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04 溺れる子犬
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転生者だと判明してから、約一カ月が経った。そんな私は、前世の記憶は胸に留めつつも、慣れ親しんだオーロラとしての人生を楽しんでいた。
「これでよしっと……メリッサさん。ここ拭き終わったので、水を汲んできますね!」
「無理してない? 今日も私が行くわよ?」
心配でたまらないというような表情を浮かべ、言葉を返すメリッサさん。そんな彼女に、私は心配ご無用とばかりに胸を張って告げた。
「ばっちり元気なので、今日こそは私に安心して任せてください!」
「本当にいいのかしら……。だって、あなた倒れたのよ?」
「倒れたって……もう一カ月も前の話ですよ?」
そう言葉を返すが、メリッサさんは気遣わしい顔で私を見てくる。
彼女は私が倒れたことを知った日以来、ずっとこの調子なのだ。少しでも力を使う作業があれば、念のためにとすべて引き受けようとする。
だけど、私はそんな心配に及ばないほどすこぶる元気に回復していた。頑丈な身体で良かったとつくづく思う。
強いて言うなら、顔の傷が消えないことだけは心残りだ。しかし、ちょうど前髪で隠せる場所だったため、今のところ大きな支障もない。
幸いなことに、骨折したり脳に障害が残ったりすることもなかった。それだけで、私にとっては万々歳の快調だった。
だから私は、メリッサさんを安心させるための言葉を加えた。
「ふふっ、メリッサさんは心配性ですね。無理な時は、いつも頼ってるじゃないですか」
「それは、そうだけど……。分かったわ。じゃあ今日はあなたに任せる」
「はい! お任せください!」
未だ不安を滲ませるメリッサさんに、私はあえて満面の笑みを見せる。そして近くにあった水桶を手に取り、初めておつかいに行く我が子を見守るようなメリッサさんの視線を背に受けながら、部屋を後にした。
◇◇◇
――水を汲んでもう一回拭いたら、あの応接間の掃除は終わりね。
だいたいの見通しを立てながら、井戸を目指す。それからしばらくし、井戸が目前といったそのとき、ふと視界の右端に白い塊が見えた。
――あれは、何かしら?
その白が妙に気になり、反射的に顔を右側に向ける。そこに広がるのは、王城で一番大きな池。
そして、その池の縁に先ほど捉えたであろう、白い塊の姿を見つけた。
その正体を把握すべく、ジーッと目を凝らして池の縁を見つめてみる。それから間もなく、その白い塊の正体が真っ白な子犬であることに気付いた。
生きた子犬が溺れていたのだ。
――た、助けてあげないとっ……!
あの子犬は、陛下が飽きて野放しにした子だろう。先週、愛玩用にと子犬たちを大量に集めていたから、きっと間違いないはずだ。
仕事放棄とみなされるため本当はいけないと分かりながらも、慌てて池へと駆け寄る。そして、手に持った水桶を使って、溺れる子犬を何とか池から掬い上げた。
「大丈夫?」
池の水が寒かったのだろうか? それとも怯えているのだろうか?
