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第七章
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しおりを挟むアドラーは、一万近い軍人の集団を見下ろしていた。
もう軍隊と呼べるギリギリの所まで弱っている。
「ねえ、ひょっとして病気?」
アドラーの右手と胴体の間から、リューリアが顔を出した。
ぴったりくっついて来たのは、甘えたいからでなくお願いがあるから。
「……何とかならないの?」
綺麗な緑の目がアドラーを見上げる。
「リューは優しいなあ」
「もう、そういう事じゃないでしょ。わたし、女神パナシア様に誓ったの。病み傷つき苦しむ人を見捨てませんって……」
アドラーは、周りの仲間達を見る。
誰もリューリアに反対しなかった。
「あの連中がやられたのは、この辺りの湖の水だ」
アドラーは皆に説明をする。
「えっ、ボクらも飲んだじゃん!」
驚いたキャルルに、続きを説明する。
「体に悪いけど、毒ってわけでもない。手順を踏めば飲めるし、少量なら平気だ。新しい土地の水が合わなかったのさ、ここらの水は岩盤から染み出した超硬水だからね」
「ひょっとして、あの草の茎のストローか?」
「さすがマレフィカ」と、アドラーは褒めた。
この辺りの湖は青く輝きとても美しいが、人の飲み水には適さない。
ただし同時に自生する葦の茎で作ったストローを使えば、溶け込んだ鉱物を吸着して飲める水になる。
アドラーも、アドラクティア大陸に住む人々も知っているが、よそ者の侵略者は知らなかっただけのこと。
「安静にして安全な水があれば回復する。だが、放っておけば下痢による脱水で一日か二日で死ぬ。目の前で死なれても寝覚めが悪いからな」
アドラーは、付いてこようとするリューリアを押しとどめて一人で歩き出した。
飲める水を見分ける魔法道具はあり、サイアミーズ軍は常備している。
生物由来の毒には魔法が強いのだが、こういった水の質には無力。
魔力よりも知識がものを言う場合がある。
アドラーの姿を見つけたサイアミーズ軍は、重症者を中央に集めて動ける者で円陣を組む。
一つの生命体に例えられる軍部隊の、最後の防御反応だった。
「脆く薄い。俺一人でも……崩せるかもしれんな」
何とか全周を囲むだけの薄い殻から、二百歩の位置でアドラーは止まった。
『話がある』と、南の大陸の手信号を送る。
敵軍は杖を水平に構えるが、攻撃はしてこない。
近づくとアドラーにもよく分かる。
連日連夜の魔物の襲撃と水に当たったせいで、軍の統率が保てているのが奇跡だった。
「わしが話す、武器を下ろせ」
第三軍団の軍団長ビガードが、一人だけ魔術師を連れて進み出た。
魔法攻撃をするつもりではなく、知識のある魔術師を参謀として使っていた。
「マルセル・ビガードと申す。今は一軍を預かる身。お名前をお聞かせ願いたい」
ビガードは、この状態の部下をまだ軍だと言い張った。
「アドラクティア大陸のアドラーといいます。交渉に来ました」
「我らは必要とする物などない」と、ビガードはあくまで強気。
「嘘をつけ。放っておくと一晩で兵が半分死ぬぞ」
「う、うむぅ……」
詰まったビガードの代わりに、付き添いの魔術師が口を開いた。
生粋の軍人というのは交渉事には向いていない。
「アドラー殿は、兵が苦しむ原因がお分かりですか? 私どもは魔法反応が出ぬ未知の毒かと疑っております」
「そこまで上等なものではないな。知らぬ土地で好き勝手をした罰のようなものだ」
「肝に銘じておきます。ですが、これ以上の損害は、本国の苛烈な反応を呼ぶ可能性がこざいます。なにとぞ、ご教授いただければと」
魔術師は、損が膨らむほど回収が激しくなると露骨に脅した。
