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10.届かぬ想いの行方
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「あっ、航? うん、今チェックインして部屋にいるよ。すごく素敵な部屋だね。ありがとう、航」
その週の金曜日。わたしは北関東のリゾート地に来ていた。この日は午後から大学を早退し、新幹線と電車、そしてタクシーを乗り継ぎ、夕方五時にはホテルにチェックインできた。
ホテルはもちろん深見グループの高級リゾートホテル。航が予約を入れてくれた部屋だ。その航はまだ仕事中。午後九時には終われそうということだった。
「わたしのことなら気にしないで。仕事関係の人やお世話になっている人たちもいるんだし、ちゃんと自分の仕事に集中して」
航は自分の受け持っているプロジェクトの仕事のためにこのリゾート地に来ている。今日は仕事だが、明日とあさっては休みが取れるということで、週末はここで一緒に過ごそうと誘ってくれた。
「じゃあ、待ってる。仕事、がんばってね」
少し遅めになるけれど夕飯はふたりで食べようということになり、早々に電話を切った。
それからテレビをつけて適当にリモコンを操作する。夕方の情報番組をやっていたのでなんとなく見ていると、「深見地所」のテロップが出てきて思わずテレビに近づいて食い入るように見た。
「すごい、さすが深見地所。あっ、航だ!」
テレビに映し出されていたのはステンドグラス美術館のレセプション。テープカットのシーンで画面の端のほうに一瞬だけだったが航の姿も映っていた。レセプションは午前十時からと航が言っていたので、だいぶ時間がさかのぼる。夕方の今の時間はパーティーのはずだ。
ステンドグラス美術館はこのホテルから車で十分ほどのところにある。正式オープンは明日。今日はプレオープンというもので、招待客や関係者、マスコミしか入れないそうだ。
「これが航の携わった仕事かあ」
森のなかに佇む大きくて華やかな洋館は十九世紀にイギリスで建築された赤レンガを使った建造物をイメージしてデザインされたものだそうだ。
間近で見るとさらに素敵に違いない。航に明日連れていってもらう予定なので楽しみでしょうがない。
午後八時半。仕事が終わり、航が部屋に帰ってきた。
「早かったね。仕事終わりが九時頃って言ってたから、十時は過ぎるのを覚悟してたのに」
「迷惑だったか? 俺が予定より早く帰ってきたから」
航がわたしの腰に手をまわしてきた。
「そんなわけないでしょう。早く会いたかった」
「よかった。俺も会いたくてたまらなかった」
ささやき声がこの胸をドキドキさせる。何年経っても何度抱かれても、それは変わらない。
「俺が戻るまで退屈じゃなかった?」
「ホテルにある温泉に入って、航がすすめてくれたリラクゼーションのお店に行ってみたの。ボディケアコースをお願いしたら、もう全身すっきり」
「だろう? 俺はフットケアしか試してないけど、かなり評判いいんだよ」
「航も全身やってもらえばよかったのに。明日にでも行ってみたら?」
「そうしてみるかな。今日は疲れた」
航が甘えるように軽く寄りかかってきた。
「夕方の情報番組でレセプションのことが取りあげられてたよ。すごいね、全国に放送されてた。一瞬だけど航も映ってた。格好よかったよ」
「格好いい? 本当かよ? だいたい一瞬なのによく俺だってわかったな」
「わたしにはわかるの。うしろ姿だったとしても気づいたと思うよ」
航の手のひらがブラウス越しに背中をかけあがってくる。やさしい手つきなのに妙にゾクゾクする。
「ベッド行く?」
「なんでわざわざ聞くの?」
「お腹空いてないかなと思って。空いてたとしても辛抱してもらうけどな。あとでルームサービスを頼むよ」
スイートルームなのでベッドルームはこの部屋の隣にある。航はわたしの手を取ると、ゆっくりと歩き出した。
きっと今夜は幸せに満ちあふれた時間を過ごせるはず。あの日、雫さんとふたりで会ってからというもの、気が滅入る毎日だった。電話で航の声を聞いてもどこか不安で、いつも以上にさみしかった。
「やっと美織を抱ける」
わたしをベッドに横たわらせ、背広を脱ぎ捨てた航の手のひらがわたしの頬を撫でた。
「あれはひどい風邪だったね」
「でも美織が看病してくれたから、すぐによくなった。結婚したら毎回看病してもらえるんだよな」
「もちろん」
「俺だけのために、俺だけの特権……。美織は俺だけのもの」
航の身体の重みを感じる。唇が首もとをさまよい、鎖骨付近の肌を強く吸った。
「あの、航……」
「大丈夫だよ、痕はついてない」
「そうじゃなくて……。つけてほしいの、キスマーク」
だけど航はキスマークをつけることなく、わたしの上から退いた。
「航?」
「やっぱり変だぞ。なにかあったのか?」
わたしの身体を起こし、まっすぐ目を見つめてくるので少し焦った。
「……な、なにもないよ」
「嘘つくなよ。俺が気づいてないと思ってるのか? ここのところ、電話の声がやたら元気だから逆におかしいなと思ってたんだ。最初は仕事が忙しくて疲れてるのかと思ってたけど、そうじゃないよな?」
航にはバレていたんだ。勘がいい航だから落ち込んでいることを悟られないようにしていたつもりだったのに、それがかえって怪しまれる要因になってしまっていた。
「まだ雫と俺の関係が不安? もしそうならあれは誤解で、俺は絶対に美織を裏切ってないよ」
「わかってる。大丈夫だよ、雫さんとのことは疑ってないから」
「じゃあ、なんで?」
そのとき、脱ぎ捨てた航の背広からスマホの着信音が聞こえてきた。航が「ごめん」と背広のポケットをあさる。