理由は分からないが、救出した子犬は陸地に上がるなりブルブルと震え始めた。
その様子を見ていると、落ち着くまで一緒に居てあげたいと思う。だが、それは出来ない。この場を直ぐに離れなくては、見つかった場合、処罰を下されてしまうのだ。
「ごめんね。すぐに行かないといけないから、あなたのことは乾かせないの。これで少しでも乾かせたら良いんだけど……」
怖がられないよう優しい声音を意識して声をかけながら、腰元に引っ掛けていた清潔なタオルを、子犬を包み込むように被せた。そのとき、ふと子犬の足が赤く染まっていることに気付いた。
「あなた、怪我してるの?」
喋り出すわけもないのだが訊ねると、子犬は肯定するかのようにクゥーンと鳴き声を上げた。
その鳴き声を聞き、私は慌てて制服の下の布地を切り裂いて、止血のためにその布を子犬の傷口に巻き付けた。心許ないが、これが今の私に出来る手当の限界だった。
子犬はというと、手当を終えやるせなそうな表情をしているであろう私の顔を、ウルウルとした紺碧の瞳でジッと見つめてきた。離れがたい気持ちになるような子犬の表情に、思わず罪悪感が込み上げる。
そのときだった。
「オーロラ! 心配したじゃない。何してるの? 早く戻りましょう」
「ごめんなさい! 今すぐ行きます!」
声の方へと振り返り、すかさず謝る。すると、私を探しに来たメリッサさんが、ホッとしたように胸を撫で下ろした。かなり心配させてしまったみたいだ。
「もう行かないとっ……。こんなことしかできなくてごめんね。元気になってね」
我ながら中途半端で酷な優しさだと思いながら、一方的に子犬に別れを告げる。そして、急いで井戸の前に立つメリッサさんに駆け寄った。
「オーロラ、何をしてたの?」
「子犬が池に溺れているのを見かけて、助けてまして……」
「ああ、陛下のね……。じゃあ、その水桶は消毒しないと使えないわね」
そう言うと、メリッサさんは私が手に持つ水桶を一瞥した。恐らく、池の水が付着したから使えないということだろう。
「すみません」
「いいのよ。私も念のために水桶持って来たの! それに、子犬の命を助けるためだったんだから、誰も怒ったりしないわ」
メリッサさんはフッと笑みを零すと、そのまま慣れた手つきで持って来た二つの水桶に井戸水を汲み上げた。そして、両手で持った水桶のうち一方を私に差し出した。
「はい、オーロラ。こっちはあなたが持ってね」
「あ、ありがとうございます」
慌てて受け取り、メリッサさんにお礼を告げる。すると、メリッサさんはうんと頷きを返し、もう一個の水桶を持ち直した。
「さあ、戻りましょうか」
「はい!」
こうして、私たちは掃除中の応接間へと戻った。
その姿を紺碧の瞳がジッと見つめていたことに、私が気付くことは無かった。
「これでよしっと……メリッサさん。ここ拭き終わったので、水を汲んできますね!」
「無理してない? 今日も私が行くわよ?」
心配でたまらないというような表情を浮かべ、言葉を返すメリッサさん。そんな彼女に、私は心配ご無用とばかりに胸を張って告げた。
「ばっちり元気なので、今日こそは私に安心して任せてください!」
「本当にいいのかしら……。だって、あなた倒れたのよ?」
「倒れたって……もう一カ月も前の話ですよ?」
そう言葉を返すが、メリッサさんは気遣わしい顔で私を見てくる。
彼女は私が倒れたことを知った日以来、ずっとこの調子なのだ。少しでも力を使う作業があれば、念のためにとすべて引き受けようとする。
だけど、私はそんな心配に及ばないほどすこぶる元気に回復していた。頑丈な身体で良かったとつくづく思う。
強いて言うなら、顔の傷が消えないことだけは心残りだ。しかし、ちょうど前髪で隠せる場所だったため、今のところ大きな支障もない。
幸いなことに、骨折したり脳に障害が残ったりすることもなかった。それだけで、私にとっては万々歳の快調だった。
だから私は、メリッサさんを安心させるための言葉を加えた。
「ふふっ、メリッサさんは心配性ですね。無理な時は、いつも頼ってるじゃないですか」
「それは、そうだけど……。分かったわ。じゃあ今日はあなたに任せる」
「はい! お任せください!」
未だ不安を滲ませるメリッサさんに、私はあえて満面の笑みを見せる。そして近くにあった水桶を手に取り、初めておつかいに行く我が子を見守るようなメリッサさんの視線を背に受けながら、部屋を後にした。
◇◇◇
――水を汲んでもう一回拭いたら、あの応接間の掃除は終わりね。
だいたいの見通しを立てながら、井戸を目指す。それからしばらくし、井戸が目前といったそのとき、ふと視界の右端に白い塊が見えた。
――あれは、何かしら?
