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9 父王の魂胆

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「……貴公らは客のもてなし方を知らぬようだな」

 よく通る冷ややかな声が、はしゃぐ父娘に水を差す。
 ノツィーリアそして父王と妹が一斉にルジェレクス皇帝を見ると、その顔には白けた表情が浮かべられていた。

「だいたい余はノツィーリア姫だからこそ、五億エルオンを支払い、会いに来たのだぞ」

(私だからこそ!? 一体なぜ?)

 そこまでの価値は自分にはないというのに、会ったこともない他国の姫に多額の金を払うなんて――。理由が思い当たらずノツィーリアは懸命に思案した。
 皇帝陛下という身分なだけに普通の女に飽きて、悪女を味見しようという考えなのだろうか。

 確かにこの場は淫売のために設けられた席なのだから、会ったこともない女を金で買うという行動に何ら疑問はない。その相手が簡単には会うことのできない他国の姫であればその程度の額は出せるということなのかも知れない。
 気候の悪化で貧しくなりゆくこの国と比べて周辺国を併合し経済規模の拡大した帝国とでは、貨幣価値が異なるのは当然だった。

 皇帝がノツィーリアだからこそ、とまで言うのであれば、なんとしてもこの一晩で冷徹皇帝の機嫌を取り、五億エルオン分の働きをしてみせなければならない。
 国交断絶までした父王の懸念する通り『この国に攻め込もう』などと考えないようにしていただくために――。

 ノツィーリアが決意を固める横で、父王が皇帝に食いさがる。

「ルジェレクス皇帝陛下。悪女と名高いノツィーリアではなく我が国の至宝、ディロフルアがお相手すると申しておるのだぞ。なにが不満か」
「大いに不満であるな。姉妹とはいえ比べものにならぬではないか」
「では、ディロフルアと契るつもりはないと?」
「当然であろう。なぜ余がそのような醜女と契らねばならぬのだ」
「醜女ですって!? まだそんなことおっしゃるのね! ひどすぎますわ!」

 ディロフルアがまた丸めた手を目に当ててうそ泣きを始めた。慰めろと訴えだした妹を父王が抱きよせる。よしよしと言いながら長い金髪を何度も撫でさすったあと、皇帝を睨みつけた。


「我が愛娘を侮辱したこと、後悔するがよい、ルジェレクス皇帝陛下よ」
「!?」

 突然の態度の変化にノツィーリアが目を見開いた、その瞬間。

 大勢の近衛兵が寝室になだれこんできた。


 派手な装飾の施された鎧で身を固めた近衛兵が壁沿いに並んでいき、出入り口と窓、そして暖炉までをも固める。
 包囲網が敷かれていく光景を眺めわたした父王が、肥えた腹を揺らして笑いはじめた。

「ふははは、ふはははは! あっけないものよのリゼレスナ帝国第三代皇帝ルジェレクスよ! この部屋は我が国の精鋭たる近衛兵が取りかこんだ! いくら国賓とはいえ、我が愛娘ディロフルアを拒絶したこと、許すわけにはいかぬ!」

(まさか皇帝陛下をあやめるつもりなの……!?)

 父王の所業にノツィーリアは愕然とせずにはいられなかった。そんなことをすればただちにリゼレスナ帝国に攻めこまれてしまう。まっさきに犠牲になるのは、なにも知らない国民だ。

「やれ」

 父王が皇帝を顎で指す。近衛兵のひとりが剣を抜いて近寄りだしても皇帝は相変わらず落ちつきはらった様子のままだった。
 濃く長い睫毛まで伏せて、まるでこの場で起きている出来事に興味すら示していないかのようにも見える。この国の王族と違って戦争という修羅場を潜りぬけてきたからなのか、異常事態に陥っても揺るがない態度にいっそ感心させられてしまう。

 とはいえルジェレクス皇帝はどう見ても丸腰だった。もし寝衣やガウンのどこかに武器を隠し持っていたとして、防具も着けていないひとりと強固な鎧をまとった大勢の兵士とではいつまでも持ちこたえられるとは到底思えない。

