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1巻

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「王子がお願いとは珍しいですね。どうされました?」
「ユリアスの食事量を減らしてほしいのです」
「それは……」
「もちろん、いきなり他のご令嬢と同じ食事量とまでは言いません。せめて成人男性と同じくらいまでは減らしたいのです。もちろん一日三食までで」
「成人男性と同じ……ですか」

 突然の願いにお父様はおひげをでながら天井を見上げる。
 成人男性をお父様とした場合、今の食事の七割ほどの量は食べられる。けれど、ひょろっひょろの宰相様みたいに小食な方を基準にされたら飢え死にしてしまう。
 比較対象が固定化されていない場合、都合のいいほうに合わせてもいいのかな?
 具体的な数値を表さない王子が悪いし!
 王子ってばこんなところで抜けてるなんて、まだまだ子どもということだ。可愛いところもある。
 私は思い切り両手を振って王子の拘束から抜け出した。
 うっかりさんな王子が忘れているのは具体的数値の提示だけではない。

「王子、おやつが抜けてますよ!」

 私の楽しみの一つである一日二回のおやつが抜けてしまっていた。うっかりさんだな~とぽんぽん肩をたたくと、王子は嫌そうな表情で腕をブンッと振る。

「うるさい! おやつはそうだな……初めは隔日くらいにしておくか」
「二日ごとですか。つまり二回分の糖分を一回で摂取しろ、と。それは計画的にたくわえる必要がありますね……」
「減らしてほしいと言っているそばから増やすな!」
「全体量の調節をしているだけです!」
「一回の量が増えているだろう!」
「砂糖は私の動力です! 一定量摂取しなければ動けません」
「今だってろくに動いてないくせに何を言うか!」
「これでも動いているほうですけど!?」
「威張るな!」

 おやつ量をグンと減らそうとする王子VS引くつもりのない私。
 戦いの火蓋ひぶたが切られた! と思いきや――

「ちょっといいかな?」

 私サイドに立っていると思われるお父様が、話をさえぎった。

「何でしょう?」
「とりあえず一週間、こちらで量の調整を試みようと思う」
「お父様!?」
「私も心配になってきてな」
「公爵……協力感謝いたします」

 まさかの裏切りに、私の目の前が真っ黒になる。
 これが絶望というやつか。景色がぐわんぐわん揺れて気持ちが悪い……
 全身が振られるような感覚に襲われ、意識が保てなくなった私はそのまま床に倒れ込んだ。


     ◎ ◎ ◎


「――お姉様!」
「タイロン……」

 目を覚ますと目の前には涙を浮かべた弟の姿があった。

「覚えてる? お姉様は空腹で倒れちゃったんだ」

 あれは絶望ではなく、空腹だったのか。お昼を食べたっきりでおやつも食べてなかったもんな~。おなかをさするようにでると、早く食べ物を寄越せ! とばかりにおなかの虫の大合唱が始まる。

「今日のご飯、何?」
「お姉様のためにラッセルが作ったハンバーガーのフルコースだよ。部位ごとに焼き方やバンズが違うからごたえ満点で、つい僕も食べすぎちゃった」
「付け合わせは?」
「フライドポテトとオニオンリング。お姉様の分は起きてから揚げるって」
「やっぱり揚げ立てをほふほふしながら食べるのが一番よね。よし起きよう」

 そこに、王子の声がする。

「起きて早々、油ものを大量摂取しようとするとは、お前の胃袋はどうなっているんだ」
「婚約者が気絶から目覚めて早々、嫌みをぶつける王子様っていうのもどうかと思いますけど……」

 窓に視線を向けると、お外は真っ暗。私がシュタイナー家に戻ったのが大体おやつ時を少し過ぎた頃だから、ゆうに数時間は経過している。
 なのに王子はなぜまだうちにいるのだ?
 もしかして私の食事量を監視するために残ってたとか? そうだったら嫌だな~。
 あきれ顔の王子にこれでもかっ! と言わんばかりのゆがんだ顔を見せつけると、はぁっとものすごく長いため息を吐かれた。

