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10.届かぬ想いの行方
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この日、仕事を終えたわたしは雫さんと待ち合わせしていた。
雫さんの連絡先を知らなかったわたしは、迷った挙句、智花に相談した。智花に間に入ってもらい、雫さんと連絡先を交換したわたしが会いたい旨を告げると、雫さんはすんなりと了承してくれたのだ。
航には言えなかった。余計な心配をかけたくなかった。
別に雫さんとやり合おうというわけではない。謝ってもらいたいわけでもない。ただ会って話をしないといけないと思ったから。そうしないと……とそこまで考えて、随分と自分本位だなと少し焦った。
わたしは自分がすっきりしたいために、雫さんに会いに行くのだ。間違いなく、わたしは彼女を傷つける。それをわかって行動しようとしている。
歓楽街として有名な街にある駅を出て、指定されたカフェに向かった。そのカフェは大通りに面した雑居ビルの地下一階にあって、すぐに見つけることができた。
「お待たせしてごめんなさい」
「いいえ、わたしもさっき来たところだから」
先に到着していた雫さんはアイスコーヒーを頼んでおり、わたしはあたたかい紅茶をオーダーした。
店内はシックな内装に間接照明という落ち着いた雰囲気。女性のお客さんが多く、ほっとできる空間だった。
だけどわたしは雫さんを目の前にして緊張し、どう切り出そうかと考えあぐねていた。ふたりの間に沈黙が続き、気まずくて仕方がない。
「わたしに話があるというのは、航くんのことだよね?」
先に言葉を発したのは雫さんだった。ウェイターがわたしの分の紅茶を運んできた直後のことだった。
それから雫さんはアイスコーヒーをひと口飲む。
わたしは、「はい」と頷くも、やっぱりなにも言えなくて、年上なのになにをやっているのだろうと泣きたい気分だった。
「言いたいことがあるならはっきり言ってよ。航くんから全部聞いたんだよね?」
「……ええ」
「それで、もう航くんには近づくなって、そう言いたいんでしょう?」
「いいえ、そういうわけでは──」
「航くんの話を信じたの? わたしの言ったことは嘘じゃないよ。わたし、航くんとエッチしたから」
わたしの言葉をさえぎって、雫さんが言い放つ。
人からストレートに敵意を向けられるのは精神的にきつい。怖いと思った。
でも人を好きになるとはこういうことなのだと思う。傲慢に人を傷つけても手に入れたいと思ってしまう。
わたしもそうだから……。
まるで自分を見ているようだった。
「わたしは航のことを信じてます」
「そんなこと言って、単に航くんの家の財産が目的なんじゃないの?」
「違います! お金のことなんて考えたこともありません」
「純粋ぶっちゃって。でも航くんを想う気持ちは、あなたよりわたしのほうが大きいから。わたしは八年間、ずっと好きだったの。あなたが航くんに出会う前から」
雫さんは興奮することなく、セリフを読みあげるように淡々と言う。
その様子は凍えそうなほど冷たい。でもかすかに唇は震えていて、隠しきれない深い悲しみが滲み出ていた。
もしかして雫さんは……。
かわいそうなくらいの虚勢が逆に痛々しかった。
「たしかに八年間という月日はわたしよりも長いです。実際、航にとって雫さんは特別な位置にいる女性だと思います。だから不安で仕方ありませんでした。航がこんなにも気を許す女性に会うのは初めてだったので」
わたしは完全におごっていた。わたしは、航にとって最強の存在だと。それで安心しきって、愛されて当然、優先されてあたり前と思っていた。
だから不安になったのだ。わたし以外に“特別”がいたんだって。
わたしへのそれとは違うものだけれど、たしかに雫さんは航が大切にしてきた女の子で、それを彼女も自覚しているからこそ、八年間も航を想い続けてこられたのだ。
「早く大人になりたかった。どんなに想っても大事にされても、中学生のわたしは子どもとしてしか見てもらえなかったから。そこにあなたが現れた。ずるいよ、急に現れて航くんを奪うなんて。結婚なんて絶対に許さない!」
