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*リゼル視点に戻ります
しおりを挟む「永遠のような、けれども一瞬のような白に包まれて……目を開けるとそこは十年前の式典の会場だった。混乱したよ……それこそ君の言う走馬灯だと思った。けれど私は、もう一度君に会えた嬉しさで……ただそれだけで胸が……」
だからあの時フランツは私を見ていたのね。
一度目の時は決して交わることのなかった視線。
けれど、本当は彼も私のことを知っていた。そして私に憧れていたと……。
フランツの美しい紫の瞳からは、とめどなく涙がこぼれ落ちる。
私は少し迷ったが、持っていたハンカチを彼の目元にそっと押し当てた。
フランツは、恥ずかしいような困ったような、どちらともつかない顔をしている。
そんな彼を視界に入れながら、私は頭の中でこれまでの話を整理した。
ダミアンお兄さまが私を愛していて……そして恋人同士だと嘘をつき、フランツを苦しめた末に殺した。
そして……そして私たちの大切な宝物を……マルセルまでその手にかけた……本当に?
まさかそんな、どうして。
だってお兄さまは誰よりも私の幸せを願ってくれていた。フランツと結婚する時だって、心から祝福してくれて……。
フランツとマルセル、そしてお兄さまとのこれまでの日々が、頭の中で交互にぐるぐると回り続ける。
誰よりも私に優しく、これまでずっと見守ってくれたお兄さまがそんなことをするなんて、とても信じられない。
だからといって、フランツが嘘をついているとは到底思えない
そう思う要因は、他ならぬ私が、彼と同じ巻き戻りを経験したからだけど、決してそれだけじゃない。
──今思えば、確かになにかがおかしかった
フランツが嵌められたという財務官マルコ。
彼はなんの前触れもなく、ダミアンお兄さまからの手紙を持って、いきなりローエンシュタインの城にやってきた。
あの頃の私は父の代わりを務めようと必死になっていて、とても疲れていた。
父の仕事の量は膨大で、慣れない書類に目を通すだけでも四苦八苦する日々。
けれどそんな私にマルコは嫌な顔ひとつせず、毎日懇切丁寧に指導してくれた。
私の未熟さに、時折困ったように首を傾げる家令とは大違いだった。
離れた場所からもダミアンお兄さまは心配してくれている。
その気持ちが嬉しかったのと、王宮の財務官という彼の肩書きから、なんの疑問も抱かずにマルコを城の中に招き入れてしまった。
そして次第に私は、公爵家の財政に関し、彼に依存するようになっていった。
けれど……我が家には家令を始め、これまでお父さまの補佐をしていた者がたくさんいた。
あえてマルコを雇い入れる必要はなかったのだ。
けれど私はせっかくのお兄さまの気持ちを無下にできなかった。
──ううん、それは言い訳ね……
王宮での役職があるマルコはプライドも高く、古参の者たちと少からず軋轢があったことも知っていた。
それなのに私は見て見ぬふりをしていた。
面倒なことから逃げたのだ。
フランツの不正を見つけたのもマルコだ。
その時横領について説明された内容は、疑いようのないものだった。
だがそれも帳簿のことがよくわからない私にはだ。
それに加えあの時の私は……マルコにクルト男爵家の名を出され、その瞬間頭に血が上り、冷静さを著しく欠いていた。
私がもっとしっかり帳簿と事実関係を確認してさえいれば、それが嘘か真実かわかったのに。
ニーナのことだってそうだ。
彼にとってニーナは本当になんでもない、ただの幼馴染みだった。
私はフランツの架空の恋人に嫉妬して、自分自身すら見失ったのだ。
いったい今までなにをしていたのだろう。
自分の心を抑え込んで、我慢して、挙句の果てにすべてを失い、自死を選んだ。
どうしてもっと必死になって彼の心を覗こうとしなかったのだろう。
これじゃ私は彼の心を勝手に推測して、ひとりで勝手に傷ついていただけじゃない。
身分がすべてを決定するこの国で、王族に、そしてそれに準ずる我が家に睨まれるということがどれほどの意味を持つかなんて、誰よりも私が一番知っている。
彼は何も言えなくてずっと苦しんでいた。
私さえ彼に聞いていればよかったのだ。
たった一言でもいい。
“あなたの心を教えて”と。
どんな困難も助け合い、彼と共に生きると神に誓ったのに。それなのに私は──
──ううん、今は感傷に浸っている場合じゃないわ……!
