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幕間 番外編

719号に献身 後編

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「私は彼のことがネコチャンに見えるのです」
「一言で終わりましたね」
「もっと語ってもよろしいのでしたら……その、愛猫の生まれ変わりとかではなく、ナインくんそのものが可愛いネコチャンに見えていまして」
「ふむ。可愛いネコチャンに」
「彼の人生を見守って可能な範囲でお世話をさせていただきたい。その対価として進学や生活や娯楽資金の援助がしたいのです」
「……対価としてこちらがお金を渡すわけではなく?」
「いいえ。私が、ナインくんにお支払いしたいのです」

 犬飼は至って真面目に拳を握って語る。
 態度が真っ当なだけに、逆に混乱してきた。
 719号――ナインの世話をさせてほしい、その代わりお金も払うとは。

「生活の面倒というのは……風呂やトイレなどを……?」

 何か特殊な性癖を満たすつもりなのかと聞いてみたが、犬飼はぶんぶんと首を振る。

「まさか! 彼は人間でしょう。プライバシーは保証します。あくまで食事や掃除など、健康に生活するためのお手伝いをさせていただきたいだけです」
「……それで、あなたに何のメリットが?」
「ネコチャンと暮らせること以上のメリットはありませんよ!!」
「力強い……異様な説得力……でも言ってる意味がわからん……」

 どうやら犬飼は理性の上ではナインが人間だとわかっているが、それはそれとして猫としても認識していて、しかも猫にめちゃくちゃ尽くしたいようだ。

 ちら、とベスを見ると『まあたまにこういう人間いますよね……』という顔をしていた。
 いるもんなんだな……。
 俺はあまり人と深く関わってこなかったからディープな人間についてはベスに聞くに限る。

 害は無いのか、と目で問いかけるとベスは頷いた。
 それならば、とりあえずはいいだろう。

「ええと……繰り返しになりますが、彼は猫ではありません。人格があり、これから更に芽生えていきます。今は外見に反した幼さを持っていますが、成長すれば普通の成人した人間と変わらなくなります」
「もちろん理解しております。ナインくんには人間として自由に過ごし、成長していただきたいです。喋っても黙ったり無視しても、壁を引き裂いたり反抗期で家の壁に穴を開けたりしても、ネコチャンのすることは全てご褒美なので全く問題ありません。彼が見た目相応に成長しても内心でネコチャンとして愛で続け、それでいて表向きは理性的な保護者として振る舞える自信があります。しかし、言葉だけでは信用できないのは理解しております」
「澄んだ目でノンブレスって怖いな……」

 "ランクA"にふさわしい肺活量で力説する犬飼の目に曇りは無いが、逆に曇りがあってくれとすら思う。
 誰にも迷惑をかけない正気の狂人を前にするのは38年の人生で初めてだった。
 誰にでも迷惑をかける正気の狂人ならモリノミヤで慣れているんだが。

「ナインくんを引き取るにあたって、いくつか書類をご用意いたしました。司法書士を通して作成したもので、私はこの全てにサインする準備があります」

 犬飼はしずしずと書類の束を出し机の上に乗せた。
 ドサリと重い音と共に5cmほどの紙の束が俺の目の前に鎮座する。

「まずこちら。全財産の五割を別の口座に移し替え、ナインくん名義にして通帳と印鑑をあなたにお預けいたします。これはナインくんに譲渡したものとし、ナインくんが独立した場合やあなたの元へ戻ることを希望した場合でも返還は結構です。次に、実際にうちに来ていただいた場合の生活計画はこちらの書類に。ナインくんは毎晩定期連絡、週一であなたと面会するものとし、これを5年ほど続け信用できると思っていただければ定期連絡を週一にし面会は二週間に一度に――といった内容で、更にナインくんの権利と安全についてはこちらの書類です。他にも――」
「読む、読むからとりあえず息つぎをしてくれ。飲み物でも注文して、少し落ち着いてほしい」
「……失礼しました。これでも抑えてはいたのですが」
「抑えていてこれなのか……」
「……ハッ! もちろん、ナインくんの前では紳士的に振る舞ってみせますよ。ネコチャンは構いすぎるとよくないので。ネコチャンにストレスを与えないことだけはお任せください。根拠と対策と違反した場合の対応についてはこちらの書類に」
「読む、読みますすぐに」

