『藍色の午後と、さくらの約束 ―香りがほどく、裏切りの記憶―』

『藍色の午後と、さくらの約束 ―香りがほどく、裏切りの記憶―』

 あの日、冷めたカップの底に
 言葉にならなかった想いが沈んでいた
 湯気はもう立たず
 香りだけが、どこにも行けずに漂っていた

 裏切りは、音を立てずに壊れる
 信じていた時間ほど、静かに崩れる
 握っていたはずの未来は
 指の隙間から、こぼれ落ちていった

 けれど
 それでも、手のひらに残った温もりがあった

 まだ名前もない命が
 確かにそこに、息づいていた

 ひとりで淹れた、最初の一杯は
 驚くほど苦くて
 涙の味とよく似ていた

 それでも、何度も繰り返すうちに
 少しずつ、香りはやわらいでいく

 時間は、裏切らない
 選び続けた日々だけが
 味を変えていく

 藍色の午後に
 小さな手がカップを包み込む

 「ママ、いい匂い」

 その一言で
 世界はもう一度、やさしくほどけていく

 失ったものを数えるより
 残ったものを育てるほうが
 ずっと強くて、あたたかい

 遠回りした道の先で
 ようやく気づく

 幸せは、奪うものでも
 取り戻すものでもなく
 自分で、淹れ直すものだと

 香りは、記憶を連れてくる
 けれどそれは、もう痛みではない

 やがて誰かに手渡される
 やさしい時間のかたち

 さくらの香りが、ふわりと広がる

 それは、過去を責めない香り
 未来を急がない香り

 そして、今をそっと抱きしめる香り

 藍色の午後の中で
 すべては静かに、つながっている

 冷めきったあの日の一杯も
 涙で滲んだ夜も
 ここへたどり着くための、ひとしずく

 約束は、言葉にしなくてもいい

 ただ、湯気の向こうで
 誰かを想う気持ちがあれば

 それでいい

 今日もまた
 カップの中に、やさしい未来が満ちていく

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