「心配して損した……」
「え、心配してくれたんですか? 王子が? 私を?」
「なんだその顔は……。俺だって婚約者が倒れれば心配くらいする」
「その婚約者を倒れる少し前まで引きずっておいて?」
「それはお前も悪いだろう! もういい。帰る」
「あ、お疲れさまで~す」
「……どっと疲れが出てきた。本当に何なんだ、お前は……」

 トボトボと立ち去る王子を、ブンブンと手を振って見送る。
 そしてお待ちかねの食事タイム!
 お父様も王子の手前あんなことを言っていたものの、私の前に並べられた食事は少し少なくなったかな? 程度。

「ユリアスちゃんが倒れたって聞いて、お母様心配で心配で……ほら好きなだけ食べて良いのよ」
「お姉様、僕のおすすめはサーロインです!」
「……まぁ、よくんで食べなさい」

 冷静になって考えてみると、ゲーム内ではすっかり冷え切っていた家族は今や私にダダ甘。特に食事関連は甘やかしまくりだ。
 今は両親と弟はすでに食べ終わっているが、自分達のお皿から分け与えてくれることもしばしばある。
 あれ、せない原因って私以外にもあるのでは?
 でも仲良きことは美しきかなって言うじゃない?
 それが食べ物のシェア(一方的にもらうだけだけど)なら平和よね!
 すっかりポジティブ思考に変わった私は、それから出されたものを全て平らげ、デザートのシャーベットも三度ほどおかわりをした。

「今日も美味おいしかったわ」

 ナプキンで口をぬぐいながらそうつぶやくと、調理長のラッセルが私の食事中ずっとメモを取っていた手を止めた。

「お嬢様。五番目に食べたバーガー、ソースの量が多かったですか?」
「そうね。レタスに弾かれて、バンズに吸い込まれなかったのかも。でも味はちょうど良かったわよ。個人的には二番目のバーガーに使っていたセサミのバンズと合わせたものが食べてみたいわ」
「なるほど。他に何かお気づきになった点はありますか?」
「後はそうね……パンを半分に切った後、内側になる部分を軽く焼いたら美味おいしいんじゃない?」
「なるほど……。次回は一、二口サイズのものをお作りしようと思っております」

 一、二口サイズ、というとお父様の食事会ではなく、お母様のお茶会のメニューとして出すつもりなのだろう。
 一般的にお茶会でお菓子の他に並ぶのは、サンドイッチであることが多い。それもハムやたまご、果実のジャムなどが挟まっているもの。そこにハンバーガーを並べるとは、なんとも挑戦的な試みである。『お茶会』という枠組みからはみ出てしまう。
 けれどラッセルの目はギラギラと輝いている。
 彼がげたいのは『枠から外れた試み』ではなく、『新たな試み』らしい。
 まさに調理人のかがみだ。
 それを見守るお母様達の目も真剣そのものだ。おそらくハンバーガーを並べたお茶会は、シュタイナー家の分岐点となりうる。ならば私は家族の一員として知識を披露するだけだ。

「なら中身の野菜はレタスだけではなく、何種類か用意したほうがいいわ。ピクルスを入れてみるのはどう?」
「ピクルス、ですか?」
「酸味があるからソースの調整も必要になってくるけど、アクセントになるわよ。ハンバーグ部分に野菜を数種類練り込んでしまうというのもアリかもしれないわね」
「なるほど。いくつか実験的に作ってみます」
美味おいしいものを食べさせてちょうだい」
「かしこまりました」

 綺麗な四十五度の礼を披露したラッセルは去っていく。このまま調理場に向かうのだろう。
 我ながら結構アバウトな指摘だったが、彼は今まで私の要望を数多く叶えてきた。きっと今回も美味おいしいものを作ってくれるはず。想像しただけでよだれが出てきそうだ。試作品が完成したら真っ先に私のもとに持ってきて、と伝えるのをすっかりと忘れていた。まぁ、明日でもいいか。


     ◎ ◎ ◎


 数日後。用意された試作品のハンバーガーを頬張る私の前で、紙束を手にした王子が指先でコンコンと机をたたいていた。
 いらちMAXであることは伝わってくるが、さすがにこれは見逃せない。ブラック企業にいる嫌みな上司でもあるまいし、音と動作で相手をかくするなんて、私が精神的に追い込まれたらどうしてくれるのか。幸い、私は慣れているから大丈夫だが、王子からこんなことをされたら圧を感じる人は多いだろう。
 これはまだ婚約者という地位にとどまり続けている私が進言しておいたほうが良さそうね。ここで好感度が落ちたところで痛くもかゆくもないし。
 そうと決まれば最後の一つを頬張ってから口元をナプキンで拭く。

