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煌めきの都

彼岸ノ球 Ⅰ

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 見上げるほどに高い空間は、先程まで通ってきた道と空間とは異なり、白亜の壁と柱が囲う人為的に作られた空間だった。

 質素でありながら、丁寧につくられたのが伺い知れる。

 この場だけを切り取って、さらに祭壇があればまさしく神殿や大聖堂での荘厳の極み。

 しかしながら、そうしたものはなく、むしろ禍々しいものが部屋の中央で、大部分を占有していた。

 それは、球。

 塗りつぶしたような、漆黒。

 輪郭がぼやけて見えるのは、蠢く真っ黒い霧が包んでいるから__否、拍動する度、放出しているから。

 悲鳴のような、断末魔の咆哮のような唸りは、球が発していた。

 人肌ほどに生暖かい風も、饐えた臭いも、これが元凶。

「博識なお前なら、これが何か分かろうな?」

 球の向こう側から、球を見上げながら落ち着き払った様子で現れる養父ロンフォール。

「__魔穴……」

 それが世にいう魔穴だと、マイャリスは知っている。
 
 __何故、これが地下に。

 魔穴は、天地あまつちはざまに生じる__そう言われている。

 だが、よくよく考えてみれば、地下とは申せ、こうした空間にできないなどと断言できるはずがない__とこのとき気付かされた。

 だとしても、ここは神殿のような場所。偶然にもその場に、しかも中央に狙い澄ましたように魔穴が生じることなどありえるのだろうか。

 __人為的になら、あるいは……。

 今日に至るまで、秘密裏に命や生活を搾取し続け、今宵に至っては、蛮行を隠すことなく行った。

 毎月の夜会が儀式の一環という話だ。

 目的が掴みきれない養父ロンフォールの儀式。その目的が、この目の前の魔穴だろうか__。

 __生じさせて、それで……?

「お父様が、これを?」

 問えば、ロンフォールはくつり、と口元を歪めた。

「いや。__この魔穴はここに固定されていた」

「では……もともと、ここにあった……?」

「そういうことだ」

 何故、そんな危険なものが固定されている。

 州の首都の、それも城の真下。

 __皆、知らずに暮らしていた。

 魔物が吐き出される穴__口。

 イェソドは瘴気が濃いという。他の州に比べ、瘴気に__瘴気を孕んだ霧に覆われやすい地域が多い。

 この州都も例外ではなかった。

 __その原因が、これ……だった。

 魔穴はある程度、中の魔物を含む瘴気が薄れれば、消失するはず。なのに何故ここに固定したまま放置なのかわからない。

 危険極まりないとわかりきっているだろうに__そんなことを思っていれば、球の中心と思われるところを貫くように、白い円柱が生えていることに気づいた。

 __何、あれ。

 球から伸びているが、球から生じたようには思えない。

 その円柱は、部屋を支える柱のそれと形状も質も似ている。

「元来、これほどは大きくはない。そうだな……ヒトの頭ほどの大きさ」

 そこまで言って、ロンフォールは頭上を振り仰いだ。

「不可知というものがあるのは知っているな。今宵は秋分の満月。秋分や春分という区切り、そして、満月や新月というものも、不可知という領分が浮上しやすいのだ。境界があやふやになる。境界の具現である魔穴は大きくなりやすい」

「加えて月蝕であるから、なおのこと」

「そうだな、スコル」

 マイャリスの側近くに佇んでいたスコルが加えた言葉に、口元を歪めて頷くロンフォール。

「……何が目的なのです」

「不可知を__もうこうなっては不可知ではないか……。魔穴の中身を溢れさせる」

 あっさり、と養父は答えた。

 しかしながら、その答えはマイャリスを更に疑問を抱かせる。

 魔を溢れさせるとなると、これまでこの男が築き上げてきたすべてが消失する大混乱に陥る。

 富、地位__こだわって、こだわり抜いて、求めてきていたはずのもの。
 
 __だから、州侯にまで登りつめたのではないの?

 十に分割された州。そのうちのひとつは天上にあるが、他の九州は皇太子が州侯である首都州を除き、州侯が統治する一国のような体形。

 地綱__国の法__と龍帝のみことのりに反しない、あるいはその範囲である限り、州侯が法令を整えてよいことになっている。

 一般人がなれる最高位が、州侯という地位だ。それにこの男は登りつめた。

 どれほどの手を使ってきたか、マイャリスはその過程を見てきた。この男の行いで、人生を台無しにされ、奪われた者が多くいたことを知っている。血も涙もないそれら。人の心もないのか、と何度辟易とさせられたことか。

 __今思えば、おそらく、命を奪われた者もいたのでしょう……。

 なりふり構わず手に入れたものを失うことがわかっていながら、どうして魔を溢れさせるのだろう。旨味や利点などなにもないはず__。

「……貴方が、わからない。今も、昔も」

 ロンフォールの視線がマイャリスへ移り、すいっ、と細められた。

「理解してほしいと、私が言ったことがあるか?」

 つかつか、と歩み寄るロンフォールの視線の鋭さと昏さに、思わず下がるマイャリスだが、半歩下がったところで何かに背中がぶつかる。

 壁などなかったはず、と振り向けばそれはスコルで、愉悦に浸ったその瞳にぞくり、と悪寒が走り抜けた。

「上の惨状や魔穴で忘れているようだが、何故ここへ連れてこさせたかという疑問は抱かないのか、お前は」

 低い声で尋ねられ、顔を戻す。

 思わず身構える距離まで迫ってきたロンフォールは、顔を近づける。

「__お前でなければ果たせないことがあるからだ」

 わからない、という言葉が顔に出ていたのだろう。くつり、とロンフォールは笑い、姿勢を戻して魔穴を振り返る。

「お前の、父祖より受け継がれてきた血に刻まれた性を発揮してくれ、マイャリス」

「何を……」

 びきり、と頭痛がして言葉を発せなくなった。

 __影身かげみを。

「影身……?」

 内側から、響いたその言葉、声__違和感。

 怪訝にして反芻すれば、今一度、びきり、と頭痛が走る。

 反射的に違和感と痛みの中心__じりじり、と熱を持つ額を抑える。

「__どうか、鏡を。魔穴の瘴気の只中に落ちてしまった鏡を見つけ出してくれ」

 言い放ったロンフォールの視線を受けて動いたスコル。

 マイャリスの腕をむんずと掴んで、臆することなく魔穴へと歩み寄る。

 嫌だ、と流石に抵抗を試みる__が、どうしたことか。

 振り払おうとしたというのに、身体が一切それらしいことをしない。

 むしろ、スコルの歩調に合わせ、魔穴へと足を進み始めている。

 瘴気の只中に、進んで踏み込もうとしている。

 拍動するに合わせて周囲をめぐる風、臭い、瘴気。

 数歩に迫った魔穴の球。

 黒い表面。

 蠢いて見えるそれの奥に、ちらちら、と見える輝き。夜空の星々を凝固させて球にしたようにも見える光景。

 その輝きがひとつひとつ、時折何かの景色のようにも見える。

 魔穴を通して見える別の場所、あるいは不可知の空間__通じている場所と学友だった龍騎士に教えてもらった。

 どこに通じているかわからない。

 見たところにたどり着けるかもわからない。

 そこがあるのかもわからない。

 ただ、自分が見たかった景色かもしれない。

 不可知の深淵である可能性もあるという。

 __行かねばならない。

 行かねば。

 行って、探さねば。

「……影身を、探さないと」

 そうして当たり前。然るべき。

 マイャリスは、魔穴に手を伸ばした。
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