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4巻

4-2

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「紹介する。ここの総責任者のオーリエだ」
《おはつにおめにかかります。このしきちないのことは、なんでもごそうだんください》
「「よ、よろしく……」」

 まだ二人はクマの存在に慣れていないようだ。しかし、この『健康ランド』に居るのは、クマだけではない。フィルズがオーリエに指示を出す。

「オーリエ。補助要員の……統括とうかつマネージャーのトラ達を呼んでくれ」
《しょうちしました》

 これを聞いて、フーマとゼセラがフィルズに目を向ける。

「まさか、ここにもあのトラ? が居るのか?」

 フーマが思い浮かべたのは先ほどの白虎のようで、少し不安そうだ。表情からすると、ゼセラも同じように思ったらしい。しかし、これをフィルズは否定する。

「いや、オーリエ達クマと同じタイプだ。会話もできる」
「「は?」」
《おまたせいたしました》

 そうしてやって来たのは、一見するとトラというより、三毛猫のぬいぐるみにしか見えない二体だった。そのトラ達は、クマ同様に可愛らしく、二足歩行する。ほとんどクマの形で模様をトラがらにしただけなので、ネコの方が近いかもしれない。
 トラ達は男女に分かれている。男の方が少し凛々りりしく、一回り大きくなっており、女の方はクマと同程度の大きさで和やかな目をしていた。二体とも歯医者か整体師が着るようなデザインのコートを身に付けており、男の方は紺色、女の方は臙脂色だ。
 オーリエがまずは男の方を紹介する。

《こちらが『カシワ』》
《よろしくお願いします》

 彼らは、はっきりとした発音をする。声も大人のものだ。次に、女の方。

《こちらが『サクラ』です》
《サクラと申します。よろしくお願いします》

 これに、少しの間ポカンと口を開けていたフーマとゼセラがハッとして応える。

「お、おう。よろしくな」
「よろしくね」


 彼らと顔合わせができたので、後はクマやトラ達に任せても良いだろう、とフィルズはうなずいた。

「じゃあ、オーリエ、カシワ、サクラ。二人が落ち着いたら、この屋敷と施設の説明を頼む」
《しょうちしました》


 因みに、カシワとサクラの下には、それぞれの担当部署に同じトラ型のリーダーがおり、更にその下に補助する者を数体用意してある。すぐに職員となれる人材は見つからないと考え、カシワとサクラの他に三十体ほど量産したのだ。これはクラルスも手伝ってくれた。

「フーマ爺、セラ婆、今日は荷物の整理とか、ここの案内とかしてもらってゆっくりしてくれ。隣を見たりしてくれてもいい。明日、母さん達とかも紹介するよ」

 来る時にセイルブロードを見たがっていたことはシンジュから聞いていたので、そこも付け足しておく。クマ同士は通信が可能だ。シンジュが『伝えた』と言ったのは、フィルズの傍のクマに通信した、ということだったのだ。

「おう。楽しみだ」
「分かったわ」

 フーマとゼセラに手を振って、『健康ランド』を出たフィルズは、隣の屋敷に戻った。
 セイルブロードがいつも通り賑わっているのを横目に確認しながら、屋敷に入ると、家令かれいの役割をするクマのホワイトが出迎えた。

《おてがみがとどいてま~す》
「ん? 手紙? えらく豪華ごうかな……っ、王家の紋印もんいん?」

 高貴な者からの手紙だというのが一目で分かる手紙だった。そこには、王家の印があった。

「ファスター王なら、イヤフィスで済ますだろう……これは……」

 イヤフィスとはフィルズが開発した遠話機のことだ。彼は国王ファスターと親交を深めていて、イヤフィスを使って通信し合うことも度々あった。
 手紙の裏面と表面を見比べて差出人名がないことを確認していると、ホワイトがペーパーナイフを差し出す。それを受け取って、歩きながら封を切った。ペーパーナイフをホワイトに返し、手紙を取り出す。

「……これは……そうか、先王夫妻からの……」
《『車椅子』をおくられたのですよね?》

 ファスター王は足を悪くした先王夫妻のために、空中浮遊もできる車椅子をフィルズから買って贈っていた。

「ああ……開発者の俺にその礼が直接したいらしい。数日中にも親父と来るようだ」
《それでは、しっかりおでむかえします!》
「そうだな……親父も一緒だし、公爵邸の方に滞在するだろうが……」

