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あの女性は、嘲笑うような眼差しを私に向けていた。バラ色のふっくらした頬に大きな瞳が印象的だった小柄な女性。
ローリー様はあのようなタイプの女性がお好みだったのか・・・・・・婚約者に忘れられた屈辱と情けなさで思わず涙がこぼれる。屋敷に着く頃には、目元がすっかり赤く腫れていた。
サロンを通り抜けて、自室に向かおうとした私をお母様が引き留める。
「ジョージア。どうしたというの? なんでそんなに目が・・・・・・」
「ちょっと思いがけないことがありました。後でお話しますわ。今は一人になりたいの」
「またあの性悪マカロン侯爵夫人に意地悪されたのね? だから、もう行かないように言ったでしょう? いつまでもお人好しは・・・・・・」
「えぇ、お母様。『お人好しは利用されて終わる』ですよね? いい勉強になったかもしれません。ローリ様が妻子を連れてお戻りになり、私に『君は誰かな?』と訊きました」
「なんてこと! それでマカロン侯爵夫人はなんとおっしゃったの? まさかその女を歓迎した?」
「はい、とても喜んでいらっしゃいました。そして私に『役目は終わった』と、おっしゃいました」
お母様は怒りに綺麗なお顔を歪ませ、お父様の執務室に飛び込んでいった。やがてかんかんになったお父様がやっていらして貴族裁判にかけると意気込む。
「婚約しているにも拘わらず妻子を作ったのは、明らかな不貞行為! 慰謝料でも請求しなければこちらの気がおさまらん!」
「お父様、落ち着いて! きっとこの場合だと慰謝料はもらえませんよ。戦死の通知で、法律上は婚約も白紙になったはずです。あちらのお屋敷に通って無駄な時間を過ごしたのは私の責任。全て自業自得なのです」
「・・・・・・くっそっ! 忌々しい侯爵家のバカ息子め! だが、おかしいぞ。なんで死んだはずの人間が無傷で、妻子まで連れて戻ってくるんだ。戦地で亡くなった者は骨の一部が遺族に戻されるが、じゃぁマカロン侯爵家に送られてきた骨は誰のものだ?」
「確かに不思議ですね。どこもお怪我はされていないようでした」
「これは、国王陛下に調べていただく必要があるだろう。ジョージア、すぐに行こう! なにか臭うぞ。早速、王宮に赴きご報告をしなければならない」
☆彡
――王宮内の謁見室にて。国王陛下の傍らには騎士団長、副団長。今回の戦死記録を管理している文官の長が控えているーー
「これほどすぐにお目通りが叶うとは思いませんでした。私はチェリル伯爵家の当主オリバー・チェリルでございます。こちらは娘のジョージア・・・・・・国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく・・・・・・」
「あぁ、挨拶などは省いてよい。副団長が会うようにと、余に詰め寄って来てうるさかった。で、マカロン侯爵家のローリーが敵前逃亡の疑いがあるとは誠か?」
「はい。無傷で妻子を伴い、本日マカロン侯爵家に戻って来たそうです」
「チェリル伯爵が見たのか? ローリーはどんな様子だった?」
「私が見ました。私はチェルリ伯爵家の三女です。国王陛下にはご機嫌麗しく・・・・・・」
「だから挨拶は省略で良い。で、詳細を聞こう」
「はい、ローリー様の顔色はとても良く、どこにも怪我はないようでした。そして小柄な黒髪の女性と幼児を連れていました。ご自分の妻子だとおっしゃって、婚約者の私がわからないようでした」
「はっ! 無傷で妻子まで連れてご帰還かい? 婚約者の顔もわからない? ずいぶん都合のいいことがあるものだ!」
副騎士団長のバッチをつけた男性が吐き捨てるように言った。国王陛下の御前だというのに、とてもリラックしすぎだし語調が驚くほど強い。
「陛下。マカロン侯爵家の息子の配属先は前線地域ではなかったはずで、考えたら戦死というのも妙ですね。あの時期は、病気が蔓延していたわけでもなかった気がします」
文官が記録書をめくって首を傾げている。
「おっしゃるように前線ではなく野外病院がある地域です。兵器や整備部品などの補給管理のお仕事になると、出征前におっしゃっていたのを覚えています」
私は、文官の男性に遠慮がちに話しかける。