その白が妙に気になり、反射的に顔を右側に向ける。そこに広がるのは、王城で一番大きな池。
そして、その池の縁に先ほど捉えたであろう、白い塊の姿を見つけた。
その正体を把握すべく、ジーッと目を凝らして池の縁を見つめてみる。それから間もなく、その白い塊の正体が真っ白な子犬であることに気付いた。
生きた子犬が溺れていたのだ。
――た、助けてあげないとっ……!
あの子犬は、陛下が飽きて野放しにした子だろう。先週、愛玩用にと子犬たちを大量に集めていたから、きっと間違いないはずだ。
仕事放棄とみなされるため本当はいけないと分かりながらも、慌てて池へと駆け寄る。そして、手に持った水桶を使って、溺れる子犬を何とか池から掬い上げた。
「大丈夫?」
池の水が寒かったのだろうか? それとも怯えているのだろうか?
理由は分からないが、救出した子犬は陸地に上がるなりブルブルと震え始めた。
その様子を見ていると、落ち着くまで一緒に居てあげたいと思う。だが、それは出来ない。この場を直ぐに離れなくては、見つかった場合、処罰を下されてしまうのだ。
「ごめんね。すぐに行かないといけないから、あなたのことは乾かせないの。これで少しでも乾かせたら良いんだけど……」
怖がられないよう優しい声音を意識して声をかけながら、腰元に引っ掛けていた清潔なタオルを、子犬を包み込むように被せた。そのとき、ふと子犬の足が赤く染まっていることに気付いた。
「あなた、怪我してるの?」
喋り出すわけもないのだが訊ねると、子犬は肯定するかのようにクゥーンと鳴き声を上げた。
その鳴き声を聞き、私は慌てて制服の下の布地を切り裂いて、止血のためにその布を子犬の傷口に巻き付けた。心許ないが、これが今の私に出来る手当の限界だった。
子犬はというと、手当を終えやるせなそうな表情をしているであろう私の顔を、ウルウルとした紺碧の瞳でジッと見つめてきた。離れがたい気持ちになるような子犬の表情に、思わず罪悪感が込み上げる。
そのときだった。
「オーロラ! 心配したじゃない。何してるの? 早く戻りましょう」
「ごめんなさい! 今すぐ行きます!」
声の方へと振り返り、すかさず謝る。すると、私を探しに来たメリッサさんが、ホッとしたように胸を撫で下ろした。かなり心配させてしまったみたいだ。
「もう行かないとっ……。こんなことしかできなくてごめんね。元気になってね」
我ながら中途半端で酷な優しさだと思いながら、一方的に子犬に別れを告げる。そして、急いで井戸の前に立つメリッサさんに駆け寄った。
「オーロラ、何をしてたの?」
「子犬が池に溺れているのを見かけて、助けてまして……」
「ああ、陛下のね……。じゃあ、その水桶は消毒しないと使えないわね」
そう言うと、メリッサさんは私が手に持つ水桶を一瞥した。恐らく、池の水が付着したから使えないということだろう。
「すみません」
「いいのよ。私も念のために水桶持って来たの! それに、子犬の命を助けるためだったんだから、誰も怒ったりしないわ」
メリッサさんはフッと笑みを零すと、そのまま慣れた手つきで持って来た二つの水桶に井戸水を汲み上げた。そして、両手で持った水桶のうち一方を私に差し出した。
「はい、オーロラ。こっちはあなたが持ってね」
「あ、ありがとうございます」
慌てて受け取り、メリッサさんにお礼を告げる。すると、メリッサさんはうんと頷きを返し、もう一個の水桶を持ち直した。
「さあ、戻りましょうか」
「はい!」
こうして、私たちは掃除中の応接間へと戻った。
その姿を紺碧の瞳がジッと見つめていたことに、私が気付くことは無かった。
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