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1章 説明が欲しい
1-12 男爵家 ◆母リーメル視点◆
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◆母リーメル視点◆
「シロ様とー、おさんぽさんぽ、うっれしいなー、たっのしいなー」
聞いたことのない歌だが、あの子は適当に歌っているだけなのだろう。こういうところは年齢通りの三歳児に思える。
私はリアムを見送る。
今朝はシロ様が砦の出入口でリアムを待っていた。弁当が入ったリュックを確認してから、リアムはシロ様を頭にのせてそのまま出発した。
「散歩じゃないぞ、壁の修繕だぞ」
頭上にいるシロ様がリアムを嗜める。非常に優しい声なのだが。
壁に沿って彼らは遠ざかっていく。
「シロ様と一緒にいられて嬉しいから、良いのー。喜びを歌にしただけだから何でも良いのー」
「、、、何でも良いのか」
「えへへー」
リアムにシロ様もイチコロだ。
シロ様は困惑の声を出しているが、見える横顔は非常に嬉しそうだ。あ、私の視線に気づいて、顔を背けた。
リアムを待っていた時点で、シロ様にとってリアムは特別な子なのだろう。
シロ様が人間の前に姿を現すのは本当に珍しい。
クロ様は本当に数は少ないがたまに砦に出没していたけれど、シロ様は今までS級以上の魔物が現れたときにしか見たことがなかった。
ベビーベッドで赤ん坊のリアムに向かって熱弁を振るっていたときには驚いた。
この子もまるでシロ様の言葉がわかっているかのように相槌を打ったり、小さい手をペチペチ叩いていた。
クロ様もリアムのベビーベッドにいて、僕のお嫁にもらえないか発言までした。
この子は砦の守護獣に愛されている。
もしも、リアムがクロ様やシロ様の嫁に行ったら。
クバード・スート辺境伯とは立場がまったく異なるが、誓約者という意味合いでは同じになる。
砦の守護獣の誓約者。
メルクイーン男爵家では誰一人として守護獣のお眼鏡に適った者はいない。
それは冒険者であるメルクイーン男爵家の歴代の悲願でもある。
守護獣と誓約できたのならば、その地位は確実なものになる。
本来ならば、ここは元は辺境伯領。同等の爵位を持っている者が治める土地だ。
だが、クバード・スート辺境伯だからこそ、ここは辺境伯領だった。
この王国の伯爵でも子爵でも、辺境伯から継いでこの地を治めたいと考える貴族は皆無だった。
辺境伯が人外レベルで強すぎたからだ。辺境伯がいなくなれば、この土地は非常に危険な土地だ。
魔物が湧き出る魔の大平原を管理し続けなければならない。
それは完全に赤字覚悟の領地だ。
それはS級、SS級冒険者を誘致し続けなければならないということだ。
クジョー王国の王都に魔の森がある以上、王族との奪い合いになる。無理な話だった。
そこで白羽の矢が立ってしまったのが、当時、当主が冒険者でもあったメルクイーン男爵だった。
が、メルクイーン男爵も何の条件もなく了承したわけではない。国に納める税の軽減、S級以上の魔物が出現したときの国の対応、他領からの応援等、様々なものを当時の国王に了承させた。
メルクイーン男爵が数代に渡り、貧しいながらも壊滅的なダメージを負うことなくこの地を治められたのは、もちろん守護獣のおかげだ。
彼らがクバード・スート辺境伯との約束を守り、この砦を守ってくれていたからだと聞いている。
つまり、守護獣のシロ様とクロ様が今でもこの砦を守ってくれているのは、辺境伯との繋がりがあるからだ。
我々メルクイーン男爵家には何の繋がりもない。
だからこそ、メルクイーン男爵家の当主は冒険者であり、守護獣との繋がりを欲していた。
もし、守護獣のシロ様とクロ様がこの砦からいなくなれば、この領地の明日は存在しない。
それをメルクイーン男爵家の冒険者である当主は痛いほどわかっていた。
現当主、私の夫のビルは冒険者ではない。
ビルは次男だった。
運悪く、冒険者であった当主と長男が魔物に殺されてしまった。
そこで、遠縁にあたる父と私がこの家に呼ばれた。
私たち一家は違う領地で冒険者をしていた。
ビルの母親は、ビルを冒険者にしないために、冒険者の私を呼んだのだ。
