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第12話 決意 (リュート視点)
しおりを挟む彼女の澄んだ空のような色の瞳が好きだった。
やっとそんな彼女のその瞳の中に自分が映れている事実に感動していたのはつい最近の事だったのに。
その瞳が……今は暗い影を落とし、何も映していない。
目の前にいる私を見ているはずなのに、私の姿も映していない。
「ティアナ……これは」
「今のティアナは、話もしないし、泣きも笑いもしません。時々、こうした呼び掛けには反応を示しますが、それだけです。応える事はありません。まるで感情というものを失くした人形のような状態なのです」
子爵が部屋に入ってきてそう説明した。
「……いつからだ?」
私は怒りで暴れ出したい気持ちを抑えて子爵に問いかける。
「…………コンローリ伯爵との結婚が決まった日からです」
子爵は目を伏せながら答える。
「その日にコンローリ伯爵に何かされたのか?」
今にも子爵を殴ってやりたい気持ちだったが、そこは抑えて努めて冷静に問いかける。
「いえ。その日は顔合わせと話をしただけです。が、ティアナはショックを受けたのかその場で倒れました」
「何だと!? 怪我は!? ……もちろん医師には見せたんだろうな?」
「怪我は……倒れた際に身体を軽く打ちつけた程度です。医師も安静にしてれば問題無い……と」
さすがに今回ばかりは医師を呼んだのか……
義母の暴力の時は絶対に呼んでなかっただろうに。
意識が無かったからさすがに焦ったのだろうな。そんな所にも怒りが湧いてくる。
「ティアナはそのまま屋敷に連れ帰りました。そして、目を覚ました時にはすでにこの状態でした」
「……その後、コンローリ伯爵とはどうなってるんだ? すぐに結婚する予定だった……と耳にしたが?」
不思議だった。
リーバスのあの口振りではもう間に合わないとしか思えなかった。
だが、ティアナは明らかに心を壊してしまっているが、未だに子爵家にいる。
子爵や伯爵の様子からいってそんな状態であっても無理やり嫁がせていてもおかしくないのに。
「ティアナが目覚めた後、コンローリ伯爵に連絡を取りましたが、“泣きも笑いもしない人形のような令嬢はつまらないから、存分に楽しめるようになってからがいい”と返事を貰いました。ですから、その日以降ティアナと伯爵は顔を合わせてはおりません」
「……」
どうやら伯爵に何かされたわけではないようだ。その事に少し安堵する。
だが、伯爵に対してもフツフツと怒りが湧いてくる。
皮肉にもティアナがこの状態に陥った事で結婚は延期となったらしい。
だが、彼女の心が壊れてしまっている事に変わりはない。
そして、その原因の1つが自分だ。
時間がなかったとは言え、自分が出向いてちゃんと説明しなかったから。
リーバスを信頼して任せてしまったから。
「ティアナ、ティアナ……!」
私はティアナの足元にすがりつく。
涙がどんどん溢れてきた。
みっともない姿だと分かっていたけれど、止まらなかった。
足元で泣き崩れている私の頭に、何かがそっと触れた。
「?」
驚いて顔をあげると、ティアナの手だった。
私の頭をそっと撫でている。まるで泣いている私を慰めるかのように。
瞳の中に光は感じないし、表情は何一つ変わらないけど、私の頭を撫でるティアナの手は温かくて、私はますます涙が溢れて零れ落ちていく。
「ティアナ……!」
なおも泣き崩れる私を子爵はずっと黙って見ていた。
◇◇◇
「……最初は何の冗談かと思っていましたが、マテリアル公爵、あなたは本当にティアナの事を好いてくれて求婚していたんですね」
応接間に戻りお互い腰を落ち着けた後、子爵がポツリと小さな声で呟いた。
「他に何の理由があるんだ」
ティアナ自身も勘違いしていたが、私はティアナの事が好きだったから求婚した。
恋愛結婚したいのは事実だ。
そして、私が望むその相手はティアナなのだ。
今は勘違いでもいい。婚約に頷いてくれるなら……
いつか、ティアナも私の事を好きになって受け入れてくれたその時は……なんて思っていた。
そんな甘い考えがいけなかったのか? いけなかったんだろう。
ティアナが、ユレグナー子爵家で良い扱いを受けていないだろうという事は、予想出来ていた。
求婚を受け入れてもらった後、体調不良だと言われて会えなかったのも、本当は違う理由じゃないかとは疑っていた。
でも、まさか暴力までは無いだろう……そう思っていたのだが。
だが、見舞いと称してやっと会えた時にその考えが甘かったのだと愕然とした。
あの時の彼女の頬はまだ少し腫れていたし、抱き締めた時に痛がったのは身体に傷があるのだと分かった。
手紙の話をした時の反応から、彼女は手紙の存在を知らないのだと悟った。
おそらく、義母に握り潰されたのだと思われる。
夜会のドレスを贈る話をした時に怯えたのも、子爵家に送ると義母や義妹にダメにされると感じたからだろう。だから、我が家で支度するように言った。
