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第五十四章
疾風の囁き
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ジョンとマリアは寒さで目を覚ました。太陽光線は深い渓谷の岩山に遮られ辺りは薄っすらと靄が立ち込めていた。
昨日、2人はリオ・グランデ川支流の谷沿いに降り立ち、一昼夜、ひたすら上流へ遡り、夜遅くに此処にキャンプを設営していた。
靄の下には清らかな川が流れ、左側からはカーソンの原生林が迫り出すように生い茂り、右側は川によって作られた自然の彫刻作品である岩壁が様々な形象を表出していた。
マリアは先を急いでいた。
『ビリーは必ず追ってくる。』
ビリーの捜査能力の高さを相棒保安官として知り抜いていたマリアは未だにビリーの影を警戒していた。
ビリーが既に前方で待ち受けているとも知らずに…
テントを撤収し、既に川沿いで水を飲んでいた馬を引き寄せると2人は朝食を摂ることなく出発した。
谷沿いの川原は登れば登るほど狭くなり、地面も砂利から小石に変わって行った。
右側の切り立った渓谷も途中で途切れ途切れとなり、その隙間からはクリスト山脈の高原が見え隠れしていた。
昼前になると川面を白いベールで覆っていた靄が清流に吸い込まれるよう立ち消えて行った。
その時、川上から突風が吹き、ジョンの被っていたデンガロンハットを吹き飛ばした。
「待って。私が取ってくるから!」とマリアが馬から降りると川辺に転がるハットを取りに行った。
すると、突風がジョンにまとわりつくよう吹き荒みながら囁いて来た。
『ジョン、戻るんだ!ジョン、引き返すんだ!』と
ジョンは言った。
『今更、戻ってどうなる。僕は先に進むしかないんだ。』と
突風は吹き止まず、ジョンのハットを川の中に吹き飛ばした。
マリアはブーツのまま川に入り、ハットを拾い上げるとジョンに向かって手を振っていた。
ジョンは此方に戻って来るマリアを見ながら、突風にこう言った。
『僕の邪魔をしないでくれ。』と
突風はマリアが馬の側に近づくとなお一層強く吹き荒んだ。
ジョンはマリアから濡れたハットを貰うと、乾かすことなく被り、風に逆らうよう、馬を先に向かわせた。
ジョンは分かっていた。
『風達は浩子の元に戻れと言っているんだ。
君達の言いたいことは、分かっている。
でも、もう遅いんだ…』
そう思うと、ジョンは腰にしがみ付くマリアの手をそっと握った。
突風は右側の岩壁に打ち当たり泣き声のような風音を上げ始めた。
『ジョン!戻ってくれ!浩子の元に戻ってくれ!』
風達の懸命な叫び声がジョンの心を揺れ動かす。
『戻ってどうなるんだ!僕と一緒に居て幸せになれるのかい?辛いことばかりじゃないか!アメリカまで来て、連れ回され、挙げ句の果ては熊の出るような森の中に付き合わさせられ…、
浩子の本来持つべき幸せな未来を僕が全て台無しにしてしまう…
僕と一緒に居てはいけないんだ!
不幸の塊の僕なんかと…』
風達は尚も訴える。
『浩子はジョンと一緒にいる時が一番幸せなんだ!
どうして分からないの?
ジョンは決めつけてる!
不幸になると決めつけてる!』
ジョンは風達にこう言った。
『不幸になるんではないんだ。僕は不幸になりたいんだよ。僕は疲れたんだ。生きることに疲れたんだ。早く死にたいだけだ。浩子を巻き添いにはできないんだ。』と
一瞬、岩壁を吹き荒む風音が吹き止むや否や、一矢のような疾風がジョンの耳に掠り、囁いた。
『浩子も死にたがってる。浩子も消えたがってる。』と
ジョンは馬を止め、耳に手を当てた。
風はもう何も言わなかった。
「ジョン、どうしたの?何か聞こえるの?」
マリアが後ろからジョンに尋ねた。
ジョンは何でもないと答え、馬を歩かせた。
『確かに聴こえた。『浩子も死にたがってる。』と確かに聴こえた。』
ジョンは心に問い掛けた。
『どうすればいいんだい?僕は一体どうすれば…、』
ジョンは今ある自分を見失い、自分が何を欲し、何を求め、何をしたいのか、何処に行きたいのか、死にたいのか、何もかもが分からなくなった。
その時、谷沿いの岩壁の隙間から太陽が顔を出し、陽光を川面へ降り注ぎ始めた。
青色の川面が抗うように太陽光線を反射し、暫し金色に輝き続けた後、川面は光線を素直に水中へと受け入れた。
すると、太陽光線は川底まで届いて行き、底に堆積した赤土を浮かび上がらせた。
ジョンは馬を止め、呆然と川を見遣った。
川面は瞬く間にカメレオンのように青色から金色、そして赤色へと変化を遂げた。
後ろからマリアが呟いた。
「血の川よ。」と
「血の川?」
マリアは馬から降りると神である太陽へ手を合わせ瞑想をし、そして物語った。