「ずるいと言われようと、わたしは航を雫さんには渡しません。雫さんを悲しませて泣かせるってわかっていても、それでもわたしは航と結婚したいんです」
「あなたが現れなかったら、航くんはわたしのことを好きになってた。きっとそうに違いないの」
「そう……なのかな? でも、たとえそうだとしても大事なのは今だから……。わたしは今いるこの道を信じて、航と歩いていきたいの」
「大変な道なのにいいの?」
「ええ、いばらの道でも前に進むだけです。安易な気持ちで結婚を決めたんじゃありませんから」
航との結婚にただ浮かれていたわけではない。現実的な問題を真っ先に考えた。
航の家柄や仕事のことを考えて、そうすべき時期が来たら仕事を辞めることも念頭にある。彼のサポートにつくつもり。そのために、これから様々な勉強をしていこうと思っている。
たとえば海外だと夫婦同伴のパーティーも多く、航のお母様もよく同伴されている。航は、お父様の教育方針で英語はもちろんフランス語も堪能。一方わたしはまるっきりだめ。だけど海外でのパーティーとなると最低限、英語を話せないとだめだし、パーティーマナーも学ばないとならない。
会社経営のことだってそう。組織や会社の仕組みについては、一般企業に勤めたことがなく、母校で好きな仕事だけをしてきたわたしにはハードルの高い課題だ。正直、今から頭が痛い。
「大変なことも含めての結婚で、優雅で甘い生活じゃないことはわかっていますし、とっくに覚悟はできてます」
わたしは強い口調できっぱりと言った。航への想いは誰にも負けないことを、雫さんにちゃんと知ってほしかった。
雫さんはじっと黙ってわたしの話を聞いてくれた。けれど、わたしの想いは伝わらなかったようだった。
「言いたいことはわかった。でもあなたがそうであるように、わたしにだって譲れない想いがあるの。航くんのことはあきらめないから」
雫さんはそう言いきると席を立った。テーブルにお金を置くと、「それじゃあ」と去っていく。
わたしは敗北感に包まれながら、雫さんの背中を見つめることしかできなかった。
負けたと思う自分に嫌悪感を覚える。やっぱりわたしは身勝手な人間だ。
雫さんの連絡先を知らなかったわたしは、迷った挙句、智花に相談した。智花に間に入ってもらい、雫さんと連絡先を交換したわたしが会いたい旨を告げると、雫さんはすんなりと了承してくれたのだ。
航には言えなかった。余計な心配をかけたくなかった。
別に雫さんとやり合おうというわけではない。謝ってもらいたいわけでもない。ただ会って話をしないといけないと思ったから。そうしないと……とそこまで考えて、随分と自分本位だなと少し焦った。
わたしは自分がすっきりしたいために、雫さんに会いに行くのだ。間違いなく、わたしは彼女を傷つける。それをわかって行動しようとしている。
歓楽街として有名な街にある駅を出て、指定されたカフェに向かった。そのカフェは大通りに面した雑居ビルの地下一階にあって、すぐに見つけることができた。
「お待たせしてごめんなさい」
「いいえ、わたしもさっき来たところだから」
先に到着していた雫さんはアイスコーヒーを頼んでおり、わたしはあたたかい紅茶をオーダーした。
店内はシックな内装に間接照明という落ち着いた雰囲気。女性のお客さんが多く、ほっとできる空間だった。
だけどわたしは雫さんを目の前にして緊張し、どう切り出そうかと考えあぐねていた。ふたりの間に沈黙が続き、気まずくて仕方がない。
「わたしに話があるというのは、航くんのことだよね?」
先に言葉を発したのは雫さんだった。ウェイターがわたしの分の紅茶を運んできた直後のことだった。
それから雫さんはアイスコーヒーをひと口飲む。
わたしは、「はい」と頷くも、やっぱりなにも言えなくて、年上なのになにをやっているのだろうと泣きたい気分だった。
「言いたいことがあるならはっきり言ってよ。航くんから全部聞いたんだよね?」
「……ええ」
「それで、もう航くんには近づくなって、そう言いたいんでしょう?」
「いいえ、そういうわけでは──」
「航くんの話を信じたの? わたしの言ったことは嘘じゃないよ。わたし、航くんとエッチしたから」
