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13.好きなものを好きだと思うのは悪いことなの?

知る人ぞ知る幻の酒

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***

 研修二日目――。

 今日は前みたいにあちこちで妄想に囚われず、約束の時間より少し早めに羽住はすみ酒造に辿り着けた日織ひおりだ。

 初日に、善蔵ぜんぞうからのプレゼントの前掛けとは別に手渡されていた法被はっぴを羽織って販売所に顔を出した日織に、善蔵ぜんぞうが言った。

「経営のことは少しずつこいつに任せるようにしてるから。日織ひおりちゃんの研修も基本的には一斗いっとに任せようかなって思ってるんだけど……いいかな?」

「よろしくね、日織ちゃん」

 先日同様和装を卒なく着こなした一斗いっとにニッコリ微笑まれて、日織はビシッと背筋を伸ばした。

「もっ、もちろんなのですっ! よろしくお願いしますっ!」

 まるで小学生児童が先生にするみたいな従順そのものなその仕草に、一斗いっとがクスクス笑って。

 善蔵ぜんぞうが「そんなに鯱張しゃっちょこばらんでも相手は一斗いっとだから大丈夫だよ」と声を掛けてくれた。


「でもっ。先生は先生なのでっ!」

 それでも日織ひおりは譲るつもりはないらしい。

 言って、「一斗いっとさんもそのつもりで私のこと、ビシバシ鍛えていただきたいのですっ!」とカウンター向こうの一斗いっとへと身を乗り出して見せる。

「わー。これは僕も責任重大だぁ」

 そんな日織に、一斗いっとはあくまでもマイペースに微笑むと、「じゃあ、始めようか」と〝授業〟開始の宣言をした。


***


日織ひおりちゃんは『波澄はすみ』にも大吟醸があるの、知ってる?」

 一斗いっとに言われて、日織はフルフルと首を横に振った。

 日織が知っているのは吟醸酒の波澄はすみのみで、店頭でもそれ以外を見かけたことはなかった。

 考えてみれば先日善蔵ぜんぞうにプレゼントされた前掛けにも、『純米吟醸 波澄はすみ』と書かれていたはずだ。


波澄はすみの大吟醸は蔵元ここでしか買えないんだ。それも生産数がかなり少ないから、店頭に並べても即売り切れてしまう。……本当に知る人ぞ知る幻の酒なんだ」

 言われて、もしかして幼い頃父・日之進にちのしんに連れられて、わざわざ羽住酒造ここに来ていたのは、そのお酒を入手するためだったんじゃないかと思ってしまった日織だ。

「――日之進さんも何度か買って行かれたことがあるよ。日織ちゃん、小さかったから覚えてないのかな」

 一斗いっとの言葉に頷きながらも、「やはり」と得心のいった日織だ。

 日織が日本酒の美味しさに目覚めたのはここ一年余りのことだから知らなくても無理はなかったのだけれど、今度機会があったらお父様を問い詰めてみようと心に決めた。
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