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厄介事は避けるに限る

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 ザザザザーーーー。

 ザザザザーーーー。


 森の中は雨の音しか聞こえない。

「すごい雨だな」

 窓際で外をじっと見ていたリュカは、ポツリと呟いた。
 雨は好きではない。それはいつからだっただろうか。

「こんな日はアイツが来そうだーーーー」

 その呟きは雨の音にのみ込まれ、消えた。







「リュカ~~」

 キッチンから呼ぶ声が聞こえる。
 雨音のせいで、常人にはその声は聞き取れないだろう。しかしリュカは、自分の名を呼ぶ彼女の声を聞き逃すことはない。
 窓を閉めると幾分雨音が和らいだ。

「呼んだ? ビビアナ」

 リュカの金色の瞳の奥がキュルンと疼いた。ビビアナの契約紋が甘く疼く。

「ねぇ、昼食はスコーンとバゲットとどっちがいい?」

「スコーンかな。ビビアナが焼いたヤツ、香ばしくて好きなんだ」

「……分かった」

 ニコリと綺麗な笑顔を向けるリュカに、ビビアナはひきつった笑みを返した。
 香ばしいというか、いつも微妙に焦がすだけなのだけれど……。この間はわりと強めに焦がして、ビターな仕上がりになってしまった。リュカはニコニコしながら食べていたけど。

(リュカが美味しいって言うから、いいか。今日こそは外サックリ、中ふんわりに焼くぞ!)

 年代物のオーブンに火を着けた。

 それにしてもすごい雨だ。ここまでの豪雨はめったにない。
 窓の外を見ると、どんよりと雲は厚く、まだまだ止みそうにない。

「え?」

 思わず、ビビアナは窓に駆け寄った。

 どしゃ降りの窓の外。人の姿が見える。

「女の子……?」

 店から離れた森との境界線に、ポツンと立っている女の子がいた。
 傘もささず、こちらをじっと見つめながら立っている。
 距離が離れているために表情までは見えないけれど、この雨では身体が冷えて危ない。立っていることもやっとだろう。

「大変! すぐに中に……え? どうしたのタンク。早くあの子を保護しないと。こら、服を噛まないで」

 タンクの行動は、まるでビビアナに行くなという素振りだ。
 雨に濡れるから? そんなことを言っている場合ではない。子供がこの雨の中、外にいるなんて危険だ。

「タンク、放して! 今すぐタオルを用意してちょうだい。それからリュカ! っ…………リ、リュカ?」

 窓の外を見つめているリュカの様子に、ビビアナは息をのんだ。金色の瞳を細めて酷く冷たい空気を纏っている……気がした。
 ビビアナの方を向いたリュカはいつもの綺麗な笑顔だ。いや、艶やかな黒髪から覗く角が光って、いつもより眩しいかもしれない。

「ねぇ……外の……」

 言いかけて、途中で首をひねった。

 何かがおかしい。
 ここは森の中のたまご屋だ。森の中は危険な魔物も獣もいる。大人でも武器を持って入るほど、危険な森なのだ。子供が一人で、しかもこんなどしゃ降りの中、来れる場所じゃない。
 人間の子供には絶対に無理だ。

「外のあの子、リュカの知り合いだったりする?」

「ふふ。飛び出して行かなくて正解。
 アレは雨に紛れて出て来るんだ。大丈夫。大した力はない。だけど……面倒なヤツだから関わらない方がいいよ」

 特に水属性は執着心が強いから、と言ったリュカの言葉に、美しくも恐ろしいセイレーンの姿を思い出した。

「あれ? なんだか焦げくさい匂いがしない?」

 ヒャッとビビアナの喉から可笑しな音が鳴った。

「きゃぁ! スコーンがぁ!!」

 バタバタと走って行くビビアナの背中を見送る。今日のスコーンもだいぶ香ばしくなりそうだ。

 窓の外には、今はもう誰もいなかった。

 



※※※





 ドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 たまご屋のドアを開けて入って来たのは、黒いローブを頭からすっぽり被った人物が三人だ。

(あら、訳ありかしら。体格からして二人は男性ね)

 後の一人はよく分からない。

 たまご屋には素性を隠した人も来ることがある。身分ある人物だったり、中にはお尋ね者もいるかもしれない。それでもビビアナは、料金さえ払えば基本断ることはしない。相手がどんな人物であれ、選ぶのは使い魔の方だからだ。

 ビビアナはいつもの通り対応するだけだ。

「お前が店主か?」

「はい、そうです」

 性別の分からなかった一人が声を出した。年配の男性のようだ。
 まだ年若いビビアナが店主と知って、三人が驚いたのが分かる。これは初めての客ならよくあることだから気にしない。
 ……本当は少しおもしろくないけれど。

「ええと……どちらの方が使い魔をご所望でしょうか?」

「いや……我々は使い魔を探しに来たわけではない」

「では使い魔のことで、何か相談事でもございましたか?」

「いや……」

 姿を隠した人物。訳ありそうな雰囲気。厄介事の匂いがする。

 先日、アンジェラが言っていた話を思い出した。
 そう言えば、かすかな訛りのある話し方だ。アンジェラが言っていたシェルム国の出身かどうかは分からないけれど、異国の人かもしれない。

「すみません。私はまだ駆け出しの未熟なたまご屋なので、使い魔以外の依頼は受けかねます」

 申し訳なさそうに眉を下げ、丁寧に、けれどキッパリと断る。先手必勝だ。
 もちろん、本当に自分がたまご屋として未熟だと思ってはいない。これまで頑張って来たことを否定したくはないから。けれど、祖父や父と比べて圧倒的に経験が足りないのは確かだ。

(嘘はついてないし、厄介事には避けるに限るわ。
 ただでさえ最近ウピルさんでピリピリしてるっていうのに……これ以上何かあったら胃に穴があきそうよ)

 キリキリ痛みはじめる胃をこっそり撫でながら、ビビアナはニコリと営業スマイルを向けた。

「私は力不足で申し訳ありませんが、隣国のはずれにあるたまご屋の店主がオススメですよ。老師と呼ばれるほど経験豊富な方です」

 隣国に住むたまご屋の店主は、ビビアナの祖父と同じ年齢で、祖父と喧嘩仲間だったらしい。祖父の日記に書いてあったのを見たことがある。たまご屋としても、女性関係でもライバル関係だったようだ。
 彼は老師と慕われている一方でかなりの頑固オヤジとしても有名で、傲慢な貴族も屈強な騎士も逃げ帰るほどらしい。
 厄介事を他人に押し付けるのは気がひけるが、経験豊富な老師の方がビビアナよりは上手く対処できるだろう。

 ローブの人物はゴホンと一つ咳をして、言った。

「そのアダモフ老師殿からの推薦でここに来たのだ。推薦状もある。
 我らもアダモフ殿の推薦でなければ、未熟なたまご屋には来るつもりなどなかった」

 明らかな嘲りが交じった言葉に、伏せていたタンクが起き上がった。
 タンクの大きさに、ローブの男は一瞬ビクリと身体を震わせる。

 渡された推薦状には、『あやつの孫なら上手くやれるだろう』と書いてあった。

(ああ、これは……私が厄介事を押し付けられたんだ)

 ビビアナの負けだ。相手が一枚上手だった。
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