 それでも、手紙はセイスフィア商会長のフィルズ宛だったのだ。こちらにも当然訪問するだろう。それに……と思うことが一つ。

「こっちには今、孫のリュブランやカリュとリサが居るしな」

 この商会では、教会の保護対象である第三王子のリュブランと、社会勉強中の双子の第二王子と第一王女であるカリュエルとリサーナが働いている。祖父母ならば、孫の顔を見たいだろう。
 そこでふと、フィルズは自身の祖父母について気になった。二人ともクラルスに会いに隣国近くまで来ているはずだが、今頃はどこに居るのだろうと思いを巡らす。

「……調べてみるか……」

 小さく呟いて、隠密ウサギに調べさせようと、頭の中にメモを残す。そして、今は目の前の問題をどうにかしようと意識を切り替えた。
 付き添い役の父、すなわち公爵から何か連絡があるはずだと思い、ホワイトに確認を取る。

「親父からの手紙はあるか?」
《しつむしつにおとどけしてありましゅ》
「そうか。それじゃあ、夕方にまたファスター王にも確認するけど、先王夫妻を迎える準備は始めていてくれ」
《しょうちしました~!》

 夕食後、リュブランやカリュエル、リサーナに先王夫妻訪問の件を話し、到着を待つこととなった。

 ◆ ◆ ◆

 翌日、先王夫妻が王都を出発したとの連絡をフィルズが受けた頃。ここでの生活にも慣れて来た第二王子のカリュエルと第一王女のリサーナは、その日が休息日ということもあり、二人で屋敷にある図書室兼自習部屋でとある作業をしていた。
 双子の二人は、十代なかばになっても外見がとてもよく似ている。
 身分を隠すために外に出る時は色を変えているが、二人とも本来は髪が金で、切れ長の瞳の色は透き通るような鮮やかな青だ。顔が小さく、見た目の違いは仕草と身長、髪の長さくらい。身長は僅かな違いだ。カリュエルの方が少しだけ高い。一時はリサーナに負けていたが、この一年でかなり伸びて追い越したらしい。
 とはいえ、リサーナは令嬢れいじょうとしての美しい姿勢や底上げされた靴を履いているため、カリュエルとの身長差はほとんどなくなっていた。
 この商会での二人の装いは王子、王女のものではなく簡素な服装だ。それらはきちんと機能的なデザインをされた物で、動きやすく温度調整もできる。これを二人は気に入っていた。
 特にリサーナは、窮屈きゅうくつなコルセットや重みもなくすそも邪魔にならない今の服に慣れているので、王宮に帰ってドレスを着るのが今から億劫おっくうそうだ。
 二人は、書き物をしたりできる書字台しょじだいのある机に、窓辺に向かって並んで座り、一心不乱に何かを紙に書きつけている。

「ねえ、カリュ。この模様どうかしら」
「ん? ああ……うん。ここでバランスを取ってるんだ? この蔓草つるくさの模様は加護刺繍かごししゅうに通じるものがあるな」
「そうなのっ」
「これは……もしかして、車輪?」
「そうよっ。商人とか向けに、少しかっこいいデザインをと思って」
「うん。これは男性にも女性にも、商人にも良さそうだ」

 リサーナが描いているのは、便箋びんせんの飾り枠だった。

「こっちはどうだ? この書体なんだが……」
「ステキ……絵のようにも見えるけど、きちんと文字としても見えるわっ。美しいわね」

 このセイスフィア商会に滞在するようになり、リサーナは便箋のデザイン、カリュエルはカリグラフィーのような書体を作ることが趣味となった。
 これらは、フィルズが描いていたのを見て、やりたいと思ったのだ。手紙と共に花を一本送ったりすることはあったが、手紙を装飾するという考えはなく、その珍しさに二人はときめいた。
 休息日は、リュブランや騎士達が護衛をして町を案内してくれることもあるが、大抵、ここでこれらを楽しむか、フィルズやクラルスから教えてもらった刺繍やみものをしたり、孤児院に遊びに行ったりして過ごしている。
 二人はこれまでの人生の中で、この日々が一番充実していると実感していた。

「ああ……こんな文字を考えられるなんてな」
「本当に……こんなステキな趣味が出来るなんて……ここに来られて良かったわ」
「そうだな……」

 しみじみと、二人はペンを置いて思う。窓から見えるのは、沢山の店が並ぶセイルブロード。今日もすごい賑わいだ。王都よりも賑わっているのではないかと思っている。それを眺めてから、ふと窓にまったガラスに同時に注目する。