 犬飼をステイさせ、総統時代に培った拾い読み速読でざっと目を通す。

 どう読んでも、驚くほどナインに有利で犬飼に不利な内容だった。
 書類の内容は極力シンプルにしてあり、落とし穴が無いように書かれている。
 しっかり読み込む必要はあるが一読した感じだと疑わしい箇所は無い。

「……どうしてここまでしてナインを? 適切ではない言い方かもしれませんが、他の猫を迎えるという選択肢もあったのでは」
「……前の猫を亡くした後、二度と新しい猫と過ごすことはないだろうと思っていました。喪う悲しみに一度すら耐えられず喪に服して5年――そんな時に出会ったのがナインくんです。彼を見た時、運命のようなものを感じました。ご縁と言いますか」
「縁、ですか」
「はい。眠る彼の世話をするうちに、前の猫と過ごした日々を思い出しました。それは幸せな思い出ばかりだったのです。私はようやく、涙にくれた5年間は弱っていく彼女のことしか思い出せていなかったと気がつきました。――ナインくんというネコチャンを通して私は彼女との幸せだったことを思い出し、前を向くことができるようになったのです。だからこそ、彼のお世話ができなくなった時は悲しく、街で偶然あなたを見つけた時に僅かな手がかりでもあればと尾行しました。辿り着いた家でナインくんを見つけた時は、神か悪魔が与えてくれたチャンスだと思いました」
「尾行とか消印の無い手紙は普通に怖かったから今後はやらないでほしい……」
「その節は大変失礼しました。あの時は無我夢中だったのです……」

 前触れ無くポストに投函されていた、Xと名乗る犬飼からの消印の無い手紙。
 おそるおそる開ければ『あなたのことを知っている』と書かれており、怖すぎてベスに相談したほどだ。
 正確には『悪の総統ビルで働いていて719号の事件と共に消えたあなたのことを存じています。なぜ719号と暮らしているかはわかりませんが、彼の身柄を預かっている方と話がしたいので取り次いでいただけませんか』という内容だったようなのだが、よほど急いで書いたのだろう。
 『あなたのことを知っている。責任者、連絡を求む』だけだったから、テトロさんにでも取り次げという内容なのかと戦々恐々した。

「――ちなみに、返事はいつまでに出せば?」
「これまでの行いから信じていただけないかもしれませんが、ナインくんが元気に過ごしていることさえ時折お知らせいただければいつまででもお待ちします。ナインくんにも今の生活や様々な事情があるでしょうし……たとえ断られたとしても、危害を加えることは決していたしません。その旨の誓約は一番下の書類に――」
「書いてあったな。まあもう少し話を詰める必要はあるが、とりあえず俺らとしては納得しました。……あとは最終審査だな」
「最終審査?」
「ナイン、おいで」
「!?」

 部屋の奥に置かれたモニターの方へ呼びかけると、少しして外から719号ナインが現れた。
 ふにゃりと笑いかけるナインを見て犬飼が目を見開き仰け反る。

「なななナインくん!?」
「部屋のカメラにちょっと細工して、隣の部屋でナインに全部見てもらっていました。音声も全て聞いています。」
「ワー元気そうだねっ! ご飯もちゃんと食べてるのかな、私といた頃よりふっくらして健康的になって、上手に歩いていて、良かった……本当に良かった……」
「な、泣いてる……」
「おじさん、ひさしぶり」

