにもバレてしまう。一番奥の扉、向こう側でも誰かが息を潜めているのがわかり、思い切って開き一歩踏み込むと、
「「!」」「おかえり」
 真横から銃を向けられ、目の前からは笑いかけられ、つい眉を寄せる。
 キースがすぐさま銃を下ろし溜息して、笑顔のキアはまた手を動かしテーブルに料理を並べていった…此処はファンダル居住区の底辺と言っていい貧民窟。かつてヘリオットが隠れ家としていた場所だ。
「…お前は兎も角、何でキアさんが?」
「なんでもクソもねぇ、此処のことまで知ってたし…正直助かった」
「あんたは忘れっぽいからねぇ」
「はぁ、ライプニッツ邸も此処も忘れてたと」
「るせぇな、溜息すんな」
 肩の力を抜いた途端疲れも出てきて、また溜息。外套や荷物は薄汚い床に放り、キアに手招きされテーブルに混ざる。
 キースは再会したキアのお陰でこの家まで辿り着けたようで、抜け症を指摘された彼は不貞腐れたが、ジェラルドの怪我が増えているとわかり気になっていたことを尋ねた。
「本部に追い剥ぎが現れたって、街の奴らが騒いでる。それって…」
「…俺だ、こっちじゃなくあっちに行ってた」
「!」
「騎士団を敷地まで誘き出して賊だと言って、とっ捕まえさせた」
「っ…はは!お前ヤベぇな!」
「ああ。いい気味だ」
まさかと思っていたが、まさか。逃げ切れるかも心配だったが友は上手いこと、まんまと出し抜いてやったらしい。しかし、
「だが一人、逃げた…クラウディアが…」
 ジェラルドが首を振り天井を仰ぐ。不快気に眉を寄せた彼の天敵にキースも不安を抱くが、
「大丈夫、此処なら安全さ。まずはゆっくり休んで」
 向かいに座ったキアが微笑む。目の前に並べられた山盛りの飯はどれもいい香りで、食欲を唆られる。
「お腹も空いたろう?腹が減っては探し物出来ぬ、さ」
「…なんだそれ」
「全部お見通しかよ…」
「ふふ♪たんとおあがり」
 二人の顔が綻び、揃っていただきますと答える。
 ついこの間までの平穏が戻ってきたようで、キアも二人を見守りながら食事に加わった。

 それから数日、二人は隠れ家で手がかりを探した。正確には、大掃除と言ったほうが良いか。

 長いことそのままだった埃や蜘蛛の巣を落とし、壁や床を洗っていく。これまでジェラルドやライラが出入りしていたらしいが、6年間放置されていたヘリオットの遺産(殆ど書物や書類、手紙の山という山)は手強く、綺麗になった床も場所を移したそれらでまた山積みになっていった。
「そっちは?」
「無ぇ」
 棚や引き出しをひっくり返しても空振り。
「あったか?」
「無い」
 寝床の下や天井裏で何か見つけてもめぼしい物ではなく。
 当然ながら<ジュアンの羅針盤>も見つからず、偶に軍の重要物が見つかるとジェラルドが舌打ちをもらし、キースも吹き出し笑った。
「…?…なぁ、これ」
「あ?なんだ」
「…ぃゃ…??」
「??」
 そんな中、奇妙なものを見つけ揃って首を傾げる。ぶ厚い本の縦半分だけ、真ん中から背がない──なんとも奇妙な本だった。
 本として意味を成さないそれは雑に紐で括られていて、切り口を見るに鋸か何かで無理矢理切られたようだった。
「これ図書館のだ、こんな悪戯を…」
「悪戯って暇かよ…ん!これ」
「隊長の字だな…また
「マジわかんね」
「一応取っておこう」
 外も中も意味不明。
 本はどうやら何処かの街の漁業記録のようで、軍の図書館の印が押されていた。見返しにヘリオットの走り書きも見つけたが、謎は解けず。二人共眉間の皺を深くしただけだった。

