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女神の抱擁
しおりを挟む一枚目には後悔を含む、深い悲しみの謝罪が書かれていた。
もう妻になれない身体であると、告白がつづいてあった。
約束を破り、貞節すら守れない愚かな自分を許して欲しい、と。
二通目は聖女に選ばれた旨が詳細に書かれていた。
女神はカナリアの罪を許したこと、才能を愛で歌うことで全てを癒す聖なる力を授かったこと、そしてこうなってしまった原因についても――カナリアは触れていた。
第二王子レットーの暴行を訴え、王室法典に基づいて裁きを求めることを決めた彼女。
女神の意を得て神殿はカナリアの全面的な支援に乗り出し、いま王都では権力をかさに着た王族の暴行を受けたと名乗り出る女性が、少なくても十数人を超えたとか。
何年にも続く長い裁判が始まろうとしていた。
「レットー‥‥‥ッ」
腰から外し、脇に携えていた剣へとつい手が伸びる。
侯爵が立ち上がり、復讐に燃える若者を諌めるようにして、椅子に押し戻した。
「この件について、陛下はとてもお悩みだ。私を使者としてこの地に寄越したことも、その兼ね合いがある。わかるな? はやる気持ちは抑えて待て」
「しかしっ、あれのせいで」
「カナリアは戦うことを選んだ。お前はそれを無駄にする気か? 今ここで王子を殺せば、すべては闇に葬られてしまう。恥をさらけ出し、王に盾突いてでも戦うことを選んだ娘の気持ちを汲んでやってはくれないか」
「……」
諭され、大きく息を吐き出す。
心臓の脈動はどんどんと大きく激しく、怒りを伴って鼓動を早くする。
今この瞬間、第二王子がいたなら彼を斬っていただろう。
誰もいない場所で良かった‥‥‥オリバーは、二人だけでひっそりと会う場を設けてくれた侯爵に感謝した。
「婚約を」
「何だ?」
「まだ、俺は婚約を破棄していません。カナリアが望んだとしても――俺は彼女を愛している」
「ならば、待ってくれるかな? 戻って来る娘の為にも」
侯爵は自身でも納得のいかない悲し気な表情のまま、父親としてそう言った。
――戻って来る? 一度、神殿に入れば、俗世間への帰路はないはず。
当たり前の常識に、オリバーは眉根を寄せる。
「聖家を設けることで、役柄を全うした聖人は、俗世間へも戻れるし、神殿に残ることもできる」
「そのための――っ?」
「陛下は側室の子、第二王子様よりも第一王子様の王位継承を密やかに進めている。これは王命にも近い。だから、待て。いいな?」
「……ええ。そのような事情であるならば」
侯爵はいずれ義理の息子になるだろうオリバーの意思を確認すると、席を立つ。
容疑者として一時的に権利が剥奪された第二王子が王都へと戻されたのは、それから数日後のことだった。
あれから数年。
父親のあとを継いで伯爵になったオリバーは、名実ともに栄誉職である近衛第二騎士団、団長となっていた。
オリバーは静かに婚約者を待つ。
彼女のために用意しようとしていたドレスも式場の予約も、一度は無駄に終わったかと思ったが。
こうして再び、役立つこともあるのだと、にんまりと頬を緩めた。
いま、カナリアは別室でドレスの生地やデザイン選びをしたり、既存のドレスを着て試したりと賑やかに乙女の世界を満喫していることだろう。
昇進をすすめる傍らで世間と王族と戦う聖女を応援し続けた日々。
柄の間の安息を楽しむ彼の手元には紅茶のカップと、新聞がテーブルの上に開いてある。
「あなた! ちゃんと一緒に見てよ! 二人で選ぶって言う約束だったでしょう?」
そんな彼の背中に、新妻になる女性が隣室の扉を開けて、声をかけた。
隣にはオリバーの妹、エレンもいて早くしろと手招いていた。
「ああ、わかった。君には赤よりも青の方が似合うと思うんだ」
「本当? なら、このドレスは――?」
御婦人たちの賑わいの中で、まるでデパートで買い物をするときのような溌溂とした顔で、カナリアが幾つものデザインが載った誌面を見せてくる。
不慣れな環境に戸惑いつつ、彼はこれがいいかも、と指先で青いドレスを選んでみた。
黒髪に美しく映える夜の青。
深みを帯びた優しさが、二人の仲をより温めてくれるような気がした。
女性たちの要望を聞き、彼はさらなる注文を判断し始める。
その脇で、一陣の風に煽られた新聞の紙面が、はらはらと舞う。
『第二王子、度重なる暴行事件により、王位継承権を剥奪。最高裁は王室法典に則り、死刑を求刑した。刑は月末、王宮内の特別室にて執り行われる模様――』
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