小さな恋とシロツメクサ

能登原あめ

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「手間をかけてごめんなさい。本当はさっきやればよかったんだけど……」

 部屋に入って、オーブリーに向き直って頭を下げた。
 言い訳する自分に情けなくなる。
 オーブリーを見上げると髪が濡れていたから、思わず手を伸ばした。

「シャワー浴びちゃった?」
「……そう。いつ湯が出るかと思いながら浴びたけど、やっぱり温かい湯に浸かりたくてね」

 私がバランスを崩さないように少し屈んで背中を支えてくれる。
 私も少し背が伸びたけど、オーブリーも多分伸びたみたい。
 今だって私の背丈は彼の三分の二程度しかない。
 それから、少年ぽさが抜けたし、筋肉がついてすごくがっしりしたと思う。
 なんだか、色気がある。
 温かくて大きな手にほんの少し緊張して、早口でまくし立てた。

「じゃあ、お湯を張るところまでお任せください! それから温かいもの、飲む? 持ってくるよ?」
「うん、任せるよ。飲み物は、エラが昔よく飲んでたあの甘いジンジャーティがいいな」
「……あんなの、私もしばらく飲んでないよ? 本当に?」
「あぁ」
「……本当に?」
「飲みたい」

 何度か同じやりとりをしてから私はようやく頷いた。
 昔、私とデーヴィドが寒い朝に好んで飲んでいて、興味津々のオーブリーに初めて出した時は、甘さに驚いてむせた。

 だけど、くせになると言って時々私につき合った。
 ミアには甘すぎて気持ち悪いと言われたけれど、楽しい思い出の一つかも。

「じゃあ、お湯を張る間に飲めるようにするね」

 オーブリーがふいに私の頬に触れて、その場に漂う親密な雰囲気に戸惑った。
 だからそっと後ろに下がって浴室へ行って手早く準備する。

 この宿屋には昔々お偉い方が泊まったことがあるそうで、タンク式の湯沸かし器を取りつけてあった。

 特別室は優先的に使えるようにはしてあるのだけど、利用率が低いから元栓を閉めていることが多い。
 基本的に他のお客様には、近くの公衆浴場を勧めている。

 部屋で風呂に入る場合、別料金を頂いているから。
 そんな湯沸かし器の元栓を開け、蛇口をひねった。

「いっぱいになるまでしばらくかかるから、飲み物持ってくるね」

 オーブリーに声をかけて私は部屋を出た。







「さっきのってさ……もしかして、オーブリーさん?」
「そうなの、偶然だよね。……この後、飲み物届けに行くの。デーヴィドも飲みたい?」

 刻んだ生姜と茶葉を煮立てて、たっぷりの蜂蜜を加えて混ぜる。

「それ? 懐かしいね。次は俺にも作って」
「デーヴィドも? こんなの、大きな大人が飲みたがるなんてね、ふふっ……」

 デーヴィドは面白くなさそうに肩をすくめた。

「俺にとっては姉ちゃんの思い出の味だからね」

 茶葉を濾しながらカップに注ぎ、余った分をデーヴィドに渡す。
 これは味見だから次はたっぷり作るね、と言って。
 オーブリーにとっても思い出の味なのかな。






「お待たせしました」

 ドアをノックしてから返事を待って開ける。
 窓枠に腰かけたオーブリーがこちらを振り向いて、にっこり笑った。
 
 
 懐かしい。
 幼い頃、遠くから見ていた彼の面影を感じてぼんやりとした。

「エラ? とりあえず、入ってこいよ」
「あ、ごめんなさい。これ、温かいうちにどうぞ」

 テーブルに置くと、彼はゆっくりと目の前の椅子に腰かけた。

「一杯飲む間つき合ってよ」
「そうしたいけど、そろそろお客様がやってくるから戻らないと」

 私が入れた紅茶を一口含む。

「……ん、懐かしい。あの頃はよかったな」
「そう、だね……よかったの、かな.…」

 手の届かないあなたを見つめる日々で。
 居心地のよくない家の中で、幼いながら必死に居場所を作ろうと過ごした。

 森の中に一人でいた時だけほっとしたし、そこでわずかでもオーブリーと過ごせたことはいい思い出かも。
 オーブリーにとっては子どもが生まれるまでは幸せだったのかな、きっと。
 
「俺はエラと過ごした時間は、宝ものだと思ってるよ」

 オーブリーがどう言う意味で言っているのか、首を傾げて見つめてしまう。
 瞳の奥の感情が読めない。
 私が答える前に小さく笑って頭を撫でた。

「……随分、難しく考えるようになったんだな。昔なら飛び込んできたのに」
「一応、大人になったから……」
「そうだな、さびしくもあるな」

 今も妹扱いなんだなと、がっかりした自分に愕然とした。
 心の奥底で期待していた?
 あの当時の気持ちが蘇って、胸が痛い。
 こうして再び会って、私の心は簡単に彼になびいてしまう。

 彼は結婚はしてないと言ったけど、恋人がいないとは言ってない。
 これ以上近づかないほうがいい。
 傷つきたくない。
 
「そろそろ、行くね。何かあれば声をかけてね。……ごゆっくり、お過ごしくださいませ」
「……ありがとう。あとで食事、楽しみにしてる」
「はい、またあとで」

 浴室の準備を終えて、部屋を出る。
 扉を閉めて大きく息を吐いた。

 数日顔を合わせるだけ。
 彼が何しにここに来たのかも知らないし、今どんな生活をしてるかも知らない。
 知らなくていい。
 今ならまだ忘れられる。

 






 二人きりの食事を部屋でとることに、家族みんなが難色を示した。
 私がミアの話も訊きたいからというと渋々頷いてくれたけど、もうあなたも子どもじゃないのよ、と。
 かわりに泊まっている間、一度は親族になったのだから、みんなで食事をする
よう伝えてと言われた。

 


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