「あぁ、だったら戦闘で死ぬことはありえないです! 野外病院を構えた地域はかなり安全で、病気で死ぬことはあっても、戦の傷で死ぬことないはず・・・・・・国王陛下、ローリーの遺体として扱われた者がどんな状態だったか、徹底的に調べる必要があると思います」
騎士団長が国王陛下に進言した。
「だったらその男は敵前逃亡というよりは脱走兵ですね。怪我をして次々と運び込まれてくる者達を見て耐えきれなくなったんでしょう。最前線の者は戦うのに必死で逃げる余裕さえないが、兵站部隊にはたまにそういう腰抜けが出てくる」
副団長が吐き捨てるように言うと、私に目を向けた。
「ジョージアもくだらない婚約者をもったね。これからどうするつもりかな? 婚約者は戻ってきたけれど妻子がいたのでは話にならない」
「え! 私をご存じですか? あの・・・・・・面識はございましたか? えっと、私は両親の迷惑にならないように修道院にでも入って、戦死した方達の為に祈り続けようかと思います」
「おい、おい。私を忘れたのかい? 貴族学園で1学年上の騎士科に通っていたベンジャミン・ジュードだよ」
「はい? あのベンジャミン様ですか? 国王陛下の甥の? よく図書館でお会いすることがありましたよね?」
「そうだよ! 思い出してくれて嬉しいよ。今はベンジャミン・ジュード公爵だ。父の爵位を最近継いだばかりだよ。で、修道院に入るって本気なのかい? 君はずっと天文学者に憧れていただろう? 結婚だってこれからできるのに?」
「結婚・・・・・・無理です。だって、もう貴族の同じ年頃の男性は結婚しているか婚約者がいて・・・・・・天文学はまだ学びたい気持ちはありますが、留学なんてお金がかかりすぎて・・・・・・」
「ちなみに私はまだ独身だ。しかも爵位を継いだばかりなので、急遽妻を募集している。それからジュード公爵家は金持ちなので、外国の天文学者ぐらい屋敷に招き、いくらでも専属家庭教師にしてあげられるよ?」
「へ?」
私は思わずおかしな声をだしてしまう。一方、お父様は期待のこもったキラキラの眼差しをベンジャミン様に向けた。
*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
※兵站(へいたん):戦闘部隊の後方にあって、兵器や整備部品の補給・兵士に必要な物資の補給・医療などを担う雑務の総称。
ローリー様はあのようなタイプの女性がお好みだったのか・・・・・・婚約者に忘れられた屈辱と情けなさで思わず涙がこぼれる。屋敷に着く頃には、目元がすっかり赤く腫れていた。
サロンを通り抜けて、自室に向かおうとした私をお母様が引き留める。
「ジョージア。どうしたというの? なんでそんなに目が・・・・・・」
「ちょっと思いがけないことがありました。後でお話しますわ。今は一人になりたいの」
「またあの性悪マカロン侯爵夫人に意地悪されたのね? だから、もう行かないように言ったでしょう? いつまでもお人好しは・・・・・・」
「えぇ、お母様。『お人好しは利用されて終わる』ですよね? いい勉強になったかもしれません。ローリ様が妻子を連れてお戻りになり、私に『君は誰かな?』と訊きました」
「なんてこと! それでマカロン侯爵夫人はなんとおっしゃったの? まさかその女を歓迎した?」
「はい、とても喜んでいらっしゃいました。そして私に『役目は終わった』と、おっしゃいました」
お母様は怒りに綺麗なお顔を歪ませ、お父様の執務室に飛び込んでいった。やがてかんかんになったお父様がやっていらして貴族裁判にかけると意気込む。
「婚約しているにも拘わらず妻子を作ったのは、明らかな不貞行為! 慰謝料でも請求しなければこちらの気がおさまらん!」
「お父様、落ち着いて! きっとこの場合だと慰謝料はもらえませんよ。戦死の通知で、法律上は婚約も白紙になったはずです。あちらのお屋敷に通って無駄な時間を過ごしたのは私の責任。全て自業自得なのです」
「・・・・・・くっそっ! 忌々しい侯爵家のバカ息子め! だが、おかしいぞ。なんで死んだはずの人間が無傷で、妻子まで連れて戻ってくるんだ。戦地で亡くなった者は骨の一部が遺族に戻されるが、じゃぁマカロン侯爵家に送られてきた骨は誰のものだ?」
「確かに不思議ですね。どこもお怪我はされていないようでした」
「これは、国王陛下に調べていただく必要があるだろう。ジョージア、すぐに行こう! なにか臭うぞ。早速、王宮に赴きご報告をしなければならない」
☆彡