 休憩と気晴らしがてら地図の秘密を解いていく。秋の陽射しを浴びた柘榴石が光の道を顕にする度、二人の瞳も輝いた。
「…これで、アルフィリアは終わり。次は?」
「ウィステリアと繋がってるとこ…ここ」
「初めて見た時も思ったが、本当に道か?」
「いやこっちが聞きてぇわ」
 キースが石の角度を調節し、ジェラルドが写しの地図に道を描き足していく。既にスタンが描いた部分も合わせると大分写せたのだが、この道の正体は未だ謎だ。
「当然だけど、普通の道じゃねぇよな?」
「こんなの存在しないし、街道上のも解らん」
「じゃ…運河?」
「それなら街に幾つかある、が…これは…」
 頭を悩ませながら丁寧に線を引き記憶を辿る。北部に居た頃は各基地を転々としていたので(地味に大変だった)、それぞれの街についても詳しくなった。うる覚えでも今描いている蜘蛛の巣のような道は存在しない、とだけ断言出来る。
「ラッカム・クソジジィ、もっと聴いときゃよかった」
「バチが当たるぞ、ジジィだけにしとけ」
「あんたも大概さね。二人揃って悪い子だ」
「……」「ぷっ」
 キアが顔を覗かせ、悪い子呼ばわりにジェラルドは目を逸らしキースも笑ってしまうが、彼女が肩掛けを羽織っているのが気になり、
「ちょいと買い出しに、」
「ダメ待て!」
「それなら俺が行く」
「おや」
「飯も俺らで作れっから!」
「今日の薬は?飲みました?」
「おやおや」
 言わせぬと遮り前も阻み、椅子に座らせる。買い出しは後で行くとしてまずは薬、お茶も温め直さないと。
 体調を心配してくれる二人にキアはふふふと笑い、甲斐甲斐しい姿を面白そうに眺めた。

 立て付けが悪くなった窓を開け放ち、キアが洗濯してくれた衣服を干していると'魔法の鳥'が姿を現し、キースはすぐさま呼び寄せ手紙を開いた。
「……なぁ悪ぃ。えっと、」
「一服したいかい?」
「好きにしろ」
「んだよ…」
 二人から見向きもされず言われ、バツが悪そうな表情になるも鳥と一緒に部屋の外へ出ていく。その後ろ姿はなんだか嬉しげで、二人は顔を見合わせ笑いを堪えた。
『紙の上でまで口悪いKへ  じゃじゃ馬言うな!チビ!  二人共元気?大丈夫?もうすぐ着くから  寂しくて泣くんじゃ、』
「誰が泣くかっ…、…」
 思わず声を上げはっとする。一人きり、それも廊下で。照れ臭くなり頭を掻くと鳥に毛繕いされ余計気恥ずかしくなった。
(あいつまでチビ言いやがって……ったく)
 また悪口で返してやろうか考えながらも、ビアンカからの手紙を見つめるキースの顔は綻んでいた。


 夜になり街が寝静まっても、隠れ家の灯りは点いたままだった。
 夕餉からずっとテーブルに陣取り手帖を読むキース。ふと、寝床がある部屋から呻き声が聞こえ振り返るが、
「いいよ、あたしが見てる」
「…ありがと」
 キアが足早に向かい、声の主であるジェラルドに付いててやる。先に眠りに就いた彼はまた悪い夢を見ているのか、治りかけの怪我のせいなのか、隠れ家に来てからは夜な夜な辛そうに魘されていた。
「…………」
 無意識に奥歯を噛み締め視線を手元に戻す。
 早く手がかりを見つけたい。少しでも、些細なことでもいい。逃げたクラウディアへの懸念もあるが、そうではなく。

『 ○○年 8月末
 帰投から一週間。
 今日、やっと…夢が一つ叶う。
 テオディアからの使者は昨夜の内に着いたとのこと。元首もルクスバルトも、今頃大忙しだろう。
 こんな日に休みを貰えるとは、しかも私一人。皆に感謝。シャルルに知られたら怒鳴られちまうな…

