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【1章】推しとは結婚できません!〜皇女ヴィヴィアンの主張〜

3.この光景、何万回も夢に見たわ

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 夜会会場に戻ったら、エレン様はわたしたちの椅子の前に佇んでいた。ただ立っているだけなのにめちゃくちゃ絵になるし麗しい。本当に現実離れした美しさだ。


(エレン様、あんな唐突にいなくなったのに、わたしたちを待っててくださったんだな……)


 エレン様のそういう律儀なところが好き。大好き。
 と同時に、申し訳なさと罪悪感が胸を突く。

 だけどエレン様は、わたしを見るなりとても穏やかに微笑んでくれた。わたしの推しは本当に、最強で最高だ。


「ヴィヴィアン様、陛下とのお話はお済みになったのですか?」

「ええ、つつがなく。実は少々、父と行き違いが生じていたようで」


 気まずさを誤魔化すため、わたしはニコリと微笑み返す。


「そうでしたか。それで、ヴィヴィアン様のおっしゃる行き違いとはどんなものなのです?」

「それは……その、先ほど父が言ったことなんですけれども」


 ことはエレン様の一生を変えうる大きな大きな行き違いだ。わたしの結婚について、お父様なら悪いようにはしないだろうと高をくくっていたのが裏目に出てしまった。本当は、推しへのスタンスをもっとハッキリと見せておかなければならなかったんだ。完全にわたしの失態だ。


(本当に、なんてお詫びをしたらいいんだろう。わたしが推しているばかりに、エレン様に嫌な思いをさせてしまうなんて……)


 このままじゃ、わたしは自分で自分を許せそうにない。彼の心を煩わせた分だけ償いをしなきゃ。慰謝料をたっぷり用意して、彼に見合う素敵な女性を見つけて、エレン様の望む将来を用意しないと――――


「ヴィヴィ、早まるな。一旦落ち着いて話をしよう」


 とそのとき、お父様が戻ってきたため広間の視線がこちらに集中してしまった。みんな一様にこちらに向かってお辞儀をし、何ごとだと耳を澄ませているのがよくわかる。わたしはハッと居住まいを直した。


「まあ、お父様ったら……わたしは早まってなんていないし、冷静そのものよ」


 なんて、本当は嘘。少しだけ頭に血が上っていたのかもしれない。
 だって、エレン様があまりにも気の毒で。わたしと結婚させられてしまうと思っていらっしゃることがかわいそうで。早く解放してあげたかったんだもの。

 だけど、よく考えたら公衆の面前で結婚する・しない云々の話をするのはダメだ。エレン様の名誉に関わる。わたしの名誉はどうでもいいけど、エレン様の名誉だけは守らなきゃならない。命にかえても絶対に守らなきゃならない。


「あの……エレン様、夜会が終わったあと、少しお時間をもらえませんか? 父の部屋でお茶でもどうでしょう? あなたにお見せしたいものがあって」


 とりあえず場所は改めるべきだろう。
 未だ周囲の耳目は集まったままだし、相手は好奇心旺盛な貴族たちだもの。わたしの部屋に案内するって話したら、変な噂をたてられかねないし、お父様の部屋へという部分を強調しつつ、わたしはそっと首を傾げた。


「もちろん、是非うかがわせてください。ただ――――どうせなら、ヴィヴィアン様の部屋にうかがってみたいです。せっかく婚約するのですから……それとも、まだ早いでしょうか?」


 だけど、エレン様が口にしたのは思いがけない――――本当に思いがけないことだった。


「「「えぇっ⁉」」」


 貴族たちの驚愕の声が広間に木霊する。ボリュームが大きいあまり、わたしの素っ頓狂な声を掻き消してもらえたのは不幸中の幸いだった。


「エレン様、あの、あの……」


 わたし、あなたとの結婚をなかったことにするつもりだったんですけど! 父が迷惑をおかけしてごめんなさいって、ひれ伏して詫びる気満々だったんですけど! それなのに婚約するって! 婚約するってみんなの前で言っちゃいます⁉


(どうしよう、なんて返事をすればいいの……⁉)


 口をハクハクとさせながら、わたしはエレン様のことを見つめた。


「お返事は今じゃなくて構いません。俺としてはできればヴィヴィアン様の部屋にうかがいたいというだけですから」

「あ……そ、そう? それならいいのだけど」


 嘘だ。本当は全くよくない。
 というか、論点は部屋そこじゃない。そこじゃないのですよ、エレン様!