――王宮内の謁見室にて。国王陛下の傍らには騎士団長、副団長。今回の戦死記録を管理している文官の長が控えているーー
「これほどすぐにお目通りが叶うとは思いませんでした。私はチェリル伯爵家の当主オリバー・チェリルでございます。こちらは娘のジョージア・・・・・・国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく・・・・・・」
「あぁ、挨拶などは省いてよい。副団長が会うようにと、余に詰め寄って来てうるさかった。で、マカロン侯爵家のローリーが敵前逃亡の疑いがあるとは誠か?」
「はい。無傷で妻子を伴い、本日マカロン侯爵家に戻って来たそうです」
「チェリル伯爵が見たのか? ローリーはどんな様子だった?」
「私が見ました。私はチェルリ伯爵家の三女です。国王陛下にはご機嫌麗しく・・・・・・」
「だから挨拶は省略で良い。で、詳細を聞こう」
「はい、ローリー様の顔色はとても良く、どこにも怪我はないようでした。そして小柄な黒髪の女性と幼児を連れていました。ご自分の妻子だとおっしゃって、婚約者の私がわからないようでした」
「はっ! 無傷で妻子まで連れてご帰還かい? 婚約者の顔もわからない? ずいぶん都合のいいことがあるものだ!」
副騎士団長のバッチをつけた男性が吐き捨てるように言った。国王陛下の御前だというのに、とてもリラックしすぎだし語調が驚くほど強い。
「陛下。マカロン侯爵家の息子の配属先は前線地域ではなかったはずで、考えたら戦死というのも妙ですね。あの時期は、病気が蔓延していたわけでもなかった気がします」
文官が記録書をめくって首を傾げている。
「おっしゃるように前線ではなく野外病院がある地域です。兵器や整備部品などの補給管理のお仕事になると、出征前におっしゃっていたのを覚えています」
私は、文官の男性に遠慮がちに話しかける。
「あぁ、だったら戦闘で死ぬことはありえないです! 野外病院を構えた地域はかなり安全で、病気で死ぬことはあっても、戦の傷で死ぬことないはず・・・・・・国王陛下、ローリーの遺体として扱われた者がどんな状態だったか、徹底的に調べる必要があると思います」
騎士団長が国王陛下に進言した。
「だったらその男は敵前逃亡というよりは脱走兵ですね。怪我をして次々と運び込まれてくる者達を見て耐えきれなくなったんでしょう。最前線の者は戦うのに必死で逃げる余裕さえないが、兵站部隊にはたまにそういう腰抜けが出てくる」
副団長が吐き捨てるように言うと、私に目を向けた。
「ジョージアもくだらない婚約者をもったね。これからどうするつもりかな? 婚約者は戻ってきたけれど妻子がいたのでは話にならない」
「え! 私をご存じですか? あの・・・・・・面識はございましたか? えっと、私は両親の迷惑にならないように修道院にでも入って、戦死した方達の為に祈り続けようかと思います」
「おい、おい。私を忘れたのかい? 貴族学園で1学年上の騎士科に通っていたベンジャミン・ジュードだよ」
「はい? あのベンジャミン様ですか? 国王陛下の甥の? よく図書館でお会いすることがありましたよね?」
「そうだよ! 思い出してくれて嬉しいよ。今はベンジャミン・ジュード公爵だ。父の爵位を最近継いだばかりだよ。で、修道院に入るって本気なのかい? 君はずっと天文学者に憧れていただろう? 結婚だってこれからできるのに?」
「結婚・・・・・・無理です。だって、もう貴族の同じ年頃の男性は結婚しているか婚約者がいて・・・・・・天文学はまだ学びたい気持ちはありますが、留学なんてお金がかかりすぎて・・・・・・」
「ちなみに私はまだ独身だ。しかも爵位を継いだばかりなので、急遽妻を募集している。それからジュード公爵家は金持ちなので、外国の天文学者ぐらい屋敷に招き、いくらでも専属家庭教師にしてあげられるよ?」
「へ?」
私は思わずおかしな声をだしてしまう。一方、お父様は期待のこもったキラキラの眼差しをベンジャミン様に向けた。
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※兵站(へいたん):戦闘部隊の後方にあって、兵器や整備部品の補給・兵士に必要な物資の補給・医療などを担う雑務の総称。
応援ありがとうございます!
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