明鏡の惑い
※この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※参考文献表は、全24章公開完了後に追加します。
※明朝体推奨。
主人公は1983年産まれ。私が10歳の少年だった84年頃に家族で照月湖モビレージでキャンプをしに訪れた思い出があります。夜はホタルが舞い、懐中電灯の灯りで砂利道の水たまりを避けながら照月湖温泉へ入りに行ったのをよく覚えています。
2019年私の住む地域でも甚大な被害を出した台風で、照月湖の堤防が決壊し水が失われたというニュースは、数十年前にたった一泊キャンプしただけでしかない私にも衝撃的でした。
序盤の別荘地の成り立ちの描写は興味深く、特に昭和後期のパートは自分の記憶と照らし合わせる作業が楽しく読み進めることができました。
しかし序盤を過ぎると読み手は置いてきぼり気味になります。主人公は優秀な聖人君子として描かれている一方で、一部の先輩と教師、女子生徒を除いて徹底的に不条理で愚かな人物で構成されており、不条理に振る舞う理由付けが何も示されていないのに違和感を覚えました。
祖母はなぜ児童を巻き添えにする凶悪な犯行ののち自死に至らねばならなかったのか。ピアノ教師の独白にはページが割かれるが、愚かな脇役たちに弁明の機会は与えられずにあっけなく幕引きを迎える。
理由なき悪意を持った脇役達は、主人公の正しさを相対的にあぶり出すための舞台装置として置かれているだけ…というプロットの単純さ。主人公の高潔さを証明するパートのあまりの冗長ぷりに、読み進むにつれ無視できない苦痛が増してきます。
漢詩を解読し英語を話しドイツ語で歌い、クラシックの解像度が高く体力以外の全教科トップ成績の中学生という共感フックの乏しさが際立つ。劣情に苦しむこともなく、人間臭さを描いた場面も見つからない。主人公の血肉化された魅力ではなく、記号的に盛られたスペックで、高潔な男子中学生という奇妙な偶像への崇拝を強要される。
照月湖と浅間観光株式会社の終焉を、主人公の早すぎる死に重ね合わせる作者のノスタルジーと思い入れが暴走し、梯子は最後まで外されたままでした。