「それから――――よろしければこのまま、俺と踊っていただけますか?」


 エレン様はそう言って、わたしの前に跪く。わたしは大きく目を見開き、手のひらで口元を覆い隠した。


(嘘でしょう⁉ ……嘘だよね⁉ エレン様がわたしに踊ってほしいって! 踊ってほしいって! しかも、こんなふうに跪いてくださるなんて、夢? 夢かな? 夢よりすごいんですけど⁉)


 わたしはこの光景を何万回夢に見たかわからない。絵に描いて再現だってしてもらった。
 だけど、夢で見た光景よりも、神絵師に描いてもらった絵よりも、エレン様はずっとずっと美しく、スマートだった。

 差し出された手のひらも、麗しすぎる表情も、声音も、言葉も、びっくりするぐらい光り輝いていて、こらえきれずに涙がこぼれる。


「踊りましょう!」


 エレン様からの申し出を断るなんて無理。わたしにはできない。無理!
 だって、今日はわたしの誕生日だし。憧れの人と踊れるなんて最高だもの。


(いいよね。このぐらいの贅沢は許されるよね。ちょっと踊るだけだもん。別に、結婚するわけじゃないんだから)


 ほんの数分間、エレン様の時間を分けて貰うだけ。
 そもそもわたし、皇女だし。ダンスが上手かったからって理由をつけて、褒美を与えることだってできるし。お父様の覚えがめでたくなったキッカケってことにもできるし。ちゃんとメリットは用意できるもん。


「それでは、こちらへ」


 エレン様はエスコート上手だった。本当に、一体どこで覚えたんだってぐらい、上手だった。彼にはこれまで婚約者はいなかったし、めったに夜会にも顔を出していなかったはずなのに――――なんて、馬鹿な考えを頭から必死に振り払う。

 ふたりきりのダンスホールのなか、わたしたちは静かに踊りはじめた。


「――――なんだかとても、久しぶりですね」

「わたしを覚えていてくれたの? ……って、当然よね! わたし、皇女だもの」


 ヴィヴィアンとして彼に会ったのはほんの数回だけ。きちんと面会をしたのは今から4年前のことだ。
 たったの数回――――普通の女の子なら忘れ去られてしまうような些細なできごとでも、皇女の身分を持つわたしは違う。大好きな人にその存在を覚えていてもらえる。皇女に生まれてよかったと心から思った。


「――――相変わらず、艶やかで美しい髪ですね。アメジストの髪飾りがとても似合っています」

「ありがとう。ピンク色の髪って珍しいから、よく褒めてもらえるの。数少ないトレードマークなのよね」


 侍女たちが結い上げてくれた髪に触れつつ、わたしはそっと瞳を細める。


「実はその髪飾り、俺からの贈りものなんです」

「え⁉」


 そんな馬鹿な。
 わたしは目を丸くしつつ、エレン様のことをじっと見上げた。


「ヴィヴィアン様はアメジストが好きだと聞き、選んでみました。今夜身につけていただけて、とても光栄です」

「え……ええ。仰るとおり、わたしはアメジストが好きです。他のどの宝石よりも」


 だけどそれは、エレン様のトレードマークがアメジストのピアスだからだ。数ある贈りもののなかからこの髪飾りを選んだのだって、エレン様が身につけているものと形とか雰囲気が似ていたからだもの。


「それから今お召になっているドレスも、俺からの贈りものです」

「これもですか⁉」


 嘘、嘘、嘘! それはさすがにまさかすぎる!

 だって、わたしの誕生日祝いのほとんどが宝石やドレスで、帝国全土から山ほど届いてるんだもの。
 というのも、わたしへのプレゼントは服飾品が喜ばれると貴族たちに知らしめているのがその理由だ。(だって、自分で自由に使える予算の大半を推し活に費やしているんだもの!)

 そんな何百何千と届いたプレゼントのなかから、わたしは見事エレン様からの贈りものを選び当てたと。そんなことってある?


(我ながらすごすぎる……エレン様センサーでも付いてるのかしら)


 驚くやら誇らしいやら。わたしはしげしげと己を見回した。


「お気に召していただけましたか?」

「ええ、もちろん! すごく愛らしくて、ひと目見た瞬間に気に入ってしまったの。鮮やかな藤色に金糸の刺繍が綺麗だし、とてもオシャレだったから」

「それは良かった。気に入っていただけたようでホッとしました」


 エレン様がニコリと微笑む。胸をキュンと高鳴らせつつ、わたしはそっと視線をそらした。


「だけど、エレン様からの贈りものなら、もう二度と袖を通せないわ」

「……! それは何故です?」

「だって、家宝として宝物庫に飾らなきゃならないもの。実は、わたし専用に作ってもらった宝物庫があって、そこにはエレン様グッズをたくさん保管していて……っと」


 わたしったら、御本人を前になにを解説してるんだろう? 恥ずかしさのあまり赤面していたら、エレン様はくすりと小さく笑った。


「それで構いませんよ。また新しいドレスを贈りますから」

「いや、それはさすがに……」

「贈らせてください。俺たちは婚約するのですから」


 わたしの腰を抱き寄せ、エレン様が微笑む。ブワッと全身の血が沸騰して、心臓がありえないほどに激しく鼓動を刻みはじめた。


(婚約……わたしたちが婚約……? 本当に?)


 どうしよう。ありえないって思っているのに、それ以外の感情が見え隠れする。
 ダメなのに。
 エレン様の相手がわたしじゃ絶対ダメなのに。


「ヴィヴィアン様」


 ふと見たら、エレン様がわたしのことを熱心に見つめていた。
 戸惑うやら、嬉しいやら。頭のなかが大パニックだ。


(本当、どうしたらいいんだろう?)


 心のなかで、わたしは盛大なため息をついたのだった。
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