 へ行く。今回は正式に、ちゃんと許可を頂いた。
 ご褒美だそうだ、嬉しい限り。』

 今では停戦祭となった6年前の日付け。もしかしたら手がかりかもとジェラルドが言っていた。詳しくは書かれていないが、ヘリオットはお気に入りのへ行ったらしく、明日はそれを調べる。
 さらにページを捲る──この日誌を読むようになって一番目にした内容であり、最後の記録…

『 ○○年 9月
 ジェラルドの見舞いの後、受勲式に参列。
 問題は堅苦しい式ではなく、途中で入った報せ。
 アレクサンドラ 我が師、暴君 何故…誰が?
 自害だの言う輩まで、そんな筈ない。馬鹿げてる!式にも来る予定だった、俺の晴れ姿を見てくれると 、ふざけるな
 あの人がそんな簡単に、死ぬはずない…
 誰が彼女を殺した?』

 ヘリオットの死の数日前。最高統括長'魔女'、アレクサンドラ・ラウエンシュタインが暗殺された日。
 珍しく感情任せに書かれたそれは、文字にも力が入り紙に皺が寄ってしまっていた。
(あの事件も…捜査が進められてないって、隊長怒ってたな…やっぱり関係してる?)
 '魔女'の暗殺事件の際も軍の捜査は粗雑で、直接の部下だったヘリオットが抗議をしても停戦協定で忙しいからと理由付けられ、相手にしてもらえなかった。
 今思えばこの件も9月9日の事件も、捜査を担ったのは当時の軍上層部。6年間で調べ解ったことだが、ヘリオットの事件の捜査はおざなりどころか殆ど行われておらず、残っていたのは数枚足らずの記録だけ。もし暗殺事件も関係しているのなら……

『 あのような状況で、は…またあの話題を持ち出した。
 "王族の時計" しつこい、うるさい、不謹慎なクソ野郎
 私の真似をして、手帖を見せびらかして…

 この感覚は間違えではないのかもしれない。
 は…少し  否。確り、異常者である。』

(「そうだ!<王族の時計>の手がかり、見つけたんだよなぁ」)
「……」
(「キース君、知りてぇ?」)
「……」
(「お前にゃ教えてやんねぇよ」)
「…クソ…!」
 日誌でもあの時も、あの人は<王族の時計>の話をしていた。そして'水色の眼'の奴も──
(…誰なんだよ、テメェ…)
 <王族の時計>を狙い、軍の上層部と繋がっている人物。ハッキリと解らないままのへの憎悪を募らせるキースだったが、頭の中ではルミディウスの顔を思い出していた。

「…ぅ、っ…!」
 夢の中でジェラルドはまた恐怖から逃れようとしていた。
 蘇る記憶、母親との思い出、何処からともなく現れるクラウディア。今の彼にとってそれらは苦痛でしかなく、現実まで蝕む毒だった。
「あんたのは…、だから負けないで。思い出して…」
 大きな手をキアがそっと握る。
 少しばかり悪夢が和らいだのか、苦しそうな表情が変わった。


 また夢が変わる──

 あの日、あの時…
 俺の故郷…村で働くようになって、大抵のことは一人で出来るようになって、背が伸びて、少しずつ声が変わった。
 …それでも俺は、まだ子供だった…

「お前は弱い」
「…ちがう…」
「弱くて未熟で、臆病者」
「違う…止めて母さん、そんなこと、」
「何も出来ないし、守れやしない。無様で哀れな…私の坊や」
「違うッ、俺は…弱くなんか…!」
 母さんと剣を交えた、最後の日
 なぁ、あの時…あんたはどうして…
「なぁ坊や、私が怖いか?」
「違う!!坊やじゃねぇ、怖くねぇ!!」
「…ならばやって見せろ」
 母さん…本気、だったろ?
 真剣なんか持ち出して、マジで、斬ってきやがって…
「あ"ぁあ!ぅ"ぅ…!!」
 殺す気だった
「「ジェラルド」」
 母さん…?
(クラウディア…!)
 違う、そうじゃない…
「やだ…ッ、やめろ!!お前なんか怖くねぇ……きえ"ろぉおッ!!」

 あんたはあの時、

「ジェラルド…    」


 あの時…なんて言ったっけ…?