わたしの言葉をさえぎって、雫さんが言い放つ。
人からストレートに敵意を向けられるのは精神的にきつい。怖いと思った。
でも人を好きになるとはこういうことなのだと思う。傲慢に人を傷つけても手に入れたいと思ってしまう。
わたしもそうだから……。
まるで自分を見ているようだった。
「わたしは航のことを信じてます」
「そんなこと言って、単に航くんの家の財産が目的なんじゃないの?」
「違います! お金のことなんて考えたこともありません」
「純粋ぶっちゃって。でも航くんを想う気持ちは、あなたよりわたしのほうが大きいから。わたしは八年間、ずっと好きだったの。あなたが航くんに出会う前から」
雫さんは興奮することなく、セリフを読みあげるように淡々と言う。
その様子は凍えそうなほど冷たい。でもかすかに唇は震えていて、隠しきれない深い悲しみが滲み出ていた。
もしかして雫さんは……。
かわいそうなくらいの虚勢が逆に痛々しかった。
「たしかに八年間という月日はわたしよりも長いです。実際、航にとって雫さんは特別な位置にいる女性だと思います。だから不安で仕方ありませんでした。航がこんなにも気を許す女性に会うのは初めてだったので」
わたしは完全におごっていた。わたしは、航にとって最強の存在だと。それで安心しきって、愛されて当然、優先されてあたり前と思っていた。
だから不安になったのだ。わたし以外に“特別”がいたんだって。
わたしへのそれとは違うものだけれど、たしかに雫さんは航が大切にしてきた女の子で、それを彼女も自覚しているからこそ、八年間も航を想い続けてこられたのだ。
「早く大人になりたかった。どんなに想っても大事にされても、中学生のわたしは子どもとしてしか見てもらえなかったから。そこにあなたが現れた。ずるいよ、急に現れて航くんを奪うなんて。結婚なんて絶対に許さない!」
「ずるいと言われようと、わたしは航を雫さんには渡しません。雫さんを悲しませて泣かせるってわかっていても、それでもわたしは航と結婚したいんです」
「あなたが現れなかったら、航くんはわたしのことを好きになってた。きっとそうに違いないの」
「そう……なのかな? でも、たとえそうだとしても大事なのは今だから……。わたしは今いるこの道を信じて、航と歩いていきたいの」
「大変な道なのにいいの?」
「ええ、いばらの道でも前に進むだけです。安易な気持ちで結婚を決めたんじゃありませんから」
航との結婚にただ浮かれていたわけではない。現実的な問題を真っ先に考えた。
航の家柄や仕事のことを考えて、そうすべき時期が来たら仕事を辞めることも念頭にある。彼のサポートにつくつもり。そのために、これから様々な勉強をしていこうと思っている。
たとえば海外だと夫婦同伴のパーティーも多く、航のお母様もよく同伴されている。航は、お父様の教育方針で英語はもちろんフランス語も堪能。一方わたしはまるっきりだめ。だけど海外でのパーティーとなると最低限、英語を話せないとだめだし、パーティーマナーも学ばないとならない。
会社経営のことだってそう。組織や会社の仕組みについては、一般企業に勤めたことがなく、母校で好きな仕事だけをしてきたわたしにはハードルの高い課題だ。正直、今から頭が痛い。
「大変なことも含めての結婚で、優雅で甘い生活じゃないことはわかっていますし、とっくに覚悟はできてます」
わたしは強い口調できっぱりと言った。航への想いは誰にも負けないことを、雫さんにちゃんと知ってほしかった。
雫さんはじっと黙ってわたしの話を聞いてくれた。けれど、わたしの想いは伝わらなかったようだった。
「言いたいことはわかった。でもあなたがそうであるように、わたしにだって譲れない想いがあるの。航くんのことはあきらめないから」
雫さんはそう言いきると席を立った。テーブルにお金を置くと、「それじゃあ」と去っていく。
わたしは敗北感に包まれながら、雫さんの背中を見つめることしかできなかった。
負けたと思う自分に嫌悪感を覚える。やっぱりわたしは身勝手な人間だ。
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