「お嬢様、食後の紅茶でございます」
「ありがとう」

 メイド長が用意してくれたほど良く冷めた紅茶をグッと飲み干して、ふぅっと息を漏らした。その間も全く手を止めることのない王子に視線を向け、決め顔で指摘する。

「王子、態度悪いですよ」
「分かっててやってるんだよ!」
「あら、口まで悪いわ……」
「数日前に送った手紙に返信がないからおかしいと思って来てみれば、相変わらず身体の中に兵士何人所属させているんだ! と突っ込みたくなるほどの食事をお前が取っているんだ。態度も口も悪くなるだろう」
「え、さすがに人間は食べませんよ……」
「物の例えだ! それでなぜ食事量が減っていないんだ!」
「……また倒れたら危ないじゃないですか」
「お前の身体は、維持するのにどれだけのコストがかかっているんだ。だから公爵にもお願いしたというのに……」

 失敗だったか、とぽつりとつぶやく王子。
 敗因は私をこの屋敷から離さなかったことだろう。ここにいる限り、お父様がはがねの心をもって私の食事量を減らしたところで、お母様と弟が分けてくれる。
 一応反論をすると、私自身の食事量は気持ちばかりではあるものの、減っている。というか、炭水化物の代わりにタンパク質やビタミン豊富な野菜が増えていた。栄養学に詳しくない私でも身体に気を遣ってくれているのだと分かる食事だ。それでいて負荷にならない程度かつ、分け与えられても大丈夫なカロリーに作ってあるのだから、やはり我が家の調理長の実力は恐ろしいものがある。
 先ほどまで食べていたハンバーガーも、私が指摘した箇所を重点的に直したものの他に、パン生地に工夫が取り入れられているものが作られていた。
 前世でも食べたことのないものなので、何を入れているかまでは分からない。だが、これらは良くんで食べることで満腹中枢を刺激する狙いがある気がする。もしくはおからのようにおなかの中で膨らむタイプのもの。どちらにしても食事量を減らし、満腹状態を長引かせる工夫がなされていた。
 ハンバーグには野菜が混ぜ込まれていて、女性陣に人気が出そうなものだ。私はもう二日に一回、お昼はこのメニューでいいとさえ思い始めている。それくらい美味おいしい。
 そんなラッセルの工夫によって食事量が減りつつある私だが、さすがに王子が提示した量まで減らしてはいない。
 前世でテレビに出てる偉い先生が、ダイエットでいきなり食事量を減らすのは身体に良くないって言っていたし、やるなら美味おいしく健康的にせたいよね! もっとも、私にせる意思はないのだけど……

「まぁ想像の範囲内だ。俺もその身体が食事量を減らしてどうにかなるとは思っていない。ということで、運動メニューを作ってきた」
「え……」
「安心しろ。兵士達の訓練よりは優しい」
「比較対象間違ってません!?」

 運動なんて前世から嫌いだ。特に体育を全般とした、人にやらされるものは大嫌いだ。
 しかも王子の組んだメニューって嫌な予感しかしないし……

「屋敷でこなしてほしいが……お前の場合サボるかもしれないからな。三日に一回は俺も一緒にする」
「え、来るんですか……」

 サボる気満々だった私の考えなど、バレバレらしい。
 でもだからって、わざわざ来ることなくない!? 運動できる彼と比較されそうで嫌なんだけど。
 遅いからって途中で回数増やされたら……と考えると、サボらず自分のペースで行ったほうがまだマシだ。
 思いっきり顔をゆがめて見せると、王子は大きくため息をついた。

「露骨に嫌そうな顔するな。俺は城でもシュタイナー家でもどちらでもいいが」

 分かっているようで何一つとして理解していない。
 婚約者とはいえ、身分が釣り合っているからというだけで決まった相手だ。心を通じ合わせるのは無理な話なのだろう。私だって彼との関係を発展させていこうだなんて無駄なことはみじんも思っていない。
 だから王子に伝わるようにわざとらしくため息をついてみせる。

