魔王様のメイド様

文月 蓮

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本編

魔王様のひみつ

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「手をだして」
「は?」

 ロザリアがまごついていると、魔王は強引にロザリアの手を取った。

「魔王様? ちょっと離していただけませんか?」

 近すぎる距離にロザリアはうろたえる。

「手をつながなければ転移できないだろう。じっとして」
「転移というのはどちらへ?」
「着いてくればわかると言ったよね?」

 魔王はそれきり口を開こうとしない。ロザリアは黙って従うほかなった。
 魔王の魔力に包まれると、ふわりと宙に浮く感覚がして、転移した先には巨大な空間が広がっていた。
 踏み出した一歩がカツンと高く響き、空間に反響した。

「ここは?」

 ロザリアは恐る恐る首をめぐらせ、周囲に目を凝らした。

「城の地下だよ」

 魔王はロザリアの手を離すと先に進む。
 薄闇に包まれた空間の中央には大きな闇色の水晶が浮かんでいた。魔王よりも少し大きいくらいの水晶は紡錘形で、ゆっくりと回転している。
 禍々しい波動を放つ水晶に、ロザリアは知らぬ間に口の中にたまっていたつばを飲み込んだ。
 ロザリアは転移した場所から動くことができず、ただ魔王が水晶に近づくのを見守る。

「我は数日に一度、この水晶に魔力を注がなければならない」

 おびえるロザリアとは対照的に、魔王の口調は淡々としている。彼は無造作に手を伸ばし水晶に触れた。

「これは、もしかして……」
「魔界を支える結界の礎、の一部だよ」

 あまりにあっけなく明かされた最高機密トップシークレットに、ロザリアは大きく目をみはった。

「そんな重要な場所に、どうして私を」
「ひとつ、試してみたいことがあるんだ。ここへ来て」

 ロザリアは強い波動を放つ水晶に近づくのが怖かった。けれど、魔王の命令とあらば否は許されない。
 震える足を叱咤して、ロザリアはどうにか魔王のそばまで近づいた。

「なにをすればよいのでしょう?」
「なにも。ただそこにいてくれればいい。できればあまり動かないでくれると助かるよ」

 その動かずにいるということが一番難しいのだ。
 あたりを漂う濃い魔力に、ここに留まるのは危険だと本能が訴えかけてくる。魔界の中枢とも言えるこの場所で、自分にできることがあるとはとても思えなかった。それでも主がやれというのならば、恐怖を抑えてやるしかない。

「はい」

 ロザリアがゆっくりうなずくと、魔王は嬉しそうに破顔はがんした。

「ではいくよ」

 合図と共に魔王が魔力を放出する。魔力が薄闇色の靄となって水晶に吸い込まれていく。
 魔王が魔力を放てば放った分だけ、水晶は魔力を吸い込んでいく。その作業に果てはないように思われた。
 魔王の額には汗が滲んでいた。
 魔力の放出は彼ほどの魔力を持ってしても、苦しいのだろう。
 これまで涼しい顔しか見たことがなかった魔王が、眉根を寄せていた。心なしか顔色も悪い。

――これほどまでに苦しい思いをして、魔王様はこの世界を支えている。

 なにもしなくていいと言われたが、なんとか彼の助けになれないかとロザリアは自問した。けれどすぐに、大した魔力も持たない自分では、なんの助けにもならないと気付く。
 ロザリアは無力な自分に歯噛みした。

「ロザリア、手を……」

 魔王が彼女に向かって手を伸ばす。ロザリアは夢中でその手を掴んだ。
 次の瞬間、ロザリアの身体からごっそりとなにかが抜け落ちた。
 視界がぐらぐらとして、ひとりでは立っていられない。
 座り込みそうになった彼女を、魔王が掬い上げた。
 ロザリアにはなにが起こったのか、さっぱりわからなかった。指先一つ動かすのも億劫で、魔王に抱き上げられたまま視線だけをめぐらせた。