砦の管理を私に任せてしまおうと。
自分の夫と息子が一人殺されてしまったら、仕方ないことなのかもしれない。
残された自分の息子を守ろうと。
私の身がいくら危険であっても、息子のビルさえ安全ならどうだっていいと思えたのだろう。
少し考えれば、砦が崩壊すればこの領地すべてが危険であることなんて、子供でもわかることなのだが。
そんな母親に影響されてか、ビルも冒険者への想いが少しずつ歪んでいったのだと思う。
ビルの母親は病気に侵されて亡くなった。
私の父が生きている間は、ビルも冒険者について一定の理解を示していた。
が、私の父が魔物に殺されて亡くなった後、ビルは変わった。
当初冒険者として育てると予定していた長男ジャイールを自分の手に戻した。一歳の子供に家庭教師をつけて貴族として育てると言い出した。
父の後ろ盾がなくなった私はビルを説得できなかった。
次男ルアンも六か月を過ぎた頃、家庭教師をつけられた。
子供二人とも砦に足を運ぶことはなかった。
この領地の税金の多くは砦に使われていた。
誰にでもわかる簡単なことだ。
この砦が壊れれば、この領地に明日はない。
誰にでもわかることが、夫のビルにはわからなくなっていた。
夫は貴族の保養地の整備に税金を投入し始めた。
砦は強固で魔物は逃がしていないはずなのに、領地に魔物の被害があると真偽も確かめずに冒険者のことを罵倒した。
私は冒険者として自分で稼いだお金で砦を回し始めていた。
このときには私もB級冒険者、ある程度の稼ぎはあった。
私はメルクイーン男爵家に絶望を感じていたときだった。
このまま行けば、この領地は危機に陥るだろう。
さすがに私の稼ぎだけでは砦を改修させるお金を用意するのは難しい。
砦に綻びができれば、いつかは。夫の代では何とか持つかもしれないが、次の代では魔物が領地に溢れかえってしまうだろう。そうなれば、責任を取るのは領主である。一人だけの首で済めばまだ良い方だ。
「母上ーっ、おかえりなさーいっ」
元気な声で、砦で迎えてくれる。
「リアムーっ、今日もお肉をたくさん獲ってきたぞーっ」
「わーいっ、母上、最高っ。おっにくー」
一歳になる頃にはリアムは普通に話していた。少し舌足らずなところはあるが、長男も次男もこんなに早い成長はなかった。
リアムの笑顔は私に元気をくれる。
この子をあの家に帰らせなければならないのが心苦しい。
砦でこの子と二人で過ごせたらどんなに幸せかと思ってしまう。
母上ー、母上ー、と砦や街では私の後について来る。
けれど、魔の大平原について来ることはない。
分別のつく良い子だ、と思ったが、それだけではない。
リアムが母上に頼まれてー、って言って訂正する必要のある書類を冒険者たちにお願いしていたと聞いて、涙が出そうになった。
この子は私が書類を書くのを苦手なこともわかっている。
私の執務室の机にある書類がいつのまにか整理されていた。
リアムが剣や魔法をこっそり訓練しているのも知っている。
私の家事を手伝い始めたのも知っている。
リアムは赤ん坊の頃から赤ん坊らしくない。
たまに何もかもわかっているかのような目をする。
あまり泣かなかった。
だから、あの子は父親に何も言わなくなった。いや、兄二人にも何も言わない。
家での食事のときは黙々と食べている。
外ではあんなに明るい子が、家では何も話さない。
あの目はもう見限っている目だ。
私はあの目が私に向けられる日が来ることがあったらと思うと怖い。
そして、今、私に向けられているリアムの目で救われる。
どうしようもなく救われるのだ。
本当なら、リアムはあの家に帰さないで、砦で暮らした方が幸せだ。
けれど、リアムが産まれてから、私一人であの家に帰りたくなくなってしまったのだ。
リアムは三歳になった。
本人の希望で冒険者登録をした。
極西支部の冒険者ギルドの職員は難色を示すだろうと思っていたが、リアムの方がうわてだった。A級冒険者の推薦状を二通も持って来ていたのだった。
私も冒険者登録はもう少し後でも良いんじゃないかと思っていた。期待するリアムには言えなかったけど。
リアムは壁の修繕を頑張っている。
ほんの少しの時間稼ぎだとわかっている。