「フランツ、まだ話したいことは山ほどあるわ。でも時間がない」
「え?」
「パウルたちはなぜあなたに力を貸してくれたの?」
「昼間に公爵邸を訪れた時、見張りの奴らを見つけた。それで一度屯所に戻って……その、君にはすまないと思ったんだが、パウルたちの協力を求めるために、式典の宴のあと君と恋仲になったと言ったんだ。奴ら、宴の席で身分を気にせず酒を酌み交わしてくれた君にとても感動していて……それで君が何者かに見張られていて近づけないと言ったら、快く協力してくれたんだ。見張りの目を逸らし、私が侵入に成功したら、パウルたちは追手を撒いて騎士団に戻る手はずになっている」
「そう……それなら絶対に無事で帰らせなきゃね」
もちろんフランツも承知の上だろうが、この屋敷を見張っていたのが本当にダミアンお兄さまの配下の者なら、パウルたちも危険な目にあうかもしれない。
私自身、お兄さまのことについては未だ半信半疑だが──
【……あまりよくない輩とは付き合わない方がいい】
あの日、いつもと様子の違ったお兄さまの言葉が思い出されて、妙に不安な気持ちになる。
「フランツ、お願いだからここから動かないでいて」
「……え?」
「話の続きはあとで」
私はフランツに決して部屋を出ないよう言い聞かせ、扉の外に出た。
今の私にあの時起こった真実を知る術はない。それなら、今目の前で起きている真実を知るしかないのよ。
「ロルフ!ロルフいないの!?」
声の限り叫ぶと、階下から慌てたような足音が近付いて来る。
家令のロルフは息を切らして私の側まで来ると礼をした。
「お嬢様、いかがなさいました?」
「外の騒ぎはどうなったの?」
「そ、それが……周辺に住む人間たちが集まり出した途端、暴れていた奴らは場所を移したようです。どうぞご安心ください」
──まずいわ
「ロルフ!今すぐ我がローエンシュタイン公爵家に忠誠を誓う騎士たちを呼び寄せて!」
「え?公爵家の騎士をですか?それはまたどうして」
「ならず者を捕らえるためよ!彼らは我が家を探っていたのかもしれない。手強い相手かもしれないから、騎士たちに単独行動は絶対しないように伝えて。そしてなんとしても捕らえてちょうだいと。それとそのならず者に絡まれていた人たちだけど、例え帯剣していようとも決して手を出さずに保護して!」
「絡まれていた者を保護……わかりました!」
家令が行ったことを見届けると、私はすぐに踵を返した。
部屋に戻るとフランツは窓際に立ち、外の様子を気にしていた。
「リズ……」
側に寄って顔を見ると、やはりというべきか、浮かない表情をしている。
「パウルたちのことは任せて。ローエンシュタイン公爵家の騎士が必ず保護してくれる」
「いや、私が行く。君に会えて、すべてを話すことができたのは奴らのお陰だ。自分だけ安全な場所で待っていることなんてできない」
「駄目よ。行かせないわ」
「リズ……だがしかし──」
「私たちはもう離れちゃ駄目なの!!」
思いがけず大きな声が出て、私も、そしてフランツも驚いた顔をした。
だって今離れたら、また彼を失うかもしれない。
そう思うと感情が掻き乱されて制御ができなかったのだ。
私たちには、それぞれの目で見たものを信じ合うほど、共に過ごした時間も絆もない。
けれど確かなことがひとつだけある。
それは私がフランツを心の底から愛していたということ。
そしてフランツは私を──
「フランツ、あなた、私のことを本当に愛していた?」
ずっと押し殺してきた声を、想いを、今こそ私が伝えなければ。
あの頃、何も言うことができなかった彼の心を知る方法は、それしかなかったのだ。
最初に間違えたのは私だ。
──だって、あなたを欲しがったのは私なのだから
だからもう絶対に聞き逃さない。
あなたの心を。声を。
「……っ、……ずっと愛しているよ……初めて君を見つけたあの日から、私の心も身体も、このすべては君のものだ……!!」
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