 ノツィーリアはいてもたってもいられずその場から駆け出した。

「お待ちくださいお父様! お務めは果たしますから皇帝陛下を害するなどおやめください!」

 皇帝と近衛兵との間に立ちふさがり両腕を広げてみせれば、剣を構えていた兵士がノツィーリアを見るなりぎょっとして頬を染める。お務め用の寝衣姿のノツィーリアを目にして動揺したらしい。
 この状況で利用できるものならなんだって利用してみせる――。さらに兵士をうろたえさせるべく、ノツィーリアは注視されている部分を見せつけるように胸を張った。

 必死になるノツィーリアの耳に、父王のため息が聞こえてくる。冷めた声が非情なるめいを下す。

「そいつは用済みだ。邪魔立てするならば殺しても構わぬ」
「はっ」

 すかさず応答した兵士が、今度はノツィーリアに向かって剣が振りかざす。

(ルジェレクス皇帝陛下は私が守ってみせる! 大勢の国民が死ぬことになるくらいなら、一度は死のうとしていた私の命、差しだしても惜しくない!)

 何度斬りつけられようとも、ここから決して動かない――!

 そう固く誓って兵士を睨みつける。
 剣が高く振りかざされる。斬りつけられる痛みを覚悟した次の瞬間。


 鋭い金属音が部屋中に響きわたった。


 ノツィーリアと兵士の間には短剣を構えた妹の元婚約者ユフィリアンが立ちはだかり、兵士の剣を受け止めていた。
 先ほどまで、並びたつ兵士の陰でへたりこんだままだったというのに――。思いもよらない出来事に、死を覚悟していたノツィーリアは一瞬何が起きたか把握できなかった。
 一方で、父王が忌々しげに頬をひきつらせる。

「ふん、やはり貴様は間者であったか。シュハイエル家のである時点で嫌疑をかけるべきだったな」

 その発言は負け惜しみだった。妹の婚約者だったユフィリアンは十年前、十六歳のときに山向こうの隣国から子のいないシュハイエル公爵家に養子としてやってきた人だ。
 八年前にディロフルアの婚約者候補として公爵が彼を王城に連れてきた際、父王は養子であることを懸念していたが、妹が彼を一目見て気に入ったためそのまま婚約に至ったのだった。

 口ぶりは冷静なわりに頬をひきつらせている父王の隣で、ディロフルアが金切り声を張りあげる。

「ユフィリアン様! 裏切るんですの!? このわたくしを!」
「先に婚約を破棄したのはそちらだろう」

 妹の婚約者でなくなった青年が、兵士と鍔迫り合いをしながら今まで一度として聞いたことのない冷たい声音で妹を突きはなす。
 ノツィーリアはユフィリアンが体を動かすところを今まで見たことがなかったため武器を扱える人だと思っていなかったが、鍛えてある兵士にもまったく力負けしていなかった。
 難なく兵士を押しかえして尻餅を突かせる。間髪をいれず短剣の柄で相手の指を叩きつけて剣を取り落とさせるとすぐさまそれを奪いとり、刃を兵士の首を斬りつける直前でぴたりと止めて無力化した。

 他の近衛兵たちが父王とユフィリアンとを交互に見て次の命令を今かと待ちかまえる中、ノツィーリアの背後から凛とした声が聞こえてきた。

「シアールード」
「はいよ~」

 ルジェレクス皇帝が声を発した直後、何もない空中から人間の頭が出現した。それはいつぞや魔道具の説明をしていた魔導師だった。空中にできた隙間から這いでてきて、ひょいと絨毯の上に降り立つ。
 目を疑うような光景に、近衛兵たちがざわめきはじめる。
 うろたえる兵士たちの声に父王の怒声が被せられた。

「貴様、帝国と通じておったのか! これだから魔導師というものは……その者を捕らえよ!」

 その号令に、兵士たちが一斉に魔導師に目標を定める。
 魔導師も皇帝同様なにも武器を持っていないように見える。
 ノツィーリアは今度こそ血が流れてしまうのかと――戦争が始まってしまうのかと、今にも叫び出したい気持ちでいっぱいになった。
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