魔の大平原は恐ろしいところだ。
私の父も冒険者としてここで亡くなった。
私はリアムを失いたくないのだ。
「シロ様とー、おさんぽさんぽ、うっれしいなー、たっのしいなー」
聞いたことのない歌だが、あの子は適当に歌っているだけなのだろう。こういうところは年齢通りの三歳児に思える。
私はリアムを見送る。
今朝はシロ様が砦の出入口でリアムを待っていた。弁当が入ったリュックを確認してから、リアムはシロ様を頭にのせてそのまま出発した。
「散歩じゃないぞ、壁の修繕だぞ」
頭上にいるシロ様がリアムを嗜める。非常に優しい声なのだが。
壁に沿って彼らは遠ざかっていく。
「シロ様と一緒にいられて嬉しいから、良いのー。喜びを歌にしただけだから何でも良いのー」
「、、、何でも良いのか」
「えへへー」
リアムにシロ様もイチコロだ。
シロ様は困惑の声を出しているが、見える横顔は非常に嬉しそうだ。あ、私の視線に気づいて、顔を背けた。
リアムを待っていた時点で、シロ様にとってリアムは特別な子なのだろう。
シロ様が人間の前に姿を現すのは本当に珍しい。
クロ様は本当に数は少ないがたまに砦に出没していたけれど、シロ様は今までS級以上の魔物が現れたときにしか見たことがなかった。
ベビーベッドで赤ん坊のリアムに向かって熱弁を振るっていたときには驚いた。
この子もまるでシロ様の言葉がわかっているかのように相槌を打ったり、小さい手をペチペチ叩いていた。
クロ様もリアムのベビーベッドにいて、僕のお嫁にもらえないか発言までした。
この子は砦の守護獣に愛されている。
もしも、リアムがクロ様やシロ様の嫁に行ったら。
クバード・スート辺境伯とは立場がまったく異なるが、誓約者という意味合いでは同じになる。
砦の守護獣の誓約者。
メルクイーン男爵家では誰一人として守護獣のお眼鏡に適った者はいない。
それは冒険者であるメルクイーン男爵家の歴代の悲願でもある。
守護獣と誓約できたのならば、その地位は確実なものになる。
本来ならば、ここは元は辺境伯領。同等の爵位を持っている者が治める土地だ。
だが、クバード・スート辺境伯だからこそ、ここは辺境伯領だった。
この王国の伯爵でも子爵でも、辺境伯から継いでこの地を治めたいと考える貴族は皆無だった。
辺境伯が人外レベルで強すぎたからだ。辺境伯がいなくなれば、この土地は非常に危険な土地だ。
魔物が湧き出る魔の大平原を管理し続けなければならない。
それは完全に赤字覚悟の領地だ。
それはS級、SS級冒険者を誘致し続けなければならないということだ。
クジョー王国の王都に魔の森がある以上、王族との奪い合いになる。無理な話だった。
そこで白羽の矢が立ってしまったのが、当時、当主が冒険者でもあったメルクイーン男爵だった。
が、メルクイーン男爵も何の条件もなく了承したわけではない。国に納める税の軽減、S級以上の魔物が出現したときの国の対応、他領からの応援等、様々なものを当時の国王に了承させた。
メルクイーン男爵が数代に渡り、貧しいながらも壊滅的なダメージを負うことなくこの地を治められたのは、もちろん守護獣のおかげだ。
彼らがクバード・スート辺境伯との約束を守り、この砦を守ってくれていたからだと聞いている。
つまり、守護獣のシロ様とクロ様が今でもこの砦を守ってくれているのは、辺境伯との繋がりがあるからだ。
我々メルクイーン男爵家には何の繋がりもない。
だからこそ、メルクイーン男爵家の当主は冒険者であり、守護獣との繋がりを欲していた。
もし、守護獣のシロ様とクロ様がこの砦からいなくなれば、この領地の明日は存在しない。
それをメルクイーン男爵家の冒険者である当主は痛いほどわかっていた。
現当主、私の夫のビルは冒険者ではない。
ビルは次男だった。
運悪く、冒険者であった当主と長男が魔物に殺されてしまった。
そこで、遠縁にあたる父と私がこの家に呼ばれた。
私たち一家は違う領地で冒険者をしていた。
ビルの母親は、ビルを冒険者にしないために、冒険者の私を呼んだのだ。
砦の管理を私に任せてしまおうと。
自分の夫と息子が一人殺されてしまったら、仕方ないことなのかもしれない。
残された自分の息子を守ろうと。