「魔王……様?」

 見上げた彼の顔色は先ほどよりもよくなっているように見えた。

「やっぱりお前は我のための存在なんだね」
「どういう……意味ですか?」
「王の器だということだよ」
「おうの、うつわ?」

 耳慣れない言葉に、疑問が浮かんだ。もはや敬語を取り繕うだけの頭は働いていなかった。

「我を助けてくれる、我だけのための存在。唯一の希望と安らぎ」

 夢見るようなうっとりとした魔王の声に、ロザリアの意識は次第に霞がかっていく。

「なんだか眠く……て」

 自分の声が膜を隔てたように遠い。

「いいよ。眠って」
「ごめん、な……さ」

 魔王の声が子守唄のようにロザリアの耳にしみこんだ。



   ◇◇◇◇



 腕の中でくたりと力を失った身体を、エヴァンジェリスタは壊れ物を扱うようにそっと抱きしめた。

――ようやく見つけた。我の癒し、我の器。

 心のままに抱きしめてしまえば、たちまち壊れてしまいそうなほど腕の中の身体は細く、頼りない。
 魔王に就任してから、五十年余り。これまでは自身の力だけで魔界の礎を支えることができていた。寿命が千年ほどあることを考えれば、まだ先は長い。
 にもかかわらず、エヴァンジェリスタの精神は疲弊していた。
 彼に近づいてくる者は、魔力か王の権力に魅了された者ばかりで、魔王ではない彼自身を求める者はいなかった。
 ほんの少し魔力を込めてささやけば、彼らはまるで人形のように彼の願いをすべて叶えようとした。淫魔の血を引くエヴァンジェリスタの声に抗うことは難しいのかもしれないが、求めれば簡単に手の中に堕ちてくる者に触れても、心は渇いたままだった。
 孤独で終わりのない結界を維持する作業と、統治に関わる雑事は煩わしいだけで、楽しいとは思えない。
 いつしか、魔王とは魔界を支えるための生贄でしかないとさえ思うようになった。
 精神の不調は肉体にも及び、最近は礎に魔力を注ぐという魔王としての最低限の責務にも支障をきたすようになっていた。
 このままではいけないと思いつつも、なんの解決策も見出せない。
 そんな折、歴代の魔王が残した日記を読んでいたエヴァンジェリスタは一筋の光明を見出した。
 王の器。
 それは、魔王の心を癒し、魔力を調整してくれる存在。
 歴代の魔王もまたエヴァンジェリスタと同じ悩みを抱えていた。心を寄せる存在を見つけられず、疲弊する日々。そんなときに現れた王の器は魔王を癒し、治世を支える大きな手助けとなったとある。

――もしかしたら、我にもそんな存在がみつかるかもしれない。

 そう考えるといてもたってもいられず、王の器を探し始めた。日記によれば、一目見ればそう・・なのだとわかったとある。
 それなりの魔力を持つ者でなければ、魔王のそばに近寄ることもできない。貴族の中から該当しそうな者は一通り調べさせたが、これだと思う者は見つからなかった。
 ほとんど諦めかけていたところに、現れたのがロザリアだった。
 最初はかすかな違和感だった。
 魔力が弱いので従順な人形になるのかと思ったのだが、誘惑を込めたエヴァンジェリスタの声に抗うだけの強さを持っている。
 ロザリアは不思議な女性だ。これまでエヴァンジェリスタの周りにはいなかったタイプで戸惑う。
 おそらくそう・・だと思っていたが、この場所へ連れて来て確信した。
 ロザリアだ。
 彼女と触れ合っているだけで、己の内にふつふつと新たな力が湧き上がってくる。
 こうして抱きとめてしまえば、手放せる気がしなかった。
 渇いていた心が満たされていく。
 そして、これまでとは違った渇きが全身を支配する。
 彼女が、欲しい。
 隅々まで暴いて、自分のものにしたい。組み敷いて口づけたら、どんな顔を見せてくれるだろうか。
 これまで感じたことない熱がエヴァンジェリスタをおかしくさせる。
 この気持ちをなんと呼ぶのか知らない。
 けれど、もう彼女のいない生活は考えられないことだけは確かだった。
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