「父が言っていたわ。リオ・グランデ川は『血の川』に変化するって。
この地の歴史がそうさせたと…」
昨日、2人はリオ・グランデ川支流の谷沿いに降り立ち、一昼夜、ひたすら上流へ遡り、夜遅くに此処にキャンプを設営していた。
靄の下には清らかな川が流れ、左側からはカーソンの原生林が迫り出すように生い茂り、右側は川によって作られた自然の彫刻作品である岩壁が様々な形象を表出していた。
マリアは先を急いでいた。
『ビリーは必ず追ってくる。』
ビリーの捜査能力の高さを相棒保安官として知り抜いていたマリアは未だにビリーの影を警戒していた。
ビリーが既に前方で待ち受けているとも知らずに…
テントを撤収し、既に川沿いで水を飲んでいた馬を引き寄せると2人は朝食を摂ることなく出発した。
谷沿いの川原は登れば登るほど狭くなり、地面も砂利から小石に変わって行った。
右側の切り立った渓谷も途中で途切れ途切れとなり、その隙間からはクリスト山脈の高原が見え隠れしていた。
昼前になると川面を白いベールで覆っていた靄が清流に吸い込まれるよう立ち消えて行った。
その時、川上から突風が吹き、ジョンの被っていたデンガロンハットを吹き飛ばした。
「待って。私が取ってくるから!」とマリアが馬から降りると川辺に転がるハットを取りに行った。
すると、突風がジョンにまとわりつくよう吹き荒みながら囁いて来た。
『ジョン、戻るんだ!ジョン、引き返すんだ!』と
ジョンは言った。
『今更、戻ってどうなる。僕は先に進むしかないんだ。』と
突風は吹き止まず、ジョンのハットを川の中に吹き飛ばした。
マリアはブーツのまま川に入り、ハットを拾い上げるとジョンに向かって手を振っていた。
ジョンは此方に戻って来るマリアを見ながら、突風にこう言った。
『僕の邪魔をしないでくれ。』と
突風はマリアが馬の側に近づくとなお一層強く吹き荒んだ。
ジョンはマリアから濡れたハットを貰うと、乾かすことなく被り、風に逆らうよう、馬を先に向かわせた。
ジョンは分かっていた。
『風達は浩子の元に戻れと言っているんだ。
君達の言いたいことは、分かっている。
でも、もう遅いんだ…』
そう思うと、ジョンは腰にしがみ付くマリアの手をそっと握った。
突風は右側の岩壁に打ち当たり泣き声のような風音を上げ始めた。
『ジョン!戻ってくれ!浩子の元に戻ってくれ!』
風達の懸命な叫び声がジョンの心を揺れ動かす。
『戻ってどうなるんだ!僕と一緒に居て幸せになれるのかい?辛いことばかりじゃないか!アメリカまで来て、連れ回され、挙げ句の果ては熊の出るような森の中に付き合わさせられ…、
浩子の本来持つべき幸せな未来を僕が全て台無しにしてしまう…
僕と一緒に居てはいけないんだ!
不幸の塊の僕なんかと…』
風達は尚も訴える。
『浩子はジョンと一緒にいる時が一番幸せなんだ!
どうして分からないの?
ジョンは決めつけてる!
不幸になると決めつけてる!』
ジョンは風達にこう言った。
『不幸になるんではないんだ。僕は不幸になりたいんだよ。僕は疲れたんだ。生きることに疲れたんだ。早く死にたいだけだ。浩子を巻き添いにはできないんだ。』と
一瞬、岩壁を吹き荒む風音が吹き止むや否や、一矢のような疾風がジョンの耳に掠り、囁いた。
『浩子も死にたがってる。浩子も消えたがってる。』と
ジョンは馬を止め、耳に手を当てた。
風はもう何も言わなかった。
「ジョン、どうしたの?何か聞こえるの?」
マリアが後ろからジョンに尋ねた。
ジョンは何でもないと答え、馬を歩かせた。
『確かに聴こえた。『浩子も死にたがってる。』と確かに聴こえた。』
ジョンは心に問い掛けた。
『どうすればいいんだい?僕は一体どうすれば…、』
ジョンは今ある自分を見失い、自分が何を欲し、何を求め、何をしたいのか、何処に行きたいのか、死にたいのか、何もかもが分からなくなった。
その時、谷沿いの岩壁の隙間から太陽が顔を出し、陽光を川面へ降り注ぎ始めた。
青色の川面が抗うように太陽光線を反射し、暫し金色に輝き続けた後、川面は光線を素直に水中へと受け入れた。
すると、太陽光線は川底まで届いて行き、底に堆積した赤土を浮かび上がらせた。
ジョンは馬を止め、呆然と川を見遣った。
川面は瞬く間にカメレオンのように青色から金色、そして赤色へと変化を遂げた。
後ろからマリアが呟いた。
「血の川よ。」と
「血の川?」
マリアは馬から降りると神である太陽へ手を合わせ瞑想をし、そして物語った。
「父が言っていたわ。リオ・グランデ川は『血の川』に変化するって。
この地の歴史がそうさせたと…」
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