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五章 真実編
悪夢
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プリシラが意識を失った直後、ようやく近衛騎士が到着した。男たちが連れていかれ、僕を始め怪我を負った人々は簡単に処置を受けた。
プリシラは意識を失っているものの、呼吸は安定しているので、この場でできる処置はない。一刻も早くきちんと医者に見せるべきだ。
騎士にそう説かれ、僕は慌てて彼女を抱きかかえて別の通りに走り、馬車を拾った。そんな簡単な判断もできないほどに、僕は慌てていた。
不安なまま馬車に揺られ、僕とプリシラは彼女の屋敷に向かった。
血のにじんだ包帯を巻いている僕と、気を失っているプリシラに、出迎えてくれたウォルトは気を動転させながらも、伯爵夫妻を呼びにいった。
ベッドにプリシラを寝かせ、夫妻に経緯を説明する。
「申し訳ございません。僕がついていながら」
僕が深々と頭を下げると、伯爵は
「頭を上げなさい」
と肩を叩いた。
「アンセルが謝ることはない。君は彼女を守ってくれたのだからな。何よりプリシラをかばって深手を負っている」
「プリシラの意識はちゃんと戻るのかしら」
額を手で押さえてよろめきそうになる夫人を、伯爵が支える。
「とにかく医者を呼んだ。話は診察のあとだ」
ほどなくして到着した医師が診察するのを、僕らは息を飲んで見守った。
「特に異常はありません。栄養剤を投与してしばらく様子をみましょう」
「プリシラの……娘の意識は戻るのでしょうか!?」
すがるような夫人に、医師は申し訳なさそうに
「分かりません。外傷を負って気を失ったわけではありませんから、すぐに目覚めるとは思いますが……。一時間後かもしれませんし、数年後かもしれません」
夫人は両手で顔をおおってその場に泣き崩れた。肩を抱く伯爵。
僕は少し離れたところで、黙って見ているしかなかった。
伯爵夫妻や医師が部屋を出てからも、僕は一人彼女の傍にいた。
僕は彼女のベットの脇の椅子に腰かけ、ずっと手を握っていた。
まぶたもぴくりとも動かない彼女の顔を、じっと見つめていた。
気を利かせた使用人が、軽食やお茶を運んできてくれた。だが、口にする気にはならず、最初湯気のたっていたそれらは視界の片隅で冷たくなっていき、申し訳なく思った。
どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか隣に伯爵が立っていた。疲れ切った表情に、十歳くらいは年を取ったように思えた。
「もう今日は帰りなさい。君も疲れているはずだよ。彼女が目覚めたらすぐに知らせると約束する」
伯爵の忠告に、僕は首を振った。
「プリシラが目覚めた時に、一番に視界にいたいのです。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてことがあるものか。ただ疲れたら休むと約束してくれ。君が倒れる前にね」
「はい。ありがとうございます」
約束すると、伯爵はガウンを僕に羽織らせて、静かに退室した。
彼女は一日中眠り続けた。僕は、ベッドの脇で手を握って待ち続けた。彼女が目覚めるのを祈りながら。
「……んん」
いつの間にか、僕も眠ってしまったようだ。小さな声に目を開けると、プリシラがゆっくりと目を開けたところだった。
(……やはり神はいらっしゃるのだ)
「よかった。気づいたんだな、プリシラ。待っていろ、すぐご両親を呼びに……」
神に感謝しながら、僕はプリシラの手を両手で握った。
プリシラはゆっくりとまばたきをした。不思議そうな顔で、悠然と首を傾げた。
そしてスローモーションのように唇が動き、僕にとって死の宣告にも等しい残酷な言葉を告げる。
「……あなた、だれ?」
慌ただしく再び医師を呼び、程なくして診断が降りた。
ショックで記憶が退行しており、僕と再会する前までの記憶しかない。無理に記憶を取り戻そうとすると、事故のショックを甦らせずにいられないだろう。
それはすなわち、プリシラの記憶に、僕と過ごした殆どの時間が消えていることを意味していた。プリシラを傷つけないためには、消えたままにしなければならないと言うことも。
(記憶があろうとなかろうと、プリシラはプリシラのままだ。これからまた二人の時間を築いていけばいい)
彼女の記憶から自分がいなくなってしまったことに、ショックは受けたが、プリシラが目覚めたことのほうが何より大切なことだった。
僕は前向きに考えていたが、伯爵の考えは違った。
「すまない。アンセル。君といれば、プリシラは事故のことを思い出してしまうかもしれない。そうなれば、再び彼女は傷つくだろう。だから、頼む。娘の前から姿を消してくれ。
すまないが、アンセルと出会ってからのことを、なかったことにする」
申し訳なさそうに、深々と頭を下げてきた。
まるで現実味がなく、芝居を見ているかのようだ。つい昨日まで、あんなに幸せだったのに。
この幸せがずっと続く、いや。これ以上幸せになれる。そう信じていたのに。
(……これは、僕の負った罪なのか)
強引にプリシラを手に入れようとした僕の。
(僕は贖罪させられているのか)
それは、苦渋の決断だった。身を切るように辛い。
確かに僕もそうすることが、彼女を守るために最良だと分かっていた。
「……承知しました。もう、プリシラには近づきません」