「この窓……外からは見えないんだよな……」
「不思議よね……それに、魔法も物理的な衝撃も弾くって言っていたわよね……」

 このセイスフィア商会の屋敷の窓は、全てこの仕様だ。セイルブロードの店の窓は、中が覗けるようになっているが、防御の術式は同様に仕込んであるため、泥棒や乱闘騒ぎから店を守ってくれる。

「王宮の部屋の窓にも近々採用すると聞いたが、窓辺にこうして居られるのはいいものだな」
「景色をゆっくり堪能できますものね。王宮からの眺めも覚えていますけれど……どうしても体に力が入ってしまいますし……」
「眺めをこんな風に楽しめることなどないしな……」
「ええ……」

 部屋にあるバルコニーには出てはいけないと言われて来たし、窓の所に立つのもあまり良い顔をされなかった。身を守るためだ、仕方がない。幼い頃からそう言われ、叱られた記憶もあるため、この年頃になると、もう習性として窓にはあまり近付かなくなっていた。
 だから、この屋敷に来て、フィルズに心配要らないからと言われた時、とても衝撃だったのだ。
 カリュエルがまた外の様子を見ながら呟く。

「最近、肩の力を抜くというのがどういうことかよく分かる……自分ではそうは思わなかったが、かなり余裕がなかったんだと実感する」
「ええ……そうね……」

 商会に来た最初の頃、よく周りから『もっと肩の力を抜け』とか『笑顔がぎこちない』などと言われた。自覚がなかったことだったため、最初は何を言われても意味が分からなかった。
 だが、本当に心から笑えることや、微笑ましく思えることがあり、そこで気付いた。皆に指摘されていたことを自覚したのだ。
 それらを知ったことで、逆に相手の笑顔のぎこちなさなどが分かるようになった。それが本当の笑みなのか、そうでないのかを理解できるようになったのだ。
 この技術は、クラルスに教わった。笑顔の裏で何かを企んでいる場合、嘘を言った時の場合、誤魔化そうとしている場合など、多くの顔の筋肉の使い方を知り、読み取れるようになったのだ。

「王宮では、笑顔を見せることが当然で、それができていると思っていましたけれど……今なら分かると思いますわ……あの笑顔の裏の顔を」
「ああ。母上……いや、第一王妃の裏の顔が見えるだろうな」
「ええ。私達……だまされていたんだわ」
「っ……そうだ……っ」

 二人がフィルズの元へ来ることになった本当の理由。それは、リュブランの母である第三王妃に会うため。現在この公爵領の教会に預けられている第三王妃が、かつて二人の母――第二王妃を毒殺したと思われていた。
 しかし、殺したのが本当は第一王妃だった可能性が出て来たという知らせを受け、それを確認するために来たのだ。皮肉なことに、二人にとって第一王妃は、幼い自分達を引き取ってくれたもう一人の母であった。
 リサーナは目を伏せて思い出す。

「第三王妃様は確かに思い込みが激しい方でしたわ……ですが、あの方に何かを実行に移す度胸どきょうはありません」
「味方も少なかったしな……」
「ええ。伝手つても少ないですわ」

 二人は、母親が殺されたのだと知ったことをきっかけに、独自の調査ルートを持っていた。それは、母親の生家と繋がりのある者達だ。
 その時は、母となってくれた第一王妃に迷惑を掛けたくなくて、恩を返したくて、思いやりゆえに彼女にも秘密で繋がりを作ったのだが、それは結果的に正解だったようだ。
 カリュエルは、机に両肘りょうひじをつき、組んだ手の上にひたいを当ててため息混じりに吐き出す。

「まさかっ……第一王妃が本当の敵だったなんてな……」
「わたくし達……敵の……お母様を殺した相手に育てられたなんてっ……思えば、お兄様もわたくし達に妹であること、弟であることを事あるごとに強調していました。あれは牽制だったのですね」
「そうだろうな……」

 信じていた異母兄いぼけいと、義母が敵だったと確信し、二人は今までの王宮での生活を思い起こしては、寒気と怒り、迂闊うかつさや自分達へのいきどおりを感じていた。それをグッと自身の中に抑え込みながら、リサーナが絞り出す。

「『王女として、国の最高の女としての振る舞いを心掛けること』……あんなもの、ただの傲慢で、高慢なだけのワガママ女ですわっ……ッ、わたくし、恥ずかしいです」
「私もだ……教えられた『王子らしい振る舞い』など、周りを何も見ていない自分勝手な子どもの振る舞いではないかっ……ッ」