私の身がいくら危険であっても、息子のビルさえ安全ならどうだっていいと思えたのだろう。
少し考えれば、砦が崩壊すればこの領地すべてが危険であることなんて、子供でもわかることなのだが。
そんな母親に影響されてか、ビルも冒険者への想いが少しずつ歪んでいったのだと思う。
ビルの母親は病気に侵されて亡くなった。
私の父が生きている間は、ビルも冒険者について一定の理解を示していた。
が、私の父が魔物に殺されて亡くなった後、ビルは変わった。
当初冒険者として育てると予定していた長男ジャイールを自分の手に戻した。一歳の子供に家庭教師をつけて貴族として育てると言い出した。
父の後ろ盾がなくなった私はビルを説得できなかった。
次男ルアンも六か月を過ぎた頃、家庭教師をつけられた。
子供二人とも砦に足を運ぶことはなかった。
この領地の税金の多くは砦に使われていた。
誰にでもわかる簡単なことだ。
この砦が壊れれば、この領地に明日はない。
誰にでもわかることが、夫のビルにはわからなくなっていた。
夫は貴族の保養地の整備に税金を投入し始めた。
砦は強固で魔物は逃がしていないはずなのに、領地に魔物の被害があると真偽も確かめずに冒険者のことを罵倒した。
私は冒険者として自分で稼いだお金で砦を回し始めていた。
このときには私もB級冒険者、ある程度の稼ぎはあった。
私はメルクイーン男爵家に絶望を感じていたときだった。
このまま行けば、この領地は危機に陥るだろう。
さすがに私の稼ぎだけでは砦を改修させるお金を用意するのは難しい。
砦に綻びができれば、いつかは。夫の代では何とか持つかもしれないが、次の代では魔物が領地に溢れかえってしまうだろう。そうなれば、責任を取るのは領主である。一人だけの首で済めばまだ良い方だ。
「母上ーっ、おかえりなさーいっ」
元気な声で、砦で迎えてくれる。
「リアムーっ、今日もお肉をたくさん獲ってきたぞーっ」
「わーいっ、母上、最高っ。おっにくー」
一歳になる頃にはリアムは普通に話していた。少し舌足らずなところはあるが、長男も次男もこんなに早い成長はなかった。
リアムの笑顔は私に元気をくれる。
この子をあの家に帰らせなければならないのが心苦しい。
砦でこの子と二人で過ごせたらどんなに幸せかと思ってしまう。
母上ー、母上ー、と砦や街では私の後について来る。
けれど、魔の大平原について来ることはない。
分別のつく良い子だ、と思ったが、それだけではない。
リアムが母上に頼まれてー、って言って訂正する必要のある書類を冒険者たちにお願いしていたと聞いて、涙が出そうになった。
この子は私が書類を書くのを苦手なこともわかっている。
私の執務室の机にある書類がいつのまにか整理されていた。
リアムが剣や魔法をこっそり訓練しているのも知っている。
私の家事を手伝い始めたのも知っている。
リアムは赤ん坊の頃から赤ん坊らしくない。
たまに何もかもわかっているかのような目をする。
あまり泣かなかった。
だから、あの子は父親に何も言わなくなった。いや、兄二人にも何も言わない。
家での食事のときは黙々と食べている。
外ではあんなに明るい子が、家では何も話さない。
あの目はもう見限っている目だ。
私はあの目が私に向けられる日が来ることがあったらと思うと怖い。
そして、今、私に向けられているリアムの目で救われる。
どうしようもなく救われるのだ。
本当なら、リアムはあの家に帰さないで、砦で暮らした方が幸せだ。
けれど、リアムが産まれてから、私一人であの家に帰りたくなくなってしまったのだ。
リアムは三歳になった。
本人の希望で冒険者登録をした。
極西支部の冒険者ギルドの職員は難色を示すだろうと思っていたが、リアムの方がうわてだった。A級冒険者の推薦状を二通も持って来ていたのだった。
私も冒険者登録はもう少し後でも良いんじゃないかと思っていた。期待するリアムには言えなかったけど。
リアムは壁の修繕を頑張っている。
ほんの少しの時間稼ぎだとわかっている。
魔の大平原は恐ろしいところだ。
私の父も冒険者としてここで亡くなった。
私はリアムを失いたくないのだ。
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