「ふん。幾万で押し寄せようが、大地の神は侵入者の狼藉を許さぬぞ?」
アドラーは、地球では嘘つきか詐欺師しか使わない神の怒りを持ち出した。
だがこの世界の神さまは街に出没するし、実際に魔術師はあの光の柱を見た。
青い顔色になった魔術師が絞り出す。
「や、やはり、あれは……!」
「待たぬか! 神が直接に人を罰したなど聞いたことがない!」
ビガードが吠える。
神は実在しても、天罰はない。
何故なら神々は、ヒト同士の争いに口は出しても手出しをしない。
「この大陸では違う。それにあれも、ただ遺跡を吹き飛ばしただけだ。その気なら、軍団丸ごと光の中へ消し去ることも可能だった。あの一撃は、警告と受け取るが良い」
アドラーは堂々と神の代弁者のふりをして嘘を付いた。
長らく姿を見せぬ竜の存在が疑問符なのと、証拠を見せろと言われてブランカを出しても、多分誰も信じないので神を利用することにした。
もちろんこれで天罰などない。
「ビガード団長、我等の為すべきことを。仔細持ち帰れば、判断するのは本国です」
魔術師は冷静だった。
「ぬぬ……何が望みか」
「この大陸で人を殺すな、奪うな、攫うな。どの種族に対してもだ。隣国の民と同じように接することだ。さもなくば……」
アドラーは、身につけた法術魔法を発動させる。
攻防三倍、個人の持つものとしては最上位の強化魔法がアドラーを包む。
ビガードも魔術師も、穏やかで地味な男の空気が変わったのを感じる。
思わず腰の剣に手を伸ばし、魔術の杖を構えそうになる程。
「まだだ」
アドラーが持つ、”猫と冒険の女神”から授かりし特殊強化も発動させた。
後ろで見守っていた他の魔術師達も異様な魔力反応に気付き、歴戦の兵士達も気配を感じ取る。
「この大陸には、大規模な軍はない。だが優れた戦士は幾人も存在する。敵対するならば……ここで証明して見せよう」
アドラーは、ビガードの後ろに座り込む1万人の兵士達を見た。
交渉の行方次第でと、アドラーは覚悟を決めていた。
軍団長を一閃で殺し、死体を盾に一気に攻め寄ると。
残りは体力の落ちた兵士と病人ばかりで、二個軍団が全滅――文字通りの死者一万二千人――となれば、サイアミーズ軍はもう動けない。
リューリアは泣いて責めるだろうが、仕方がないと……。
「選べ。平和か死かだ」
「死、死は恐れぬ……」
ビガードが恐怖に耐えながらいった。
「どうせ本国に戻れば処刑を待つ身だ。しかし部下を巻き添えには出来ん……。軍団長の裁きには、王国の高官が臨席する。時には陛下へ申し開きを述べる事が出来る。そこで、この大陸に手を出すことの無謀を説く。お主の言葉と神の怒りを伝えると約束する……」
一軍人の精一杯の条件だと、アドラーは受け取った。
「良かろう。必ず伝えてもらうぞ」
アドラーは、水を安全に飲む方法を教える。
葦と水を鍋に入れ、一度沸かして塩を混ぜて飲ませろと。
「そ、それだけで!?」
魔術師は驚いた。
「この地に住む者の知恵さ。貴様らは、受け継いだ知恵と知識を台無しにしかねないからな」
アドラーの言葉を聞いたビガードが、静かに顔を上げた。
「この先、北へ二日ほどの所まで友軍が来ておる。だがそこでバルハルト率いる帝国軍と遭遇した。双方一歩も譲らず、既に戦端は開かれた。わしが知る最新の情報はそれだけだ」
軍機を漏らした軍団長に、魔術師は聞かぬふりをしていた。
「そうか、感謝する。いよいよ大詰めだな」
アドラー達は、病人と怪我人の集団を追い越す。
アドラクティア大陸の歴史にない、人族同士の戦争が始まっていた。
止めるべきか潰し合いを見守るか、アドラーはまだ決めてない――。
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