「一緒にするのは確定なんですね……。私にも予定というものが」
「シュタイナー家の予定が入っている日はもちろん城で行うつもりだ」
「いや、そうではなく私個人の予定が……」
「ドレスも着られないのに何を言うか」
「くっ」

 バレてやがる……!
 予定を入れるべく夜会やお茶会などに今から出席をお返事するにしても、そもそもドレスが入らなければ行くことはできない。気軽な服装で会える相手など、王子以外にいないことはすっかりバレている。
 本当は王子にだって気軽に会いたくはない。
 だが一度、『王子の前に出られるような服ではございませんので』と避けようとした時、この男は『それで俺がはい、そうですかと帰るとでも思っているのか!』と言って、城付きの針子はりこを連れてきたのだ。そして頭と手、足の部分だけ布を開けておなか部分をリボンで結ぶような簡易服をいくつかプレゼントしてくれた。押し付けてきたと言ったほうが正しいのだが、感謝はしている。
 何せこの服、食べても食べてもおなかつらくならない。今では重宝しており、立派な着回し服である。
 これがあればドレスなんかいらなくないか? そう思っていたが、今ほどドレスが着られないことを悔やんだ日はない。

「メニューは状況に応じて変えるつもりだ。とりあえず、このメニューを明日から開始してくれ。――明明後日しあさってには来るからちゃんとやっておけよ」

 やれよ、いいな? と釘を刺す王子を半ば追い出す形で見送ると、手の中に残ったメニューに視線を落とす。

「ぐぇ」

 そこに書かれていたメニューに、思わずカエルが潰れたような声が漏れた。
 確かに兵士の鍛錬内容よりも軽いのだろうが、私が実践するには多すぎる。なぜ王子はドレスが入らなくなった私にスクワットが三十回もできると考えたのだろう。十回一セットにしたとしても、初日からこんなことしたらひざがやられそうだ。せめてウォーキングとか軽いものから始めてほしかったわ。
 こんなメニューやってられない!
 とはいえ、運動不足であることを自覚していた私は、転生してから初めて自主的に運動をした。
 日本人としての一般教養、ラジオの声に合わせてする体操を――
 ちゃんちゃっちゃらっちゃっちゃちゃ、とお馴染なじみのリズムを口ずさみつつ始めた前世ぶりの体操にドッと汗が噴き出る。
 第一だけでやめておけばいいものを、懐かしさのあまり第二までしてしまった。
 意外と消費カロリーが高いという話は本当だったようだ。だが息切れは起こしたものの、運動不足の身体でも最後まで踊りきることができた。夏休みにスタンプ欲しさに神社に通い詰める子どもから、老人ホームのおじいちゃんおばあちゃんまでが愛するだけのことはある。
 最後の深呼吸に突入した頃には達成感を覚え、これくらいなら続けられそうというラインでプログラムを終了するなんて、考えついた人は天才だと思う。
 いきなり過酷なメニューを手渡してくる王子に、爪のあかせんじて飲ませたい。
 ――この日から私の日課にこの体操が加わった。
 これを始めてから数日は軽い筋肉痛が起きたものの、日常生活に支障をきたすことはない。むしろご飯をいつもよりも美味おいしく食べられるし、夜はぐっすり眠れる。
 世界は異なるが、開発した人に感謝の言葉をささげよう。
 ――そして、できることなら、これだけをこなして全力疾走できるほどの体力を手に入れたい。
 だが現実は残酷だ。
 私が逃げる力を手に入れる前に魔の手は迫ってくるのだから。
 ノックもなしにレディの部屋に入ってきた王子は、私を見た瞬間、盛大なため息を吐いて頭を抱える。

「やはり俺の渡したメニューをこなしてなかったか……」
「あー、一応やろうとは思ったんですよ? でも限界ってあるじゃないですか」
「なぜお前はピンピンしているんだ。限界までしたなら今頃、筋肉痛で苦しんでいるはずだろう」

 初めからこなすことを前提として作られていなかった、と。
 そして私はまんまと王子の策にはまってしまったというわけだ。

「……今日のところは負けを認めましょう」
「認めなくていいから運動しろ」
「運動自体はしましたよ」
「そんないた嘘をくな。……まぁいい。どうせ今日は逃げられないんだ」