 この地へ来て、人と接することを知り、相手にどう思われるかを理解した二人は、今までの自分達の振る舞いを恥じていた。

「私達は、相手にどう見えるかしか考えていなかった。どう感じるかを考えねばならなかったんだ。真に相手を思いやるとは、相手の立場に自身を置き換えて考えること……礼を言われて嬉しく思うことさえ知らなかった……」
「そうね……ほんの数分、たったそれだけの間しか関わらなくても、物の渡し方、受け取り方一つで印象が違う……こっちにそんな意図がなくても、誤解されて悪く思われる……わたくし達は、もっと理解すべきだったわ」

 接客をすることで、受け渡し方一つ取っても相手を思いやることの大切さと重要性を知った。

「これを、フィルは私達に教えたかったんだな……確かに、出会った頃の私達には、全くそれが分かっていなかった」
「恥ずかしいですわ……っ」

 出会った時の自分達の礼を失した態度を思い出し、顔を赤らめることはこの頃特に多かった。

「メイド達のお茶の出し方でさえ、相手のことを考えたものだった、なんてことも知らなかったのですのよ? 本当に不甲斐ふがいないわ」
「それは私も同じだ。料理のサーブの仕方の理由など、普通は知らないだろう。メイド達も、本当に理解しているかは分からない」
「それはそうですけれど……」

 今挙がったこともここで教わり、理解し、今や二人はメイドや執事としての振る舞いや仕事もかなりできるようになっていた。恐らく、貴族家にメイドとしてまぎれてもバレないだろうレベルだ。

「最初は、危険を回避するための防衛手段だと言われて、そんなこととバカにしましたけれど……今思えば、とても有効な手段ですわ」
「変装の仕方もな……私なんて、完璧かんぺきに女装できるようになった」
「美人でしたわね」
「……お前の男装はカッコよかったよ」

 有事の際に逃げる時、変装できるようにと、クラルスから教わったのだ。お互い別人に見える町人仕様と、メイド仕様、男女逆転仕様を教わった。フィルズが作製した、二人が今身に付けている【装備変換】の指輪には、それらの服も入っている。

「アレは楽しいですわ。そうそう、明後日あさってのダンスレッスンの日は、逆転ダンスの試験でしたわね。ヒールには慣れまして?」

 ここでは、店が閉まってからや、夕方から習い事や勉強会がある。
 夕食までの時間や、夕食後の一、二時間の短い間だが、集中してできるので効率も良かった。歴史の授業は教会のまとめ役である神殿長に、計算や経理などはフィルズかクマのゴルドに、剣は騎士団長のヴィランズ、護身術はクラルスかクマのローズが行っていた。
 その中で、二人にはダンスの授業があり、これはクラルスかフィルズから教わっている。それも、男性役、女性役の両方とも踊れるようにとの指導だ。そのうえ女装、男装の完成度も鍛えられる。
 特に二人はよく似ているため、それぞれに成りすますことも課題の一つだった。

「……ヒールは三センチが限界だった……」
「それならば十分ではありませんか? わたくしもそれくらいですわよ?」
「フィルやクーちゃんママは六センチでも余裕だった……」
「……あれは規格外ですわ……」

 クラルスのことは、リサーナも『クーちゃんママ』と呼んでいるため、そこには言及しない。会話も普通に続く。

「ようやく、わたくしも『武闘ぶとう舞い』を三センチヒールでできるようになったところですし……十分ですわよ」
「そうか……『武闘舞い』は、私はもう少しかかるかな……まさか、ドレスを着て闘うすべがあるとは……」
「本当ですわ。ですが、あれをやれるようになって、何だか自信がつきました。護衛の者の迷惑にならない位置取りなんて、知りませんでしたし」
「それはあるな。私達は、あまりにも無知で、守られることに無防備だった」

 二人は日々発見し、理解し、反省する。そうなれたのも、ここでの生活のお陰だ。
 ふとまた窓の外に目を向ける。そこでは、二人の異母弟であるリュブランが楽しそうにポップコーンを作って売っていた。笑顔は輝き、人々がその周りに集う。

「……リュブランが……あんな風に笑うなんてな……」
「ええ……何より、あの子、剣術も体術もかなりのものでした……教養もですが、あれほど『無能な王子』とさげすまれておりましたのに……」