誰かからの呼び出しなのかな。今日は航の仕事関係の人だけでなく、深見一族の何人かもこのホテルに宿泊している。接待や仕事の打ち合わせ、はたまた緊急事態が発生したのかもしれない。
その週の金曜日。わたしは北関東のリゾート地に来ていた。この日は午後から大学を早退し、新幹線と電車、そしてタクシーを乗り継ぎ、夕方五時にはホテルにチェックインできた。
ホテルはもちろん深見グループの高級リゾートホテル。航が予約を入れてくれた部屋だ。その航はまだ仕事中。午後九時には終われそうということだった。
「わたしのことなら気にしないで。仕事関係の人やお世話になっている人たちもいるんだし、ちゃんと自分の仕事に集中して」
航は自分の受け持っているプロジェクトの仕事のためにこのリゾート地に来ている。今日は仕事だが、明日とあさっては休みが取れるということで、週末はここで一緒に過ごそうと誘ってくれた。
「じゃあ、待ってる。仕事、がんばってね」
少し遅めになるけれど夕飯はふたりで食べようということになり、早々に電話を切った。
それからテレビをつけて適当にリモコンを操作する。夕方の情報番組をやっていたのでなんとなく見ていると、「深見地所」のテロップが出てきて思わずテレビに近づいて食い入るように見た。
「すごい、さすが深見地所。あっ、航だ!」
テレビに映し出されていたのはステンドグラス美術館のレセプション。テープカットのシーンで画面の端のほうに一瞬だけだったが航の姿も映っていた。レセプションは午前十時からと航が言っていたので、だいぶ時間がさかのぼる。夕方の今の時間はパーティーのはずだ。
ステンドグラス美術館はこのホテルから車で十分ほどのところにある。正式オープンは明日。今日はプレオープンというもので、招待客や関係者、マスコミしか入れないそうだ。
「これが航の携わった仕事かあ」
森のなかに佇む大きくて華やかな洋館は十九世紀にイギリスで建築された赤レンガを使った建造物をイメージしてデザインされたものだそうだ。
間近で見るとさらに素敵に違いない。航に明日連れていってもらう予定なので楽しみでしょうがない。
午後八時半。仕事が終わり、航が部屋に帰ってきた。
「早かったね。仕事終わりが九時頃って言ってたから、十時は過ぎるのを覚悟してたのに」
「迷惑だったか? 俺が予定より早く帰ってきたから」
航がわたしの腰に手をまわしてきた。
「そんなわけないでしょう。早く会いたかった」
「よかった。俺も会いたくてたまらなかった」
ささやき声がこの胸をドキドキさせる。何年経っても何度抱かれても、それは変わらない。
「俺が戻るまで退屈じゃなかった?」
「ホテルにある温泉に入って、航がすすめてくれたリラクゼーションのお店に行ってみたの。ボディケアコースをお願いしたら、もう全身すっきり」
「だろう? 俺はフットケアしか試してないけど、かなり評判いいんだよ」
「航も全身やってもらえばよかったのに。明日にでも行ってみたら?」
「そうしてみるかな。今日は疲れた」
航が甘えるように軽く寄りかかってきた。
「夕方の情報番組でレセプションのことが取りあげられてたよ。すごいね、全国に放送されてた。一瞬だけど航も映ってた。格好よかったよ」
「格好いい? 本当かよ? だいたい一瞬なのによく俺だってわかったな」
「わたしにはわかるの。うしろ姿だったとしても気づいたと思うよ」
航の手のひらがブラウス越しに背中をかけあがってくる。やさしい手つきなのに妙にゾクゾクする。
「ベッド行く?」
「なんでわざわざ聞くの?」
「お腹空いてないかなと思って。空いてたとしても辛抱してもらうけどな。あとでルームサービスを頼むよ」
スイートルームなのでベッドルームはこの部屋の隣にある。航はわたしの手を取ると、ゆっくりと歩き出した。
きっと今夜は幸せに満ちあふれた時間を過ごせるはず。あの日、雫さんとふたりで会ってからというもの、気が滅入る毎日だった。電話で航の声を聞いてもどこか不安で、いつも以上にさみしかった。
「やっと美織を抱ける」
わたしをベッドに横たわらせ、背広を脱ぎ捨てた航の手のひらがわたしの頬を撫でた。
「あれはひどい風邪だったね」
「でも美織が看病してくれたから、すぐによくなった。結婚したら毎回看病してもらえるんだよな」
「もちろん」
「俺だけのために、俺だけの特権……。美織は俺だけのもの」
航の身体の重みを感じる。唇が首もとをさまよい、鎖骨付近の肌を強く吸った。
「あの、航……」
「大丈夫だよ、痕はついてない」
「そうじゃなくて……。つけてほしいの、キスマーク」
だけど航はキスマークをつけることなく、わたしの上から退いた。
「航?」
「やっぱり変だぞ。なにかあったのか?」
わたしの身体を起こし、まっすぐ目を見つめてくるので少し焦った。
「……な、なにもないよ」
「嘘つくなよ。俺が気づいてないと思ってるのか? ここのところ、電話の声がやたら元気だから逆におかしいなと思ってたんだ。最初は仕事が忙しくて疲れてるのかと思ってたけど、そうじゃないよな?」
航にはバレていたんだ。勘がいい航だから落ち込んでいることを悟られないようにしていたつもりだったのに、それがかえって怪しまれる要因になってしまっていた。
「まだ雫と俺の関係が不安? もしそうならあれは誤解で、俺は絶対に美織を裏切ってないよ」
「わかってる。大丈夫だよ、雫さんとのことは疑ってないから」
「じゃあ、なんで?」
そのとき、脱ぎ捨てた航の背広からスマホの着信音が聞こえてきた。航が「ごめん」と背広のポケットをあさる。
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