★★★
お待たせしてすみません。過去編終了です。次で最終話となります。(番外編が何話かあります)
二人の結末を見守ってもらえると嬉しいです。
プリシラは意識を失っているものの、呼吸は安定しているので、この場でできる処置はない。一刻も早くきちんと医者に見せるべきだ。
騎士にそう説かれ、僕は慌てて彼女を抱きかかえて別の通りに走り、馬車を拾った。そんな簡単な判断もできないほどに、僕は慌てていた。
不安なまま馬車に揺られ、僕とプリシラは彼女の屋敷に向かった。
血のにじんだ包帯を巻いている僕と、気を失っているプリシラに、出迎えてくれたウォルトは気を動転させながらも、伯爵夫妻を呼びにいった。
ベッドにプリシラを寝かせ、夫妻に経緯を説明する。
「申し訳ございません。僕がついていながら」
僕が深々と頭を下げると、伯爵は
「頭を上げなさい」
と肩を叩いた。
「アンセルが謝ることはない。君は彼女を守ってくれたのだからな。何よりプリシラをかばって深手を負っている」
「プリシラの意識はちゃんと戻るのかしら」
額を手で押さえてよろめきそうになる夫人を、伯爵が支える。
「とにかく医者を呼んだ。話は診察のあとだ」
ほどなくして到着した医師が診察するのを、僕らは息を飲んで見守った。
「特に異常はありません。栄養剤を投与してしばらく様子をみましょう」
「プリシラの……娘の意識は戻るのでしょうか!?」
すがるような夫人に、医師は申し訳なさそうに
「分かりません。外傷を負って気を失ったわけではありませんから、すぐに目覚めるとは思いますが……。一時間後かもしれませんし、数年後かもしれません」
夫人は両手で顔をおおってその場に泣き崩れた。肩を抱く伯爵。
僕は少し離れたところで、黙って見ているしかなかった。
伯爵夫妻や医師が部屋を出てからも、僕は一人彼女の傍にいた。
僕は彼女のベットの脇の椅子に腰かけ、ずっと手を握っていた。
まぶたもぴくりとも動かない彼女の顔を、じっと見つめていた。
気を利かせた使用人が、軽食やお茶を運んできてくれた。だが、口にする気にはならず、最初湯気のたっていたそれらは視界の片隅で冷たくなっていき、申し訳なく思った。
どれほどの時間が経っただろう。
いつの間にか隣に伯爵が立っていた。疲れ切った表情に、十歳くらいは年を取ったように思えた。
「もう今日は帰りなさい。君も疲れているはずだよ。彼女が目覚めたらすぐに知らせると約束する」
伯爵の忠告に、僕は首を振った。
「プリシラが目覚めた時に、一番に視界にいたいのです。ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんてことがあるものか。ただ疲れたら休むと約束してくれ。君が倒れる前にね」
「はい。ありがとうございます」
約束すると、伯爵はガウンを僕に羽織らせて、静かに退室した。
彼女は一日中眠り続けた。僕は、ベッドの脇で手を握って待ち続けた。彼女が目覚めるのを祈りながら。
「……んん」
いつの間にか、僕も眠ってしまったようだ。小さな声に目を開けると、プリシラがゆっくりと目を開けたところだった。
(……やはり神はいらっしゃるのだ)
「よかった。気づいたんだな、プリシラ。待っていろ、すぐご両親を呼びに……」
神に感謝しながら、僕はプリシラの手を両手で握った。
プリシラはゆっくりとまばたきをした。不思議そうな顔で、悠然と首を傾げた。
そしてスローモーションのように唇が動き、僕にとって死の宣告にも等しい残酷な言葉を告げる。
「……あなた、だれ?」
慌ただしく再び医師を呼び、程なくして診断が降りた。
ショックで記憶が退行しており、僕と再会する前までの記憶しかない。無理に記憶を取り戻そうとすると、事故のショックを甦らせずにいられないだろう。
それはすなわち、プリシラの記憶に、僕と過ごした殆どの時間が消えていることを意味していた。プリシラを傷つけないためには、消えたままにしなければならないと言うことも。
(記憶があろうとなかろうと、プリシラはプリシラのままだ。これからまた二人の時間を築いていけばいい)
彼女の記憶から自分がいなくなってしまったことに、ショックは受けたが、プリシラが目覚めたことのほうが何より大切なことだった。
僕は前向きに考えていたが、伯爵の考えは違った。
「すまない。アンセル。君といれば、プリシラは事故のことを思い出してしまうかもしれない。そうなれば、再び彼女は傷つくだろう。だから、頼む。娘の前から姿を消してくれ。
すまないが、アンセルと出会ってからのことを、なかったことにする」
申し訳なさそうに、深々と頭を下げてきた。
まるで現実味がなく、芝居を見ているかのようだ。つい昨日まで、あんなに幸せだったのに。
この幸せがずっと続く、いや。これ以上幸せになれる。そう信じていたのに。
(……これは、僕の負った罪なのか)
強引にプリシラを手に入れようとした僕の。
(僕は贖罪させられているのか)
それは、苦渋の決断だった。身を切るように辛い。
確かに僕もそうすることが、彼女を守るために最良だと分かっていた。
「……承知しました。もう、プリシラには近づきません」
★★★
お待たせしてすみません。過去編終了です。次で最終話となります。(番外編が何話かあります)
二人の結末を見守ってもらえると嬉しいです。
応援ありがとうございます!
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