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(17)サイン会ハプニング
パブリックとプライベート
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父親の威光のせいで勝手に色々捻じ曲げられ、玄武書院へ無理矢理引っ張られたから。社長と同じ〝立神〟の名を冠して作家になることは、信武にとってある種の枷のつもりだったのだ。
あとで下手に他者から社長と血縁だと暴かれ、親のコネデビューなんじゃないかと言われたくなくて、あらかじめ最初から「そうだ」とあからさまにすることで、逆に人一倍努力もしたつもりだ。
書き下ろし作品『金魚鉢割れた』で、文学界では新進作家による純文学の中・短編作品から選ばれる芥木賞と並び称される大きな賞、直川賞――こちらは新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本から選ばれる――を受賞出来たのだって、その結果だと思っている。
直川賞を獲って以来メディアへの露出が増えたのは計算外の出来事だったが、玄武書院へ移った時から自分の担当になっていた茉莉奈の助言通り、嫌々ながらも取り澄ました〝不破譜和像〟を作り上げてオンオフを切り替えるようにしたのは、後で思えば僥倖だった。
作家としての〝立神信武〟と、一個人としての〝立神・リシェール・信武〟は別物だと線引きするのは信武にとってある種の鎧と盾になったから。
日和美の前での信武はもちろん後者だったから、彼女には自分の気持ちを演じたりせず、ストレートに表現出来ているはずだ。
ややこしくなるのが嫌で、便宜上日和美にもミドルネームはすっ飛ばして自己紹介した信武だけれど、彼女にはいずれそれも込みな自分を見て欲しいと思っている。
アメリカに住んでいた頃の友人は皆、信武のことをリシェールと呼ぶし、日和美にはあちらの友人も紹介したいから、立神・リシェール・信武として生きている自分のことも、ゆくゆくは受け入れて欲しい。
***
「おはようございます」
「おはようございます。本日は立神信武のためにこのような場を設けて頂き、本当にありがとうございます。――どうぞよろしくお願いします」
正午に現場入りしたのだから、厳密にはおはようではないのかも知れないが、こういうときのあいさつは何故か〝おはよう〟と相場が決まっているものだ。
『三つ葉書店学園町店』バックヤード。
担当編集者の茉莉奈とともに、売り場ではなく普段は従業員らしか入ることが出来ない休憩室らしき場所へ通された信武は、正直気もそぞろ。
自分のすぐ横。
パンツスーツにきっちり身を包み、長い黒髪をギュッと後ろで一つに束ねているだけでも、その凛と整った顔立ちから如何にも出来るキャリアウーマンという感じなのに。
そこへさらに黒縁の伊達眼鏡までかけた戦闘モードの茉莉奈が、相手方店長や担当者らと身振り手振りを交えながらやり取りをしている。
信武はそれに合わせて適当に笑顔を振りまいたり会釈をしたり相槌を打ったりしながらも、意識はすっかり上の空。
実はここへ着くなりずっと……。
この三週間ちょい、電話連絡やメールのやり取りぐらいで全く会えていない日和美の姿を探しているのだけれど――。
書店側とのやり取りの合間合間に、こちらからは壁に隔てられていてい全く見えない店内の様子を気にする素振りを見せていたら、「サイン会会場の様子が気になりますか?」と多賀谷からソワソワと声を掛けられた。
あとで下手に他者から社長と血縁だと暴かれ、親のコネデビューなんじゃないかと言われたくなくて、あらかじめ最初から「そうだ」とあからさまにすることで、逆に人一倍努力もしたつもりだ。
書き下ろし作品『金魚鉢割れた』で、文学界では新進作家による純文学の中・短編作品から選ばれる芥木賞と並び称される大きな賞、直川賞――こちらは新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本から選ばれる――を受賞出来たのだって、その結果だと思っている。
直川賞を獲って以来メディアへの露出が増えたのは計算外の出来事だったが、玄武書院へ移った時から自分の担当になっていた茉莉奈の助言通り、嫌々ながらも取り澄ました〝不破譜和像〟を作り上げてオンオフを切り替えるようにしたのは、後で思えば僥倖だった。
作家としての〝立神信武〟と、一個人としての〝立神・リシェール・信武〟は別物だと線引きするのは信武にとってある種の鎧と盾になったから。
日和美の前での信武はもちろん後者だったから、彼女には自分の気持ちを演じたりせず、ストレートに表現出来ているはずだ。
ややこしくなるのが嫌で、便宜上日和美にもミドルネームはすっ飛ばして自己紹介した信武だけれど、彼女にはいずれそれも込みな自分を見て欲しいと思っている。
アメリカに住んでいた頃の友人は皆、信武のことをリシェールと呼ぶし、日和美にはあちらの友人も紹介したいから、立神・リシェール・信武として生きている自分のことも、ゆくゆくは受け入れて欲しい。
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「おはようございます」
「おはようございます。本日は立神信武のためにこのような場を設けて頂き、本当にありがとうございます。――どうぞよろしくお願いします」
正午に現場入りしたのだから、厳密にはおはようではないのかも知れないが、こういうときのあいさつは何故か〝おはよう〟と相場が決まっているものだ。
『三つ葉書店学園町店』バックヤード。
担当編集者の茉莉奈とともに、売り場ではなく普段は従業員らしか入ることが出来ない休憩室らしき場所へ通された信武は、正直気もそぞろ。
自分のすぐ横。
パンツスーツにきっちり身を包み、長い黒髪をギュッと後ろで一つに束ねているだけでも、その凛と整った顔立ちから如何にも出来るキャリアウーマンという感じなのに。
そこへさらに黒縁の伊達眼鏡までかけた戦闘モードの茉莉奈が、相手方店長や担当者らと身振り手振りを交えながらやり取りをしている。
信武はそれに合わせて適当に笑顔を振りまいたり会釈をしたり相槌を打ったりしながらも、意識はすっかり上の空。
実はここへ着くなりずっと……。
この三週間ちょい、電話連絡やメールのやり取りぐらいで全く会えていない日和美の姿を探しているのだけれど――。
書店側とのやり取りの合間合間に、こちらからは壁に隔てられていてい全く見えない店内の様子を気にする素振りを見せていたら、「サイン会会場の様子が気になりますか?」と多賀谷からソワソワと声を掛けられた。
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