 そこに、声が掛かった。

「リュブランは、できなかったんじゃなく、やらせてもらえてなかったんだよ」
「っ、フィルっ」
「っ、フィルさんっ」

 後ろから面白そうに声を掛けたのは、フィルズだった。
 ここは共有の図書室兼自習部屋だ。入室許可も必要はない。広く作られており、自習スペースも部屋の中に点在させてある。その周りには、声を抑える魔法陣が仕掛けてあるため、普通に喋っていても、一メートルも離れれば、ささやく程度にしか聞こえなくなる仕様だ。
 それでいてフィルズがなぜ二人の会話を聞き取れたのかといえば、単にフィルズの耳が良いのが理由だ。彼が近付いて来ていたことに二人が気付かなかったというのもある。

「まあ、リュブランの悪い噂も、第一王妃が仕組んでいたみたいだしな」
「そうだったのか……?」
「ああ。周りの貴族達に、そう認識させていったみたいだ」

 フィルズは、本棚にある本の背表紙を確認し、撫でながら、ゆったりと二人の方へと歩み寄って行く。

「実際に、リュブランがまだ剣の稽古けいこを始める前から、才能がないって話が出てたみたいでさ」

 二人に目を向けることなく、目的とする本を見つけると、立ち止まってそれを抜き取る。そのまま本を開いて続けた。

「他もそんな感じ。それがリュブランの耳に入って、暗示がかかったんだろうな。『自分はできない』ってさ。そうなると、本当にできなくなったりするのが人ってものだ」
「……そう……ですわね……」
「そうだな……なぜ気付いてやらなかったのか……」

 納得した二人は、リュブランへの過去の自分達の態度などを思い出し、後悔を口にする。
 一方、フィルズは本を閉じ、奥へと声を掛けた。それは、ここの管理者へだ。

「リド」
《は~い》

 出て来たのは、灰色のクマ。灰色のベストを着て、小さなベレー帽を頭に載せている。そんなクマに、フィルズは持っていた本を差し出す。

「コレとマグナが書いた薬草関連のものを俺の部屋に運んでおいてくれ。後、フーマ爺達から執筆依頼がきてる。原稿と資料を運ばせてるから、優先的に頼む」
《あいっ。まかせて!》

 リドは、本を受け取り、ポテポテとまた奥に戻って行った。奥には、リドの他に二体の執筆担当のクマが居る。リドの弟妹という設定だ。因みに、薬草の情報を書いたマグナというのは、リュブランの仲間の一人で、セイスフィア商会の従業員でもある少年だ。
 リドはこの図書室にある本について、どこに何があるかを管理しており、長く自習する者達に時間を知らせたり、必要となる物を持って来てくれたり、休憩スペースにお茶を用意してくれたりする管理者だ。よって、呼べばすぐに出て来る。だが、リドの弟妹はまず奥の執筆室から出て来ない。
 この世界には、印刷器具がないので、全て手書き。『筆写士ひっしゃし』という職業があり、家を継がない貴族の子息がなる職業の一つ。
 それなりに知識も持っていなくてはならないため、ただ字が上手いというだけでは認められない。試験もあり、これは商業ギルドが行っている。試験とは言うものの、調べる力があれば良いので、辞書のような覚え書きを持ち込んでも構わない。
 更には、家に持ち帰っても良い。提出するまで試験官が張り付くことにはなるが、問いの答えを知っている人を探し、呼ぶことも可。ただし、期限は三日以内。
 とにかく、その問題が解ければ良い。問題は、簡単な計算から各種研究の知識や癖字くせじの解読まで様々だ。それが百問。
 原書は手書きなので、癖字もあって読み辛い。それを万人向けにするとなると、解読力が求められる。いかに手間や時間を惜しまず、正確に本として作り上げられるかが重要だ。
 これで分かるだろう。『筆写士』はとても少ない。これにより、本が普及し辛いのだ。
 もちろん、商業ギルドは、お抱えの『筆写士』を確保している。育ててもいる。それでも、十分に普及させるには無理があった。
 そんな『筆写士』の試験を、リドとその弟妹クマは受け、即日合格を貰っていた。当然だ。全てのクマは繋がっており、知識は全方向から取り込み放題なのだから。
 これにより、多くの本が現在も三体のクマ達によって写されていた。お陰で、この図書室には貴族家が持つ以上の本が集まっている。更には、フィルズやクラルスが書いた物もあるので、王宮よりも情報は豊富かもしれない。


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