帰り際、義母に聞こえるようにさり気なく「まさかとは思うが、私の婚約者にかすり傷一つでもつくような事があったら、子爵家は責任追及されて最悪取り潰しになるかもな」みたいな事をさり気なく匂わせてみた。
二度と暴力をふるわせないために。
義母はその言葉を聞き取ったのか顔を真っ青にしていたので効き目はありそうだった。
公爵家での勉強を申し出たのも、少しでもユレグナー子爵家から引き離す口実だった。
そしてティアナの様子からおそらく食事も充分に与えられていない事も分かったから、屋敷に到着すれば軽食を出すようにしたし、夕食も食べてから帰らせるようにした。
本当は、求婚を受け入れてもらった後すぐに公爵家に攫ってしまいたかった。
脅しが聞いたのか、あれ以来、暴力はないようだが、他にも何をされるか分からないあんな家に帰したいはずが無い。
しかし、婚約者の立場ではまだそれが許されない。
それは、公爵家という権力を持ってしても許される事では無かった。
正式な結婚前に同居させるには、正当な理由と手続きが必要だ。
もちろん、虐待を受けているティアナを匿う事は正当な理由にあたる。
だが、それを理由とするには確固たる証拠が必要だった。
あくまで子爵家内での出来事。
ティアナの受けてる仕打ちを立証出来る人間は子爵家の使用人くらいしかいない。だが、彼らは当主に逆らってまで証人にはなってくれない。
無理やり攫ってしまうと今のこの国の法律では、元の家族が訴え出た場合はこちらが負ける。
……万が一、そんな事態になった際に、ティアナが誹謗中傷を受けるのだけは避けたかった。
だからこそ、勘違いしたままでもいいからティアナと早く結婚し、温かな場所へと連れて行きたかった。
──なのに。
子爵家が訴えを起こすかどうかは分からなかったが、こんな事なら脅してでも何でも攫ってしまえばよかった。
「……ティアナ」
今回の事で、嫌われてしまったかもしれない。
憎まれているかもしれない。
それでも、私は君を手放せない……
「……ユレグナー子爵」
「何でしょうか?」
子爵は怪訝そうな顔をあげて聞き返してくる。
「私は、ティアナとの婚約を解消する気はない。今も彼女は私の婚約者だ」
「何を……?」
「勉強の中断はこちらの手違いで起きた。私に婚約を解消する意図は全く無い!」
「なっ!」
「だから、まず……ティアナのコンローリ伯爵との結婚を取りやめていただきたい」
「そ、それは!」
子爵は、あからさまに狼狽えている。
この結婚で金が動いているのかもしれない。
「コンローリ伯爵のしてきた事を、罪として立証出来るよう仕向けても良いんだが?」
「っっ!!」
「その時に貴殿は……どうなるかな?」
私が意地悪く含ませて尋ねると、子爵はあっさり陥落した。
「わ、分かりました……コンローリ伯爵と話をします」
「それともう1つ」
「……っ」
今度は何だ? という目をしてくる。
「ティアナを我が家に引き取らせて貰う」
「は?」
「本来、婚約者の身で許される話では無いが……もう彼女をこれ以上この家には置いて置けない。……意味は分かるな?」
ビクッと子爵の肩が震えた。
自分達がティアナに対して行っている仕打ちの自覚はあるのだろう。
世間には私も含め色々言われるだろうが、そんな事はどうでもいい。もう我慢ならない。
出来ればティアナが晒し者のようになる事だけは避けたかったが、命より大事な物なんて無い!
「そ、それは…………」
「貴殿は反対出来る立場か? 実の娘にこんな仕打ちをしておいて?」
私は冷ややかな目でそう告げた。
「ひぃぃ!」
小さく叫ぶ子爵の顔色はとても悪かった。あともう一息だ。
「了承、してもらえるな?」
「わ、わ、分かりましたぁーー……」
「もう二度とこの家に帰さないから、そのつもりでいろ!」
「は、はい……」
子爵には罰を受けさせる。絶対に許さない。
兄上にも当然報告する。
義母や義妹にも当然だが処分を与えるようにしなければ。
子爵にはあぁ言ったが。コンローリ伯爵もこのままになんてしておかない。
顔合わせの日に、あのジジイは絶対にティアナを傷付けるような事を言ったはずだ。
今まで犯した罪に更に上乗せして罰を与えてやらねばならない。
そして、あの噂。
出処は間違いなく義妹だろう。
ユレグナー子爵家の処分。すぐに行いたいが今はまだ証拠が足りない。
そして何より……今は一刻も早くティアナの心を救う事の方が大事だ。
壊れてしまったであろう心を……
また、あの笑顔を見せて欲しい。
可愛い声で名前を呼んで欲しい。
今度はちゃんと伝えるから。
私が君をどれだけ好きか伝えるから。
心も身体もたくさん傷つけられてきた君を今度こそ守らせて欲しい。
「ティアナ……」
自然と愛しい彼女の名前をが口からこぼれた。
……公爵家にも、リーバスのように噂を真に受けて、ティアナに対して不信感を抱いている者が他にもいるはずだ。
ティアナを迎えるのに、その者達にまたティアナを傷つけられるなんて冗談じゃない。
「まずは、公爵家の身辺整理だな……」
私はそう呟きながら、これからすべき事を頭の中でまとめていった。
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