 俺とベスの横にも空いている席はあったがナインは犬飼の隣に座り、目元を潤ませる男の膝にごろんと寝そべった。

「にゃん」
「~~~~~~っ!!」

 感極まった犬飼が自らの手で口を塞ぐ。
 ナインは膝の上でマイペースにごろごろと動き、心地よい角度を見つけたのか止まってくつろぎだした。
 家でもナインはそういう風に過ごすことがあったが相手は座布団などで、人の膝でくつろぐところは初めて見る。

 改造人間は精神的には幼いが、難しい話でも理解できるほど知能は問題ない。
 全てを聞いた上でこの態度ということが、ナインからの答えなのだろう。

「じゃあ、とりあえず来週からお試しってことで……」
「来週から!? この天使と!? いいんですか!?」
「ナインだよおじさん」
「ナインくん……」
「しおからい」
「だ、だめだよ涙なんて舐めちゃ……!!」

 興奮した犬飼がボタボタと涙を流し、頬に落ちてきたそれをナインが舐めた。
 するとすぐさま犬飼は高いスーツが濡れることも構わず腕で顔を覆い、仰け反ってナインから遠ざかるが、ナインがくつろぐ膝は揺らしもしない。

 犬飼の膝でふにゃふにゃ、ごろごろとくつろぐナインは家にいた頃よりずっとリラックスしている。
 ナインは家に来てからはよく、『停止状態の自分に毎日声をかけ散歩に連れ出してくれたおじさん』の話をしていた。
 それが犬飼だったのだろう。

「犬飼さん。ナインを傷つけず、尊重し、大切にすると誓えますか?」
「もちろんです!!」
「ううん。それ、ちがう」

 とりあえずお開きにしようと、この場での最終確認をすれば、ナインがふるふると首を振った。
 おとぎ話に出てくる猫のようにニンマリ笑い、感極まって紅潮している犬飼の頬に頬を擦り寄せる。

「ぼくが、しあわせにする」
「……そうか。頑張れよ、ナイン」
「うん」

 ――それから、お試し期間を経て両者合意の元、719号は犬飼ナインとして籍を取得した。

 成長を続けるナインに犬飼は手を焼くこともあるようだが、それさえも嬉しいと定期的に連絡をよこす。
 ナインは手紙を書くのが面倒くさいとしょっちゅう家に顔を出すのだが、その度に迎えにくる犬飼に、とても嬉しそうな笑顔を向けていた。


【番外編:719号に献身 完】



【登場人物紹介】

■ナイン 3歳(精神約6歳)
・外見:20歳になるかならないか程度の青年
・所持異能:『ボム』"ランクD"(爆発に近い音や振動や煙を発生させるが、肝心の威力はほとんど無い)
・休日の過ごし方:せいじとあそぶ

元『正義の味方』の改造人間719号。
『悪の組織』に身柄を預かられていた時に世話になっていた犬飼の元へ引き取られ、犬飼邸でフリーダムに過ごしている。
ナインのためにテレワークを導入した犬飼の仕事を全力で邪魔する日々。パソコンよりぼくを見るのだ。
犬飼が出社する日はめちゃくちゃゴネて拗ねて犬飼の布団で寝ている。

・近況:ご飯たべて べんきょうして ねてる


■犬飼誠司 37歳
・外見:身なりがよく気品があるミドル
・所持異能:『気温操作』"ランクA"(周囲数mの気温を-30~50度程度に変化させられる)
・休日の過ごし方:ナインの教育

『悪の組織』資材管理部部長。
出世欲が無く部下が上司になっても全く気にしない。
結構頑固なマイペース人間だが、猫に対しては全面服従の完全下僕。
出世しないのも最も定時で帰りやすい部署だからである。
前の猫と過ごした時間が短かったことを後悔しており、ナインを引き取ると決めてからはテレワークを導入した。
休日はナインを外見相応に教育すべく尽力しているが、ナインによる「あそばないの?」の誘惑に抗いきれず、休日の夜は自主的に反省文を書いて刹那に送っている。

・近況:毎日が幸せすぎて2kg太った
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