 同じ頃…ファンダルの片隅の、暗闇にて。
 何も見えないそこからクチャりグチャり音が聞こえる。心底不気味で耐え難い、咀嚼音。そして、
「ぃ"…やぁ"!…は……」
 辛うじて息があった女が必死に叫ぼうとするが、喉元を噛み切られ痙攣した後、また不快な音だけになった。
 街まで辿り着いたクラウディア…最早人喰いである彼女は娼婦だったものの上を這い摺り、地面に流れ広がった血まで舐め、漸く動きを止めた。
「足リな。ォいしく、ない…何処…行・たァ?」
 腹は満たせても理想の味には程遠く、欲しいのはただ一人。
 クラウディアは頭に浮かんだ男を想い、少しばかり視力が回復したで彼を探した。


 ──時は戻り、或る日の夜…パールにて。

 急な統括長の来訪に基地の兵達は大いに狼狽え、特に高官達はこぞってルミディウスを囲み、<虎の眼の盗賊>を逃してしまったことを弁解し始めた。
「わかったわかった、そう騒がないでくれ。今夜は少し寄り道しただけだ、言い訳なら後で聞いてやる」
 当のルミディウスは愉しげに笑い、慌てて運ばれてきた紅茶を口に運び、追い払うように手を振ってみせた。彼の目的は使えぬ兵達の首切りではなく手紙の回収で、もしやと思い来てみればイーヴォスからの連絡はパールに届いていたようで、'野良犬'を追い北上中という短文はすぐさま屑籠行きになった。
 それともう一通…それは本部の最高統括長(あの老いぼれは何て名前だったか)からで、元首の署名も入ったそれに自然と頬が持ち上がる。
 顔色が悪そうな高官達が去っても一人だけ残った者がいて、目を向ける。彼は確か第三中隊の…これまた名前は知らぬが、停戦と同時に中央から異動して来たベテランだったはず。
「ルミディウス新閣下様、長旅でお疲れでしょう!お手紙は誠に申し訳ない、今日にでも転送しようと、」
「ああそうだね、用は済んだろう」
「ホンっ当に申し訳ありません!」
「言葉は通じてるか?出て行ってほしいんだが」
 目が合った途端ぺこぺこと頭を下げるベテラン兵につい苦笑いし、開いたままの扉を指差すが、
「じ、実はですね、そのぉ…デュレー指揮官のことで、少し…」
 唐突に出てきた名に頭が働き、口に運びかけたティーカップを下ろす。
 ベテラン兵こと第三中隊隊長、ブラウンの元上官は愛想笑いし話を続けた。
「街を封鎖しても<虎の眼>は逃してしまうし、偽物のせいでまだ混乱してるし、そんな状況で休暇再開なんか皆呆れとりますよ!」
「ふふふ…それだけか?」
「あ、あとですね…あの人しかも、新閣下様のことを調べてたんです!どうも様子がおかしかった!」
 一瞬廊下を振り返ったが、両手を擦り合わせベラベラと喋る喋る。彼としては単なる告げ口だったのだろうが、ルミディウスにとっては素晴らしく面白い内容だった。
 さらにベテラン兵が告げる。
「自分は中央での経験もありますから、あの'凍りの男'については異動して来た時から怪しんでおりました!妙な噂もありましたし…」
「……噂?」
「ええ、ええっ!ご存知ありませんか?経歴詐称…母方の苗字が賊と同じだと…!」
 嬉々として答えるベテラン兵。
 噂と言うが初耳、実に面白い。'野良犬'はどうやら'狂犬'だったらしい。
「扉を閉めてくれ、もう少し聞きたい。褒美もくれてやる」
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