 わぁ、俺様系キャラから言われてみたい台詞せりふランキングで上位に来る、『俺から逃げられると思っているのか?』の亜種だ。
 全然嬉しくないけど。

「ユリアス、こっちへ来い。早速今日のメニューをこなしていくぞ」
「……はぁい」

 今日のメニューは過酷ではなさそうだし、仕方ないから付き合うか……
 渋々ではあったものの、王子のもとへ足を向ける。

「動くからこれ穿いとけ」
「ありがとうございます。というか短パンあるなら先にくださいよ!」
「短パン?」
「あ、ショートパンツ派ですか?」

 どっちでもいいけど、動きやすそうなパンツが与えられるのはありがたい。いつもの体操でぴょんぴょんする時は、ワンピースではどこか心許なかったのだ。
 私は王子から受け取った短パンをその場で穿いて、おなか周りのリボンを簡単にほどけないように結び直す。

「ユリアス……俺の前だからいいが他の男の前でそんなことするなよ」
「え、しませんよ。王子の前だけですって」
「お前、俺を男として見てないな」
「そういう王子だって、私のこと女として見てないじゃないですか」
「十分女扱いしているだろ……」

 これで女扱いしてるって、男だったらどれだけスパルタで訓練するつもりだったんだろう。想像して少しだけゾッとする。
 だが、そもそも私が男だったら王子の婚約者にはならなかった。
 つまり悪役令嬢として決められた結末もなく、私も今まで通りの生活を送れていたことだろう。それ以前に、私みたいな異世界の人間が転生してくることもなかったかもしれない。
 もしもの過去なんて想像したところで、現実に変化はないのだから考えても無駄だ。
 私は私。それ以外の何者にもなれはしない。たとえそれが他の選択肢を選んだ自分であったとしても、違う道を歩んだ時点で別人なのだ。

「それはありがとうございます~」
「なんだその気の抜けたような感謝は……」
「まぁまぁ。さっさと今日のメニューこなしましょう」
「……まずは簡単な準備運動から開始するぞ」

 こうして私と王子は、運動を開始したのだった。


     ◎ ◎ ◎


 一時間後――当たり前のように切れる息と悲鳴を上げる身体。
 確かにスタートは屈伸や身体の曲げ伸ばしなどの簡単な準備運動だった。けれど、そこからバーピージャンプに移るなんて予想もしていなかった。
 兵士の鍛錬よりも楽といいつつ、メニューそのまま使っていない!?
 私がサボった筋トレのメニューを全く考慮されていないどころか、あっちのメニューのほうが楽だったのではないだろうか?
 サボった罰か嫌がらせか何かかと思い、王子の顔をちらりと見る。けれど彼は真剣そのもの。私よりもずっと多い回数をこなしつつも、こちらに『ゆっくりでいいぞ~』なんて声をかける余裕まである。その上、私が回数を飛ばすとぴしゃりと指摘をしてくるのだ。きっちり回数をこなすまで止まることは許されず、休憩時間まで決まっている地獄っぷり。

「やっと終わった~」

 私はバタリと倒れ込み、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
 今の気持ちを表すと、逃亡を達成したカンダタだ。彼も他の罪人達をおとしいれようとしなければ、おしゃ様の前で長い苦行の末の解放感に包まれていたに違いない。
 自分の体温で温まってしまった床はぬるく、私は新たな場所を求めてゴロゴロと転がる。汚れるのは承知の上。メイド達には悪いが、どうせ汗だくの服は気合を入れて洗ってもらわなければならないのだ。

「冷たくて気持ちいい」

 冷えたスポットを見つけ出した私は、小さくコロコロと転がりながら熱くなった頬を冷ました。王子が冷たい視線で見下ろしてくるが、気にしたら負けだ。視線で身体は冷えないのだから。


「もう少し休んだらランニングをしようと思っていたんだが……」
「無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理」

 なんてことを言い出すんだ!
 スマホのバイブもびっくりするほどの早さで首を左右に振る。王子にも私の本気が伝わったらしく「だろうな」とこぼした。
 ああ、これで解放される……


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